「第四十話」『俺』と狂った純愛
『……で?』
まぁ、それだけの話だ。
『俺』は眉間に皺を寄せながら、浮遊しているような怨念の塊に睨みを効かせる。
『俺の一撃に耐えたことは褒めてやるよ。ああ、すげぇよお前。アマテラス並みに頑丈だよ、ほんとすげぇ。──なによりも、その程度でまだ俺の前に立っているお前がすげぇよ』
舐められたものだ、と。『俺』は憤慨した態度を隠すことなく曝け出していた。
一撃を耐えられたことはいい、愚かにも『俺』に挑んできたのもまぁいいだろう。──だが、もういいだろう?
この女は、杜門久遠は思い知ったはずだ。
俺との差を、神と人との決して越えられない壁を。
それを知っても尚、生意気な態度を崩さず俺に殺意を向けてくる。──愚かを通り越して、最早自殺でもしたいのかというなんとも言えない困惑を抱いた。
『……んで、なんでお前はそんな事になってんだ? この前までお前、間抜け面のクソお人好しな餓鬼だったろ』
そもそも、人間が神になることはそこまで珍しいことではない。
現人神や加護を受けたことによる眷属化など、矮小な人間が神に並ぶ力を持つ術は少なからず存在する。無論、それらは全て高位の神格に及ぶほど強い力を授けてはくれない……授けない、はずなのに。
『私は、私の意思でこうなっている』
空気が重い。いいや、言葉が重かった。
『これは神から授かった力でも、外から取り入れた借り物でもない』
『……テメェ、自分で自分を祟ったのか』
今、『俺』の胸の内には二つの感情が大きく渦巻いていた。
一つは目の前の『元』人間への絶大な驚嘆。この女は偉業を成し遂げた、人間の力だけで自ら神へと進化……いいや神化するという偉業を。
そしてもう一つは不快感、怒り。神という人間には決して追いつけない存在の特権を冒し、我が物顔でその席で踏ん反り返っている不敬者への、純然たる怒り。
──跳躍、疾走。
『殺す』
黒炎が揺らめく拳を掲げ、飛び掛かる。
だが。
『……』
(こいつ──)
笑っていた。
不気味に、不敵に。
嘲笑うと言ったほうが正しいだろうか? いいや、それにしてはあまりにも不純物が多い気がした。半ば見惚れるように気味の悪さを覚えていた俺は、しかし結果的に一撃を外してしまった。
『動揺とは、らしく無いなぁ?』
眼の前の不敬者は『俺』の拳を避け、あろうことか妖力による反撃を取ってくる。祟神であっても多少は伴うはずの穢れた神気は何処にも無く、ただただ吐瀉物のような不快感がこの身を包んでいた。
『っ……』
力で受け流し、反撃の裏を掻く反撃を投げ返す。
初撃よりも高い威力で放った一撃は右肩あたりに直撃し、人の形をした貧相な体を揺らした。……触れてみて、思う。余りにも軽いが、信じられないほどに重い。物理的な意味ではなく魂や感情とか、そういう意味で重すぎた。
その重さは最早、死んでいるはずの彼女を天には至らせまいとする足枷のように思える。
あるいはそれは、今も尚その重みを増し続けているのだろう。彼女の魂は徐々に徐々に地面へと吸い込まれ引きずり込まれていき、やがては──。
『同情するつもりなら、一つ質問をさせてくれないか?』
これには流石の『俺』も驚きを隠さずにはいられなかった。
思考を読んだのかと思うほどの正確な質問内容に、ではない。ふらつきながらもまだ膝をついていない彼女の飄々とした立ち姿、更につり上がっていく口角……最早その笑みに喜びは無く、ただただ形だけが満面の笑みを作り上げていた。
その口が動き、問うてきた。
『ツバキとは上手くいったんだな?』
『──』
殺してやるという思いが爆発的に膨らみ、体中が熱を帯びていく。ああ駄目だこれは、これは絶対に駄目だ許しちゃいけない。神がどうとか人間がどうとかそういうんじゃなくて、『俺』という存在が、魂の根本が怒っている。
そこに誇りも、神としての責務は無い。
ただただ、今もなお心の中で燻り続けるごちゃ混ぜの感情が、怒りに転じて溢れ出しているだけなのだ。──なのに、身体は動かなかった。
なんでだろう、と。
理由を考えた矢先に理解した。
分かってしまった。
『……そうか』
それ以上は何も言ってこなかった。何も言ってくれなかった。
八つ当たりの捌け口にする大義名分は、あっさりと消え去った。
『……よかったぁあ』
──かのように見えた、が。それは大きな間違いで、むしろ逆だった。
『そうか、ああそうか! ああ、ああそうなのかそうなんだなやはりそうなのかそうだったんだなぁ!』
笑っている。
『お前は愛されたんだな!!傍に居ることを許され、想いを伝えることを許され、その全てを受け止め受け入れられた!! “だが、私には全部許されなかった!!”』
泣いている。
『私は認知されていなかったというのにな! 名前すら覚えてもらえず、傍に行けば邪魔者扱い、想いを何度伝えても、どう伝えても、全部耳障りな雑音として聞き流される!! 全部だ!! ツバキは私の全てを拒絶した!!!!』
怒っている。
恨んでいる。
悲しんでいる。
妬んでいる。
『……でもぉ』
総じて、狂っていた。
『それでも私は、あの女が大好きなんだよなぁ』
だって彼女は、それでもツバキを愛していたから。
愚直に、素直に、抱いた思いの根本を何一つ変えること無く純粋に。
もうとっくに正道で愛せるような精神状態でもないのに、恨みや怨念が魂を変質させる程に穢れておかしくなってしまったのに、それでも『愛している』に拘りしがみついている。
彼女の目的はとっくのとうに変わっていたのだろう。
純愛の成就という願いから。
純愛の殉教者で在り続けるという執念へ。
『……お前』
『おかしいよな? うんうん私もそう思うよ狂っているさ破綻しているさ矛盾しているのさ私の初恋はぁ』
自らの境遇を嘆きながら泣いているようにも見えるし、未だに一途を貫いている自分への愉悦に浸っているようにも見える。
『私はツバキを愛している、憎んでいる、尊敬している、侮蔑している。彼女のような強さや美しさに近づきたいと願いながら、あんな化け物には成りたくないと震えている』
矛盾するそれらを中心に渦巻く怨念や呪いが霞んでしまうほどに、彼女の心は人どころか神の枠すらも超えてしまっていた。
『彼女に愛された神よ、黒い太陽の神よ。──私は、ツバキを殺す』
『……』
それが妥当だと思う反面、疑問に思う自分もいた。彼女は自分の全てを無下にし続けていたツバキのことを魂が変質するほどに憎んでいて、しかしそれでも尚愛し続けたいと願うほどに歪んだ愛を向け続けている。
『愛しながら殺す、殺しながら愛す。その肢体と交わりながら、その死体を引き裂く! 壊れても戻して愛す、壊す! ツバキは終わらない、何故って? 初めから終わっていればずっと私のモノだから!』
『……そうかい』
何一つ分からない。分かってはいけない、だけど。
ただ一つだけ分かって良いこと、分かった上でしなければならないことがある。
『粋がってんじゃねぇよ三下。俺とタメ張るなら、最低でも五百年拗れ続けてから出直せ』
こいつは、殺す。
殺さなければならないんだ。
『……では、傷の抉り合いといこうか』
笑う、嗤う。狂った純愛は楽しそうだった。
楽しそうに見えた。
『俺』には、私にはそうにしか見えなかった。
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