「第三十二話」落ちぶれ巫女の覚悟


『用が無いならさっさと出ていけ、あっても早く出ていけ』


 今思い返しても、あの時のアマテラスの顔は実に不機嫌そうだった。自分が不快な思いをしているということを誤魔化しも隠しもせず、開き直ってそうであると思いっきり主張していた。


 神様としてあれはどうなんだろうか。そう思いながら、私は神殿から外に出た。


「うわぁ……真っ暗だ」

「しょうがねぇだろ、お前ほとんど丸一日あそこで寝てたんだから」


 カゲルの言うとおり、私は襲撃者に連れ去られてからあの神殿でめちゃくちゃ寝ていた。昨日の夜の時点から次の日の朝に目覚め、そこから昼まで血の気の引くような時間を神の御前で過ごし……そして、今日の夜に追い出されたのである。


「いくら顔面ぶん殴られたからとはいえ、あんだけグッスリ寝られちゃあこっちも気が抜けちまうってもんだ。お前が呑気に寝てる間、俺が睨みを利かせてたんだぜ?」

「面目ないです……」


 寝ないで自分を守ってくれていたことが嬉しいのは、申し訳ないがちょっと内緒だ。カゲルには感謝しているし、この気持ちも伝えたいと思っている……だが、今は違う。決して恥ずかしいとかそういうんじゃなくて、そう、来たるべき時を模索しているのだ。


(ん? そういえば……)

「……ねぇ、カゲル」

「ん?」

「なんでいるの?」


 素朴な疑問。何気ない疑問。

 しかしそれを聞いたカゲルの表情は、何故か曇って俯いた。


「……俺のこと嫌いか?」

「えっ!? あー違う違う! そうじゃなくって、なんで用も無いのにわざわざ姿を顕してるのかなーって、思って……その」

「んぁ? あーそういう?」


 丸まっていた背中がピンと伸び、元のキレイな姿勢に戻る。改めて見てみるとこの神様、足は長いわ腕も長いわ華奢なくせに筋肉はあるわ……あれもしかして、もしかしなくても私の神様ってば、とんでもなく美形なのでは?


「……別にいいだろ」

「何その反応、気になるじゃない」

「教えるほどのもんじゃねぇから言ってるんだよ。ほら、さっさと……っておい!?」


 私の問から逃れようとするカゲルを先回りし、その目の前に立ち塞がる。本人も私の奇行に驚いたのか、反射的に後ずさりをしていた。


「教えるほどのもんじゃないなら教えなさいよ! だいたいアンタね、そういう意味深な言い方に一番興味を持っちゃうのが人間なのよ!?」

「何言ってんだお前」

「わかんない!」

「分かっとけよそこは」


 自分でも相当馬鹿なことをしている自覚はある。時間だって無駄にはできないことも重々承知している。──それでも、私は知りたいのだ。カゲルという神のことを、私が知らないその内面を。


「とーにーかーく! カゲルが用もないのにわざわざ無駄に私の霊力をタダ食いする理由を聞くまで、私はぜっっっっ……たいにここを動かないからね!?」

「はぁ!? お前ふざけるのもいい加減に……」


 声を荒げようとしたカゲルだったが、徐々にその険しい表情が緩んでいく。

 それはまるで溶けていく氷のように、ぬるく、微かに冷たさを帯びながらも丸くなっていた。


「……ホント、全然大した理由じゃねぇぞ?」

「いいからさっさと教える!」

「……はぁ」


 心の底から這い上がってきたようなため息をつくその姿に、心労に苛まれる父が重なった。脳裏に家族の顔が思い浮かび、私は直ぐに大丈夫だと自分に言い聞かせた。


「……歩いてみたかったから」

「は?」


 ポリポリと頬を人差し指で掻きながら、カゲルは目を逸らした。


「歩きながら、お前と話してみたかったんだよ。ほら、お前ら人間って姿を顕してないと会話できないだろ? だから、その……悪かった。勝手にお前の霊力使っちまって」

「……いや、別にいいけど。うん」

「っ……おい引くな! そこはかとなく距離を取るな目を逸らすなおい! こちとら言えって言われたから言ったんだぞ!? あんまりだ!」

「だって落差が! 抱いていた印象との落差が激しすぎるんだもん! 悪巧みとか対久怨のための特別な切り札〜とか、私てっきりそういう深い理由があるのかと思ってたから……でも蓋を開けてみればなんだかすごく可愛い理由だったじゃない!?」

「悪いのか!? それ俺が悪いのか!?」

「悪くないけどさぁ!」


 なんていうんだろう、この気持ち。

 正直、自分が今ものすごく興奮しているというのだけは分かる。頭の中真っ白だし、いろんな言葉や妄想が行ったり来たりしていて目が回りそうで……でも、悪い気はしない。それだけは間違いない。

 それより、むしろ。


「そういうのはぁっ! ……もっと、早く言ってほしかったんだよね」

「なっ、なんでだよ」

「だって、カゲルが顕現するための霊力って私が出してるじゃない? あんまり無駄遣いしちゃうといざって時に使えないし、そもそも私ってそんなに霊力が多いわけじゃないし……それに」

「それに、なんだよ」

「そういうのって、ちゃんと言ってくれたほうが嬉しい……から」


 あっ、駄目だ。

 今、絶対、カゲルの顔なんか見れない。っていうか今の自分の顔を見せられない。


「……っ!」

「あっ、おい!」

「早く行くよ! もう、本当にくっだらない理由過ぎて呆れちゃったじゃない!」

「はぁあっ!?」


 とにかく前へ、間違っても並走だけは避けようと小走りをする。

 少なくともこの頬が熱く脈打つ内は、彼の隣を歩くことなんてできない。──恥ずかしすぎて、できるわけがない。

 辱める側だったはずなのに、いつの間にかその立場は危うく逆転しかけていた。あちらが向ける感情は彼だけのものではなく、私もまた、彼に対して向けているものだったのかも知れない。


「ちょっ……待て、待てって!」

「待たないっ! 大体ね、今は呑気に話なんてしてる暇無いの! 三日以内にあの怨霊女をぶっ飛ばさないとゥワぁっッ!?」


 突然、袖を思いっきり引っ張られ、足回りから体勢が崩れる。

 後頭部から倒れ込んでいくその勢いは最早殺すことができず、受け身を取るにも間に合わない……思わず目を瞑った所で、私は後方のカゲルに受け止められた。


「ちょっと、いきなり……」

「その、すまん」


 いやなんだよ、その顔。

 こんなに素直に謝るような、素直な性格ではなかった。交わした言葉も過ごした時間も思い返せば少なかったかもしれないが……それでも私は拭いきれない違和感を、『らしくない』というズレを彼に感じずにはいられなかった。


「……どうしたの?」


 零れ出た問いに、カゲルは直ぐに答えなかった。まずは抱きかかえていた私からそっと手を離し、そのまま一歩、二歩下がっていく。その足取りは実に重く、隠しきれない後ろめたさが露見していた。


「……ごめん」

「いや、怒ってるとかそういうのじゃなくて。ホントどうしたの?」


 正直、心配になってきた。先程のふざけた感じの声色ではなく、切羽詰まった感じで、少しずつ追い詰められ精神を削られたような、そんな叫びのような声だったから。

 強張ってしまう表情をどうにか朗らかに崩しながら、私はカゲルに笑いかけた。


「……本当に、話がしたかったんだ」

「えっ? いや、でも。それって今じゃなくても──っ」


 目元にかかった白髪から現れたその目は、黒く深く濁っていた。今まで私が見てきた彼の目は、獲物を求め血に飢えた獣のようなものだったはずだ。

 なのに、なのに。

 今の彼の目には野心が、それどころか深い貫禄を携えた覇気が無かった。


「俺には今しか無いんだ」


 頼み込むように、いつものような力づくでは無い別の方法で。

 同情を誘うように、哀れみを懇願するかのように。


「遅かれ早かれ、俺はお前から引き剥がされる。アマテラスの野郎がやらなくても、俺を疎ましく思ってる輩はいくらでもいるんだ」


 ああ、そうだ。

 正気を保っていても、友好的であっても……カゲルが、目の前にいる頼もしい神様が、どう足掻いても祟神であるという事実だけで、民衆は彼を忌み嫌い排除しようとする。


「俺はお前と話がしたい。いつかバレて失望されるよりも先に、自分の口で言いたいことが沢山あるんだ」


 言葉が出なかった。

 それは一見、神としての死に対する恐怖のように思えた。これから赴く地にて久怨と戦い、その最中で私が殺されることにより……彼の存在そのものを知り、信仰する存在が消えることを恐れている。そのように、思えた。


「なぁ、いいだろ?」


 だが、今だから分かる。

 むしろ答え合わせを見ているような奇妙な気分だ。思えば久怨とそれが操る祟神の群れと戦った時も、天照大御神の御前でも……それどころか、親父に契約を解消しろと迫られた時や、彼が私の呼びかけに応えたあの時でさえ。


「お互い、これで最後かもしれねぇんだからさ……」


 彼は、こうやって怯えていたのかもしれない。

 信じた誰かに、いつか裏切られるかもしれないという恐怖に。

 差し伸べられ、嬉々として掴んだその手の主が、他に疎まれ非業の死を遂げるかもしれないという心労に。


 今にも泣きそうで、ひどく辛そうな顔だった。

 それはまるで涙を堪えながら親の名前を叫び続ける、迷子の小さな子どものようだ。


「……分かった。聞くよ、カゲルの話」

「っ……!」

「でも、最後じゃないから」


 気持ちはとても良く分かる。これから自分たちがしようとしていることは、つまり失敗の先に待つ未来がそういう暗く目を背けたくなるような結末だということである。──逃げ出すこともできない、便利な裏技なんて存在しない。よくある夢物語のように必ずしも幸せな結末が迎えられるわけでもない。


「私達は久怨を倒す。必ず二人で倒して、絶対に二人で帰るの」


 だから、どうした。


「──」


 それは不可能に近いだけだ。断じて『不可能』という絶望に塗れた可能性ではない。

 それは難題なだけだ。断じて『無理』という諦めるしか他に道がないような鬼畜ではない。


「……そうだな」


 震えていた頬が緩んでいく。

 怯えていた足がしっかりと地に根を張る。


「行こう」


 そう言って前を往く背中は、幼い頃から見てきた親父とは違って……しかし、それに負けず劣らずの頼もしさ、安心感があった。


「……ええ!」


 もう、昔の私じゃない。

 前を往く背中を追うだけじゃない、背負ってもらうだけのお荷物ではない。

 覚悟なんてとうの昔に決めた。──あとは、死ぬ気で明日をもぎ取るだけだ。





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