「第五十二話」タタリガミの祈り

 杜門久遠。彼女の蝋燭の火が消えたようだ。

 この目で見なくても、俺は俺と同じ苦しみを味わい続けてきた同胞が終わりを迎えたことを静かに察した。


 藻掻き苦しんで終わったのか、諦めの果てにある安らかな終わりを受け入れたのかまでは分からない。だが俺は、どうしても彼女の最後が悔いのないものであってほしいと願わずにはいられなかった。


「が、ぁ」


 消化試合と呼ぶのも烏滸がましいほど、それは一方的な蹂躙だ。

 炎を纏った拳を放つ度に、練り上げられた霊力と無数の斬撃に切り刻まれる。避けても当たる、受ければ致命傷が入る。折れていない骨が何本あるか、そもそも今自分の四肢が繋がっているのかどうかすら分からない。


 だが一つだけ確かなことがある。

 俺を助けられる誰かは、もう既にこの世にはいないということだ。


「……ぁ」


 焦点が合わないまま目の前の敵を見据える。一見何も変わっていないように見えるその少女は、膨大な霊力によって身体を極限にまで強化していた。──『伏魔霊纏』。彼女が生前に編み出した最初にして最後、そしてあらゆる技を超越する究極の奥義。


 彼女の肉体は今、人から神に近い状態として昇華されている。魂の質は人間のまま、莫大な霊力をもってその肉体だけを神と同等のものにしている……鬼に金棒という言葉があったが、そんな言葉が生温くなるような悪夢だ、これは。


(ただでさえ神より強いってのに、参ったなこりゃ)


 人間の時でさえ神を捻り潰す存在が、その存在にとっての『神』としての領域に足を踏み入れている。この世のありとあらゆる力を当然のごとく超えていくそれは、神を超えた神として表する他に方法はない。──無論、それに勝利する方法なんてあるわけがない。


「がぁ、っ。くぅぁ」


 込められていく力、俺の首を掴んだ片手はどんどん真上に上がっていき、意識も遠く深い場所に引きずり込まれていく。

 両腕で抵抗を示すことなど出来やしない。なぜなら俺の腕は既にぐちゃぐちゃに叩き折られているからだ。砕かれ、へし折られ、腕の肉と一緒に潰れている部分だってある。痛い痛くないとかそういうので済むものではなく、そういった感覚すら消え失せているような惨状なのだ。


 間違いなく死ぬ。

 このまま俺は、成す術なく殺される。

 あの時と同じように、虫を踏み潰すような目を向けられながら。


(……ヒナタ)


 首にめり込んでいくツバキの指、喉笛が音を立てながら潰れていく。


(ごめん、俺も今からそっちに行く)


 瞳を、閉じる。

 せめて安らかに、静かに、あいつのいる場所に行けるようにと。


 閉じていく、俺の視界。閉ざしていく、俺の命。

 瞼が落ちる、下がる、光が狭まる……やがて、それは完全に闇の中へと消えて──。


「馬鹿ね。そんなとこ行っても、私はいないわよ」

 ──閉じた瞼の中を、翡翠色の極光が照らした。


 その光は熱かった。凍えるように冷え切っていた身体を根本から温め、むしろ汗が出てくるのではないかと思うほどの熱を与えた……気力だ、希望だ。その光は、俺に生きる希望として降り注いでいた。


「……ぁ」

「この際だから、いいこと教えたげるわ」


 それは沈んだはずだった。

 それは、どうしようもなく理不尽に終わってしまったはずだった。


「私は今ここにいる。あの世でも、この世の何処かでもない……あんたの隣、私が大好きなあんたの側にいるの」


 なのに、なのに、なのに。

 俺は夢を見ているのだろうか? 俺は願望と後悔に満ちた走馬灯でも見ているのだろうか?

 いいや違う。いいや、いいやそんなわけがない!


「私はまだ生きている」


 だから。そう言って、天道ヒナタは背中だけで告げるべきことを告げた。


「あんたは死なない、死なせない。……だから、一緒に生き残るよ」


 その瞬間、僅かだった俺の太陽の光は絶頂を迎えた。

 握りしめた宝剣、天叢雲剣。その刃と柄の境目に埋め込まれた翡翠の宝玉から、膨大な熱を帯びた光が溢れ出す。太陽のように熱く、されどこの少女の心のように暖かく強い、翡翠色の極光を。


 溢れ出し、しかし刀身に沿って伸びていき……それは、叩き折れた刀身を補うかのように新たな光の刃を形成していった。翡翠色の、美しい刃。


 刃を構える。低い姿勢、しかし大地を踏みしめるような力強い構え……防御や受けは一切考えない捨て身の構え。


「──参るッ!」


 踏み出す一歩、明日を拓く一歩。

 遠ざかっていく背中を俺は、ただただ祈りながら見ていることしかできなかった。


 神様のくせに。




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