「第四十三話」天道ツバキ
「勝者になった気分はどうだ?」
大の字の仰向けを晒しながら、久遠はカゲルに問うた。問われた側のカゲルはすぐに返答をせず、しばらく下を向いたまま言葉を模索していた。
「なんだ、そこは『ざまぁみろ』とか『最高だね』とかそういう台詞を吐くところだろう? 君は本当に丸くなったな。……それも、あのツバ……いいや、ヒナタちゃんのおかげかい?」
「……ああ」
カゲルにはどうすればいいか分からなかった。以前の自分であれば、このまま何の躊躇いも後腐れもなく久遠の顔面を踏み潰していただろう。そうして今度は四肢をもぎり取り、臓腑を抉りぶち撒け……その上で魂を蹂躙する。二度とこの世に生まれてこないように、あの世に行くことすら出来ないように。
だが、今は違う。
カゲルは気づいたのだ。この女が、かつての自分と同じ大馬鹿野郎で……そして今は、自分なりの答えとケジメの付け方を見つけた間抜けだということに。
殺したくない、と。
どうにかして幸せに、そうじゃなくてもやり直せないのかとすら願ってしまう。先程まで殺し合っていたくせに、その最中ですらその事が頭から離れなかったのだ。
「君はなにか勘違いしているようだが」
「は?」
「別に私は、君のように救われるつもりはない。これまで散々踏みにじってきたし、殺してきたし、なんならツバキよりも人の心と体を無下にした」
それにな、と。
久遠は清々しそうに、見せつけるように輝いてくる太陽を睨みつけながら言った。
「こんな眩しい日向は、私には少々居心地が悪いのさ」
「久遠……」
「とはいえ、地獄も嫌だな。痛いのも暑いのも寒いのも、長いのも好きじゃない」
だから、と。久遠は普通に笑っていた。
「お前が終わらせてくれ。勝者として、私の代わりに救われた者として」
でも、その顔に苦しみとかそういう感情があるようには、カゲルにはどうしても思えなかった。
むしろ逆だ、逆なんだ。ようやく解放されると、自由になれると……鳥籠の中に閉じ込められていた鳥が空へと羽ばたくように、彼女もそれを願っていた。
「久遠」
「そんな顔をするな、また暴れたくなってしまうだろう?」
動かない、いや動けないのだろう。口元を動かし、かろうじて言葉を紡ぐことしか出来ないのだ。
「未練や執着の恐ろしさは、お前も私も十分思い知ったはずだ。もういい、本当にもういいんだ」
惜しくなる前に。
しがみつきたくなる前に。
彼女は今度こそ、自分の成れの果てにケジメを付けるつもりなのだ。そしてその介錯は、自らの意思で救われることを決断した、他の何者でもないカゲルに託された。
「……分かった」
久遠が薄く微笑んだ。彼女はそのまま視線を空に、終わりのない向こう側を見つめていた。カゲルはそんな彼女の傍に膝を突き、太陽を遮るかのように拳を構えた。
「ああ、最後に一つだけ聞かせてほしいんだが」
「なんだ?」
「どうしてあの小娘に惚れたんだ?」
「……そりゃあ、怒れるからだよ」
久遠はきょとんとした顔をした。でもやがて目を見開き、やがてそれを細め、次第に朗らかな笑みと涙を浮かべた。
「……いいなぁ」
悔しそうに、されど幸せそうに。
「絶対幸せにしてあげてよね。あの子は、絶対いい子だから」
「当たり前だこの野郎」
そろそろ時間だ。久遠の中で増幅し始めている妖気を感じ取り、カゲルは最後の覚悟を決めた。今ここで久遠を殺す……いいや、救うんだ。
「じゃあな、久遠」
贈る言葉を、安らかに眠れるような……そんな言葉を送る。
「次生まれてきた時は、もっとマシな──」
背後。
気づく。
それは、背筋が凍りつくような殺意。
「──ッ!? 危ないっ!」
「がっ……!?」
不可避だったはずの不意打ちは、久遠の掌から放たれた霊力の塊に被弾することによって無理やり回避した。ふっ飛ばされたカゲルは、ゴロゴロと地面の上を転がった後にどうにか起き上がった。
一体、何が。
そんな台詞を言うよりも前に、この身が恐怖と共にそれを覚えていた。
「……クソッタレ」
舞い上がった土埃、その向こう側に居る二つの人影。
一つは直立した久遠の影。──そしてもう一つは、それを背後から刀で突き刺す誰かの影。
いいや、影などではない。
あれの正体を知っている、あれの恐ろしさを知っている。
その証拠に体は震える、指先が震える、肩が上下する。
その一振り、千の魑魅魍魎を根こそぎ抉り切る。
その疾走、風より雷槌より早く。
それが歩む道に、脈打つ命は欠片もなく。
それが歩んだ道には、命だった何かの残骸だけが積もっていく。
天下無双。
万夫不当。
人の理を超え、神をも容易く捻じ伏せる真の化け物。
「クソッタレぇ……!」
その名を、天道ツバキ。
人の枠組みを超えながら人として生き、人として死んだ真性の怪物の名である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます