「第三十四話」『私』と友達との約束
『もとはといえばあなたが悪いんでしょ!? 乙女の髪を躊躇なく引っ張るとか信じられない! もっと恥を知れ恥を!』
どうやら『私』は相当ブチギレているらしく、三つ編みにした長い髪をブンブン振り回しながら、まるでこの世の終わりを儚むような顔をしているカゲルを威圧していた。
『……自分で自分を乙女とか、引くわー』
『えっとねカゲル。それは今私の腰に差してあるのが刀だってことを分かった上での発言なの?』
『いや冷静に考えてみろよ。鬼やら祟神やらが雪崩みたいに押し寄せてくる『百鬼夜行』を単独でぶっ潰すようなお前を、他に誰が女として見れるんだよ』
『他に? じゃあ、カゲルは私のこと女として見てるってこと?』
『──ん、んなわけねぇだろ』
それもそっか、と。『私』は笑顔でこの話を一気に終わらせた。何の疑問も追求もなく、まるでそんなことには興味など全く無いとでも主張するかのように。
いや、そこはちゃんと問い詰めろよ。疑問も持てよ、違和感持てよ。
見ろよあの赤くなってる耳。あんだけ赤くなってるならアイツの顔面はきっと今頃日が出るほど真っ赤っ赤になっているに違いない……あの野郎、私と話す時はあんなウブな顔しなかったくせに。ああそうかい、どうせ私はご先祖様に負けるぐらいの顔面しか持ち合わせていませんよーだ。
『そ、そんなことよりだな』
『うん?』
顔を右斜後ろにそらしながら、カゲルは『私』に対して一枚の紙切れを渡してきた。その上には墨による達筆で字が綺麗に細かく並べられていた。
『……新聞? 以外だ、あなたってこういうの読んだりするんだね』
『ちげーよアホ。内容だよ、書いてある内容をとりあえず読むんだよ』
なんだか今日のカゲルは神様っぽくないなぁ、なんて思いながら『私』は紙の上に綴られた内容に目を通した。……なになに? 明日の夜、太陽への感謝を捧げるべく花火が数百発、隣町の河原で打ち上げられる。
『ああ、花火? そういえばもうそんな季節かぁ、暑くて忘れてた。……それで、これがどうかしたの?』
『いや、その、だな……お前、その。明日って何も予定入ってなかったよな? そうだよな?』
『──へぇ〜?』
『私』はなんとなく、目の前にいるキザったらしい白髪の神の思惑が理解できた。そうか、そうかそうか……こいつがわざわざ露骨に『私』の予定を聞いてきた、しかもこんな紙切れをわざわざ用意して渡してきて……なるほどね?
『な、なんだよ。……予定あんのか?』
『べっつにぃ〜? 無いけどぉ?』
『……へぇー』
『……』
いや、来いよ。
言ってこいよ、おい。
なんでそんな俯いてるんだよ馬鹿。ただ単純に『明日俺と一緒に花火を見てください』って言うだけだろうが、こいつはアレかひょっとしてひょっとしなくても相当な馬鹿なのではないだろうか? いやいや、何をそんなに俺はやりきったからあとはもう大丈夫だみたいな顔してるわけ? 言っとくけど『私』はそんなに優しくないしなんならもっと君を弄り倒して楽しむつもりだぞ?
そうか、そういうつもりか。
ならばこちらにも考えがある。──徹底的に揺さぶる。考える隙も、恥ずかしさに手を引っ込める余裕も無くなってしまうほど乱暴に。
『……あーあ、誘われるかと思ってたんだけどなー!』
『……』
『でもそういうつもりじゃないならしょうがないなー。まぁ、でも? 私って美人だからどうせ他の男の人に山程誘われるしぃ? その中から適当にかっこいい人を選べばいいかな〜?』
『なっ、ちょっ……おい待て!』
掛かったァ!
『なぁに? なんか私に言いたいことでもあるのかな〜?』
『てん、めぇ……足元ばっか見やがって、こちとら神だぞ!?』
ニヤニヤとした余裕の笑みを敢えて崩さない。
ここで『私』が下手に反応してしまえばカゲルはまず間違いなく突っ込んでくる。そうなれば彼の中の会話方針は完全にそっちへと切り替わってしまい、彼が『私』に対して言いたいであろう言葉は妥協の末に引っ込んでしまうだろう。
『言いたいことがあるなら、はっきり言いなよ』
それは実につまらない。
こういうありきたりな友人との味わい深い交流を、みすみすただのふざけ合いに格落ちさせることなど絶対に許されない。
『……あのなぁ』
歯噛みしたような、むず痒いような表情で『私』を見下ろしてくる。
『……その』
いつもであれば高く大きいその背丈の差は、今は同じ目線……それどころか『私』の方が有利なんじゃないかと思うほどに縮まっているような気がした。神と人間の格の違いがどうだこうだ言ってはいるが、結局こいつは『私』が大好きなのだ。唯一無二の『友人』として。
『……花火、一緒に見に行こうぜ』
『──っ!』
やばいやばい、と。思わず『私』は向き合った顔を右に逸らす。
危なかった、本当に危なかった。こんなドロドロに溶けた氷のような腑抜けきった顔、今のこいつには絶対に見せるわけには行かない。
今の今まで煽り弄り倒してきたからこそ、そこに蓄積された不満や鬱憤は計り知れない……万が一にも彼にこの顔を、『私』を辱める最高の素材を提供してしまったのであれば、それは最早形勢逆転どころの話ではなくなる。
ちなみにこれは別に勝ち負けとかではない。……無いのだが。ぶっちゃけここまで来たなら最後まで優位を取ったまま話をシメたい。
『い、言っとくけどな! ……俺は、そこの近くにある美味い団子屋が気になってるだけであって、別にお前がいてもいなくてもどっちでもいいんだ』
一瞬だけツンデレを見せたかと思いきや、すぐにいつもの澄んだ顔に戻りやがった。この野郎、あんだけ面白い恥を散々晒しておきながら、この期に及んで神様気取りか?
『だけどな? 俺って存在そのものが他の神とは比べ物にならないような特別な存在だろ? そんなのがいきなり町に出てきたら、そこにいる人間どもは目ん玉飛び出るだろ? うっかり生贄として身を捧げられても困るし……だから俺はお前を連れて……』
ん? あれ?
どうした、なんでその醜い言い訳を急にやめるんだ友よ。『私』はもっと君が抱く『私』への抑えられない親愛と神としての威厳、その間で揺れ動くその様を見たいのだが?
『やめだやめだ、こんなことしてても何の意味もねぇ』
何を言っているのか分からず、『私』はただただ困惑の中で興が冷めていっていた。カゲルはそんな『私』の方にゆっくりと近づいてくる。何やら神妙な雰囲気を漂わせながら、真剣に一切のふざけもない……神としての、厳かさを感じざるを得なかった。
『なぁ、ツバキ』
『な、なに……?』
『俺はお前を大切に想っている。多分、誰よりもそうである自信があるんだ』
だから。そう言って、カゲルは私の両肩をしっかりと掴み、言う。
『明日、俺と一緒に来てくれるか?』
『──ぁ』
分かってはいた、が。
その美しさは、威厳は、存在としての完全とも言える洗練された美とは。
あまりにも人間離れしていて、思わず見惚れてしまっていた。
彼はその心に隠していた想いを、『私』に対しての正直な気持ちと願いを打ち明けてくれた。恥じらいを捨てて、神であるはずなのにわざわざ同じ目線で。──既に覚悟は捧げられた。ならば、答えなければ無作法だ。
『……うん、いいよ』
『……!』
『ありがとうね、正直に言ってくれて。……私も、あなたのこと大好きだから!』
カゲルはそう言うと、一気に顔を真っ赤にした。多分『私』もアレと同じぐらい真っ赤になっているのだろう……さっきから心音が五月蝿すぎるし、体全体がどんどん熱くなっていく。
何も特別なことはしていない、正直に気持ちを伝えただけだ。
なのに、こんなにも熱く頭がぼうっとして……何より、嬉しい。
『……俺もだ』
そう言って、カゲルは優しく笑った。いつものような強張った表情ではなく、太陽のように暖かく丸くて優しい目で。
『明日、日が落ちる頃……またここで会おう。そしたらゆっくり、ゆっくり歩きながら……花火を見に行こう』
『……うん、明日ね! 大丈夫、絶対行くから!』
カゲルはまた顔を微笑ましく綻ばせて、『私』に手を振りながら夜の闇の中へと消えていった。最後までゆっくりと、しかししっかりと手を振っていた……完全に彼が消えた森はとても静かで、木々を揺らす風が穏やかに吹いている。
地から木々へ、木々から空へ、空から星へと視界は舞い上がっていく。
そこに広がっている数え切れないほどの星たちが、無邪気に光を放っていた。
『……大好き、かぁ』
ああ、その通りだ。
『私』はカゲルが、天翳日蝕神という神が大好きだ。
化け物みたいに強いところも。
格好良かったり面白かったりするところも。
たまに素直になってくれるところも。
『嬉しいなぁ』
全部、全部大好きなのだ。
たった一人の、かけがえのない友達として。
『うふふ、うふふふっ』
その事実が、共有できたこの熱く温かいこの想いが死ぬほど嬉しかった。だから多分気の所為なのだ、明日は何の予定も約束もない……大丈夫、あったとしてもそれは多分どうでもいいことなのだろう。
だって、『私』は。
大切な人との約束を破るなんてこと、絶対にしないのだから。
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