「第五十一話」杜門久遠の大往生
傷口から身体が消えていく。
あれだけ渦を巻いていた恨み辛み、妖気やら穢れた神気やらがさらさらと零れ落ちていく。
これから自分は死ぬんだな、と。
私は……杜門久遠は、ぼんやりと自分を俯瞰していた。
(まぁ、死ぬというよりは『終わる』の方が正しいのだが)
どちらにせよ気が楽だった。何百年もの間で燻っていたくだらない執着が断ち切られ、この世に留まり続けることへの言い訳も砕け散ったのだ。
もう頑張る必要は無い。
これ以上苦しむ理由はどこにもない。
──ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!
殺風景どころか地獄絵図の中、私は自分を鼻で笑った。
そこら中に妖気と穢れた神気が充満し、それを真正面から練り上げられた霊力が打ち消している……黒い太陽の神、神をも捻り殺す人間の戦いは、依然として後者の圧倒的優勢だった。
気分が悪かった。
怒りとかそういう大義名分じゃなくて、単純にその戦いは不快だった。
なぜならそれは不毛だからだ。
降り注ぐ血の雨が喉を潤すことが無いように、この戦いには何の意味も目的も無いからだ。──まぁ、あの黒い太陽の神にとっては『無くなってしまった』というのが正しいのだろうが。
「……」
目だけを下に動かすと、血溜まりの中に人が死んでいた。
腹に穴を開けられ、納まっていた臓物を鮮血とともに撒き散らし、うつ伏せに死んでいる。先程ツバキに投げ飛ばされた少女……天道ヒナタが、私の傍で死んでいた。
これが唯一の意味だった。
この少女の未来が、思い描く何かだけが、この無駄な戦いから見い出せるたった一つの価値だった。
どうでもいい。本当に、どうでもよくなった。
「……カゲルも無駄死にだな」
ふと、そう呟いた。
がしっ、と。
擦り切れた袖があまりにも強く掴まれた。──死んだはずの、天道ヒナタの手に。
「!?」
思わず声が出て仰け反る。
それでも、私の袖を掴む手は離れない。
「……?」
冷静に、自分でも驚くほどに冷静に。
私は死んでいるはずの少女の体に触れた。……動かない。いいや、揺れている。動いている、どんっ、どんっ、どんっ、微かに鼓動は続いている!
生きている!
天道ヒナタは、明日を生きる命は生きている!
「っ!」
飛び掛かった。
というか、もう頭の中が真っ白だった。
なにか知恵や考えがあって動いているわけじゃなくて、とにかくなんとかしなければ、どうにかしてやらなければという焦燥だけが胸を焦がしていた。
霊力も神気も妖気もなんでもいい。
身体の中で燻る残り滓全てを傷口に注ぎ込む。
身体の崩壊が進んでいく。
かろうじて緩やかになっていた『終わり』が加速し、自分がどんどん擦り減っていくのが手に取るように分かる。──それが、どうした。
「……よかったじゃないか」
自分は救われなかった、確かに報われなかった。
醜く生き永らえてまで想いを捧げ続けた誰かには振り向いてもらえなかった。
無駄だと分かっていながら多くの命や尊厳を冒涜し続けた。──そんなの、関係ない。
「自分を見てくれる誰かも、家族も、恋人だっている! 幸せだ、幸せそのものだよお前の人生は! ──だから、なぁ」
上か下か、引き上げられるか落ちるかで言えばどちらも後者に違いない。
それだけのことをした、し続けてきた。やめられるのに、やめる理由もあるのにそれでもやめなかった。──私のことなんて、どうでもいい。
「このまま死ぬなんて、あまりにも勿体ないだろ……!」
とうとう指先が砕けていく。
黒い灰のようにぼろぼろと脆く、柔く、真っ当な人間とはかけ離れた『最後』が迫ってくる。ずっと背けていた現実が首を絞めてくる。
怖い、と。
そんな当たり前の感情に涙腺が緩んだ時には、既に右腕は肘のあたりまで崩れ落ちていた。
それでも傷口は塞がっていた。
だからこそ、天道ヒナタは生きていた。
「起きろ……!」
残った左腕を治り続ける傷口に伸ばす。
指先から激しく崩れ始め、あっという間に肘まで壊れ崩れ去った。──ようやく血が止まって、指先が微かに動き出した。
「……ぁ」
微睡むようなそんな声が背中を押した。
ようやく覚悟が決まった。──肘までしか残っていない両腕を、傷口に向けた。
「──っ、あぁぁぁああああああああああああ!!!!」
身体が崩れていく、解けていく、風に舞って流れていく。
身体を流れる霊力も、変化したことにより得た妖気や神気も、全てをこの少女の命を……未来を繋げるために託す。
よかった、と。
崩れ行く身体の感覚を噛み締めながら、そう思う自分がいた。
人生を棒に振っただけではなく、他人の人生まで穢し続けてきた自分が、まさか最後は誰かの人生を繋げるために終わりを迎えることができるだなんて。贅沢だ、あまりにも贅沢だ。
なんで自分はこんなことをしているんだろう。
少し前の自分の問いに対して、今の私は……杜門久遠として自信を持って答えられる。
(……私は)
癒えた傷、私が癒やした鳩尾をゆっくりと眺めながら、私は残った表情筋を釣り上げた。
「こんなふうに、誰かのために生きたかったんだね」
それを最後に、『私』を構成する全ては消えていく。
肉体も魂も解けて乖離し、あるべき場所に還り落ちていく。
後悔はない、あろうはずがない。
最後の最後で私は、このクソッタレな人生に意味を見出すことが出来たのだから。
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