「第四十二話」『俺』と掠れた慟哭


『はぁ、はぁ』


 荒い息を吐きながら、自らの肩を上下させながら。

『俺』は目の前でぶっ倒れている祟神を見下ろしていた。


 動かない。

 そりゃあ当然だ。四肢の骨を砕き割った上に足や腕の腱まで引き裂き、頭は何度も潰し続け、心臓も肝もあらかた引き摺りぶち撒けた。どれもこれも人間ならば確実に死んでいるものばかり、致命傷だらけだった。──なのにこいつは、それを今の今まで耐えきってしまっていた。


(霊力による回復、神気による威力軽減……そして、妖気による魂と肉体そのものの構造を更に上へと作り変える亜種変化)


 それは人間として、祟神として、魔性畜生としての力を存分に行使した結果だった。どれか一つでも欠けていれば成し得なかった偉業、暴挙。それらをこの女は、あくまで『人間』の枠組みに自らの大部分を残したまま成し遂げてしまったのだ。


『……不完全とはいえ』


 まだ、息がある。その事実に『俺』は耐えきれず、素直に恐怖や驚きを感じるしか無かった。


『信仰を得ている貴様に勝つのは、簡単ではないな』

『……』


 今のところ、この女に自分が負けることはまず無いだろう。三種類の超常を扱えるとはいえ、所詮は人間という矮小な存在に毛が生えた程度だ。黒い太陽の神として最強の座に君臨する『俺』を超えることは、絶対に無い。


 そう、今のところは。


 この女は自分が不完全な状態だと言った。同感だ、こいつはまだまだ成長途中の赤ん坊のようなものだ。これから様々な経験や栄養を蓄え続け、やがては成体として完成する。

 仮に今のこの状態が幼体と仮定するのであれば、それは最悪の仮説を導き出すことになる。──成体になってしまえば、もう誰にも倒すことが出来ない。


 神の中でも郡を抜いて最強である『俺』でさえ、未だ幼体のこいつに梃子摺った。理由は簡単だ、この女が使役していた祟神や妖魔は総じて二十体ほど……少ないのだ、この女の潜在能力と比較すると、それは余りにも貧弱すぎる数字なのだ。


 このまま成長していけば、使役できる祟神や妖魔はどんどん増えていくだろう。三十、五十、百……それこそ、魑魅魍魎が群れを成して進撃する『百鬼夜行』を単独で引き起こせるほどに。


 やはりこの女はここで殺さなければならない。

 息を整え、神気をかき集める。──次の一撃で、この厄災は必ず焼き尽くす。肉体も、魂も、二度とこの世に生まれてこれないように破壊する。


『言い残すことはあるか?』


 握りしめた拳を見せつけたその時、なぜか分からないがそんな質問をした。自分の口からそんなものが出てくるとは思いもしなかったが、言ってから普通に興味が湧いてきた。この化け物は、最後にどんな呪いを残して消えるのかと。


 女はしばらく空を仰いでいた。

 真っ黒な、どこまでも光の見えない向こう側を。


『お前を殺さなければ、私の願いは叶えられないようだ』

『で?』

『だから私は、まずお前を殺すことにしたよ』

『そうか。──じゃあ、死のうか』


 拳を振り下ろす。──振り下ろした、その、瞬間。


『──ぇ』


 視界が霞む、体の芯がぐにゃぐにゃになる。

 立っていられない。平衡感覚が狂った時点で、既に自分が立っているのか倒れ込んでいるのか座り込んでいるのかさえも分からなかった。

 痛いわけでも命の危険を感じるわけでもない。


『考えてみれば、初めからこうするべきだったんだ』


 しかし分かる。

 これは、まずい。


『お前もツバキも、まともに戦って勝てるような相手ではない。ツバキを倒せるのはツバキ本人かお前だけであり、お前を倒せるのはツバキかお前だけだからな』

『てぇめぇ、めぇ』

『故に、だ。私は用意することにしよう。貴様ら二人が殺し合う理由を、殺し合わざるを得ない悲劇を』


 呂律もおかしくなってきた。言葉が出ない、それどころか神気の流れがおかしくなっている? 何をされた、この女は『俺』に何をしてきた? 気持ち悪い、きもちわるい、からだのなかになにかがはいってけがしてくるよ。


『さらばだ、黒い太陽の神。これから愛しい契約者の手によって殺される、哀れな祟神よ──』


 言葉が途切れる頃には、既に女の気配も妖気も、何もかもが泡のように消え去っていた。まるで先ほどまで見ていた夢の内容を忘れるかのように、全てが嘘だったのではないかという錯覚さえ覚えた。


『……ぁ』


 少しずつ。

 少しずつ、体の感覚が戻ってきた。


 起き上がると、やっぱりまだ違和感があった。縛られているような、蝕まれているような……そんな、なんとも言えない束縛感と不快感を身に纏いながら、『俺』は背後の存在に気づいた。──圧倒的な威圧感。人とは思えないほどの存在感を示す巫女。


『……ツバキ』


 安堵した。とても、心の底から安心した。

『俺』は戻ってきたんだ。いいや、それだけじゃない。『俺』はこいつを、ツバキを守った……訳の分からない狂った存在を撃退し、来たるべき脅威を退けたんだ!


『ツバk


 斬撃。

 肩から腰にまで一閃。血が、神気が傷口から溢れ出る。

 滴る神気は、信じられないほどに穢れていた。


『……は?』

『目標発見』


 分からず、理解できず、俺はその場にへたり込んだ。


『天照大御神の神勅により、これより祟神と化した天翳日蝕神を鎮め払う』


 どういうことだ? なんで斬られた? なにか不味いことでも言ったのか? いや、何もしていない。そもそもついさっきまで隣にいた者を殺す気で斬ってくるなんて有り得ない。


 だが、構える。

 構えてくる。

 足運びを丁寧に完璧に、殺意と霊力を心の臓から体の隅々まで流し込んでいく。そこには躊躇も何もなく、ただただ自分を殺そうとしてきているに過ぎないと言われているようだった。


『……待てよ』


 踏み込んでくる。


『おい、待てよ。待ってくれ、頼む!』


 間合いに入る。


『おっ、『俺』はお前の友達で、相棒で、『俺』は、お前を……』

『五月蝿い』


 すらり。

 刃が風を切り、『俺』の視界は地面を転がった。


『……なんで私の名前を知っているのか知りませんが』


 見据えた彼女の、愛した女の表情は。


『貴方みたいに穢れ臭い祟神が、私の友達なわけ無いでしょう?』


 気持ち悪い。そう吐き捨てて、背中は去っていく。

 離れていく。

 遠ざかっていく。


『……ふ』


 滴り落ちているのが涙なのか、それとも血なのか。

 いいや、違う。


『ふざけんなぁあアァァァアアアあああああッッッヅづづッっッ!!?!?!?!?!!』


 滴り落ちているのは、『俺』の中から溢れ出ていたのは。

 紛れもなく誰かを憎み恨みながら殺したいと願う、呪いだった。


『あぁ、ぁあああ……』


 嘆いても、嘆いても。

 この手足は動かない。今すぐあの女を殺したいと願っても、動いてくれない。


『……なんで』


 いや、そうじゃなくて。


『なんで、なんだよぉ……』


 悲しくて、辛くって。

 動きたくなかっただけなんだ。








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