「第三十七話」『私』と人造の星の光


 ああ、またこれか。

 私は指一本動かせない『私』の意識の中で、限りなく主観に近い俯瞰を強制されていた。


『綺麗だな、花火』


 隣に座り込んだ『私』の友人が、心底楽しそうな声で語りかける。

 彼も『私』も、真っ暗な空に咲く光の花を眺めている。


『……そうだね』


 いいや正確には、『私』だけが眺める「ふり」をしていた。


『私』は友達が大好きだ。 


 だから大好きな友達との約束は守るし、相手が不快になるような発言も行動にも注意する。

 これもその一環に過ぎない。自分が一切の興味を持たなくても、友達がそうしたいのであれば一緒に楽しんであげる。


 これが『私』の思いやりであり、良き友人関係を保つように心がけていることである。


 ──ふざけてんのか、こいつ。

 私はたった今、この天道ツバキという過去の異物に対し、確固たる嫌悪感と怒りを覚えた。


 約束を守る? 

 不快になるような発言や行動は注意する?


 馬鹿野郎、そんなことは人間として当たり前だろうが。

 興味が無いなら初めから誘いに乗るな、楽しんで「あげる」ってなんだ? まるでお前がカゲルの我儘を聞いてあげているような言い方じゃないか。


 やっぱり狂っている。

 いいや、こいつはどこまでも正気なのだろう。


 意図的な悪意も、胸の奥を刺す罪悪感も無い。彼女にとってこの思考や精神状態は至って健康なものであり、彼女が思う倫理道徳に基づいた正義なのだ。

 

 故に彼女は気づかない。  

 これがいかに自己中心的で、偽善的で、滑稽なのかを。


 そんな私の抑えがたい怒りをよそに、『私』は口を開いた。


『この前、任務で里を襲った祟神を倒しに行ったんだけどさ』

『ん? おう……?』

『馬鹿な巫女がいたの。上司の私の言うことが聞けない、馬鹿な巫女が』

『へぇ……』

『すんごい弱いの、そいつ。なのに私に向かって『祟神を鎮める前にまずは生存者の救助をするべきだ』って言ったの』

『へぇ、ってことはアレか? 命令無視してまで村に入って、無様に死んじまったってか? そりゃあ迷惑で協調性が……』

『ううん、私が殺した』


 は?

『は?』


 えっ? 今『私』、なんて言った?


『なんで驚いてるの?』


 不機嫌そうに、相手の正気を疑うような声色で『私』は聞く。

 無論カゲルは花火になど目もくれず、目の前の『私』という、自らの狂気に気づいていない存在に戦慄していた。


『だってさ、考えてみてよ。巫女なんていっぱいいるわけだし、一人二人死んだところで別にどうってこと無いじゃん』

『……』


 絶句。

 まさに、そんな顔だった。


『なによりさ』


 神という存在は人より上に位置している。故にどうしても人間という矮小な存在、とりわけ個人に対しての情や価値観は冷酷かつ残酷なものになるはずだ。──そんな神であるカゲルでさえ、目の前の『私』に対しての違和感を拭えなかった。


『私はいっぱい人間を救える、あの巫女はちょっとしか人間を救えない』


 確かに、人間が一人二人死んだところでなんの問題もない。

 そこは多かれ少なかれカゲルだって思っているはずだ……だが、私には分かる。彼が恐怖を覚えているのは、彼女のその態度にあった。


『できないやつができる私を邪魔するのって、それはつまり私が救えたはずの人間を見殺しにしてるのと同じだと思うの』


『私』は正義を確信していた。

 多くの人間を救い、数多の祟神や妖魔を斬り伏せる力を持っている自分こそが優先されるべき存在であり、それを邪魔する有象無象は総じて悪に他ならないのだと。


『祟神は全員殺したし、村の人間たちもまぁ生きては……いたと思うし、何か問題あるの?』


 吐きそうだ。

 私の中の何かが吐瀉物として溢れ出しそうだった。

 なまじ同じ意識と思考を共有しているため、それらは無理矢理にでも理解できてしまう。気持ち悪い、きもちわるい。


 善とは、常識に基づいた道理を通すこと。

 悪とは、常識を理解した上で道理に反し、我欲の赴くままに振る舞うこと。


 正反対に思える双方でさえ、共通点として常識の理解がある。


 善人は自らの行いが善であることを自覚し、悪人は自らの所業が悪であることを自覚している。

 多かれ少なかれ、そこに誇りや負い目を感じずにはいられないのが人間という生き物だ。──故に、『私』という存在は例外であり異物でしか無かった。


『……ちょっと、先に帰るわ』

『なんで? 花火、カゲルが見たいって言ったんでしょ?』

『……ごめん』


 そう言ったきり、カゲルは逃げ去るかのように森の奥へと消えていった。

 『私』は彼を目で追いはするものの、その背中を急いで追いかけるようなことはしなかった。……心配どころか、微塵も気にしていなかった。


『……はぁ』


 頬杖をつき、夜空に浮かぶ光の花を見つめる。


『来るんじゃなかったなぁ』


 星の光を塗り潰している、無駄に金が掛かった人造の星の光を。







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