「第五十三話」落ちぶれ巫女と『空』の間合い
命を天秤にかける戦いにおいて、間合いの管理というのは大変重要である。
なぜならそれは受ける側にとっては『攻撃が当たらない距離』であり、攻める側としては『攻撃が当たる距離』なのだ。それは例え人間同士だろうが妖魔同士だろうが、異種同士の殺し合いであっても変わることはない。
できるかどうかはさておき、間合いの管理においては神の領域に立つ存在がいるとしよう。
その存在はたとえ自分が素手だろうが、相手が弓を構えていようが関係ない。手頃な間合いを掴み、管理し、相手が攻撃を行った一瞬の隙を突いて致命打を与える。
とりわけそれが人間同士の戦いであれば、一度でも攻撃を当てたり受けたりするというのは大きな意味を持つ。要するに間合いとは相手の攻撃をどれだけ受けずに、どれだけ相手の隙を伺えるかという話なのだ。
そういった点で、天道ヒナタの間合いの取り方は完璧だった。
天道ツバキが『反撃前提の受け』という選択をした時点で、絶望的であった勝敗は五分五分にまで持ち込むことが出来ていた。それに対し天道ヒナタは一撃で全てを決めるという覚悟のもと、残った霊力全てを刀身に注ぎ込んでいたのだ。──そう、覚醒した天叢雲剣の翡翠色の刀身に。
「ぁぁぁぁああ!!」
これが最初にして最後の好機と言わんばかりに、天道ヒナタは猛進する。
防御など一切考えていない完全な『攻め』、あるいは捨て身の構え……一撃に全てを込めるからこその有り得ない行動ではあるが、これは彼女がツバキの間合いに入っていないから、ツバキがその場で動かないからこそ成立しうる最適解。
(なに、あれ──)
そう、だからこそヒナタは困惑していた。──今まさに取っていた構えを解き、居合の如き構えに転じている過去の天才の姿を。
(何かの構え? こっちの動揺を誘うためのハッタリ?)
一歩を踏みしめるたびに、様々な憶測が飛び交う。その度に別の最適解が、取るべき選択肢が、勝利への可能性が分岐していく……何をすればいいか分からない、何が正解なのか分からないという『迷い』がちらりと顔を覗かせ、そして。
「──ッっいっけぇええええええヒナタァァアアアアアアアアあ!!!!」
彼女の背中を押すように、血反吐を吐きながら叫ぶ神がいた。
現状での無力を自覚し、嘆き、それでもたった一人の少女の勝利だけを願う神が。
それだけで、天道ヒナタは腹を括った。
「ぁぁぁぁぁぁっぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!」
突き進む、押し通す、叩き切る。
刃が重なればそれごと叩き切る、避けられるならば当てに行く、受けられたのならば纏めて斬り伏せる。──自分にも、ツバキにも二の太刀は無い。正真正銘、この一太刀で勝利を掴み取る! 敗北ごと切り捨てる!
そんな、熱と悦に浸っていた彼女は見た。
──誰もいない前方へ振るわれる、斜め上への太刀筋。
直後。
その直後。
間合いを無視した殺意の波動が、太刀筋と同じ軌道を描く一筋の『何か』が迫っていた。
「──」
それは天道ツバキの奥義、その向こう側に眠っていた最後の切り札。
彼女が生前、ある存在に一度だけ使ったとされる反則の一撃。──その名は『空』。どれだけ相手が遠くにいようが、決して届かない間合いであろうが、相手がいる間合い……即ち空間ごと斬り伏せる斬撃を放つ不可避にして初見殺しの権現。
まず、間合いというのはある前提から成り立つ概念である。それは、攻撃が届く範囲に相手がいなければ、攻撃は絶対に当たらないという当たり前の前提だ。
それを踏まえた上で前提をひっくり返してしまうこの奥義、反則を踏まえて話すのであれば、天道ヒナタの勝ちという可能性は存在しなかったことになるのかも知れない。
なぜならそれは受けることができない。何故なら空間そのものを叩き斬っているからである。──無論、それを避けることなどできるわけがない。
だから彼女はそれを、避けることが出来なかった。
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