「第三十話」太陽神の睥睨


「お前の言いたいことは、まぁおおよそ理解した」


 不満そうに、腹を立てて拗ねた子どものように口を尖らせていた。若干威厳が損なわれているようにも見えるその顔は、逆に言えば親しみやすく愛らしい……ようやく見た目通りの印象を抱くことができた。


「しかし全く持って解せん。姿を顕してから今まで人間に契約を求めたことは無かったが、まさかこの我の初陣が断固拒否に終わるとはな」

「空から見下ろしてばっかだから偉そうに見えるんだ。……いやぁそれにしても傑作だった! まさかブン殴る以外でここまでスッキリするだなんてな!」

「……ただまぁ、非常に困った」


 ゲラゲラと笑ってくるカゲルを睨みつけながら、アマテラスはため息をついた。


「これでは、我は本当にお前達を殺さなければならない」

「……ッ!?」


 その存在感を受け、一瞬でも気を抜いた自分の愚かさに腹が立った。そうだ、自分の目の前にいるのはこの国で最強の神であり、私と私の家族に害があるかもしれない存在なのだ。──本来ならば、会話の機会なんて無いはずだった。問答無用で殺されていてもおかしくない。


「先刻の契約にはそういう意味もあったんだ。諸悪の根源の命を繋ぎ止めているお前が、契約先を我に鞍替えすることにより、そこの厄神は信者不足で再び消え失せる……そういう計画だったのだが」

「『まさか、この私との契約を断ってくるような理由と意志を持っているとは思わなかった』……大方そんなとこだろ?」


 口を挟むカゲルをアマテラスはきつく睨みつけた。今直ぐにでも殴り合いになりそうなピリついた雰囲気、既にアマテラスは拳を握りしめているし……さっきから、カゲルは一体何がしたいんだ?


「別に、今直ぐ貴様が消えれば済む話なんだ。ここで我が直接貴様を葬っても良い……お前が今もその姿を顕せているのは、我の慈悲でしか無い」

「いいや違うね、俺を生かしてるのはヒナタだ。それに俺はお前じゃ、獲物にブルってる程度の小心者じゃ殺せねぇ……」

「貴様……!」

「──」


 今にも弾け飛びそうだったアマテラスの怒り。それが、カゲルの擦れたような声で鎮まっていく。……いいや、どちらかというと冷めたようだった。炎に対し水をかけたときのように、あまりにもあっけなく冷めてしまっていた。


「……お前、まさか」

「お前にも一泡吹かせようと思ってたんだけどな、さっきの茶番でスッキリしたしやめたよ。よかったな、ほんと。俺とまた殴り合うハメにならなくて」

「……」


 空気が。

 重い。


(……なに? このお互いになんとも言えない沈黙は)


 カゲルの擦れた一言を皮切りに、どんどん雰囲気がどんよりとしていっている。

 すらりと伸びていたはずのカゲルの背骨は曲がり、常に上がっていた視線は地面へと垂れ下がっている。

 アマテラスも侮辱に対してはとことん憤っていたくせに、カゲルにあれだけ言われても無言のまま。ただただ下を見ているかゲルの脳天を見つめ、口をもごもごと動かしうねらせている。


「……お前が我を殺す理由がなくとも、我には貴様を殺さねばならない理由がある。だから……」

「──『杜門久遠』」


 アマテラスの瞳孔が、開く。

 今度は先程のような複雑なものではなく、純粋に驚いていた。


「か、カゲル……?」

「ここ最近、あちこちで神が祟神になってるんだってな。いいや最近なんてレベルじゃねぇな……もう隠蔽ができない規模で被害が出てる、そうだろ?」

「……」


 アマテラスは黙っていた。そして焦ってもいるように見えた。カゲルの一挙手一投足、唇が震える度に響く言葉、それが語る何かに対して。


「どうりでここにいる巫やら巫女が少ないわけだ。いくら手練れを送りこもうが誰も帰って来ない、その上そいつらが契約していた神が祟神になって取り込まれちまってる……そうだろ?」

「だったらどうした。これから我に殺される貴様がそれを知った所で何になる? 我にそれを教える義務はあるのか? 教えた所で何の利益がある?」


 返答を求めていない連続の問いは、アマテラスが発するあまりにも巨大な神気を、それから成る威圧感をさらに強めていた。座した状態からゆっくりと、ゆらりゆらりと揺れながら立ち上がる。


「それとも何だ? 死を迎えるまで生きるはずだった彼ら彼女らを死地に送り込んだ我への当てつけか? 自分の手足を動かさず事を成そうとしている我への正論か? ──頭に乗るな、古き神よ。かつて貴様が翳らせていた人の世は、既に我が照らし導いたことを忘れたか?」


 もういい、と。アマテラスはバキバキとその華奢な指先を鳴らし、神気と共に拳を握りしめる。──私は悟った。次に瞬きをするよりも先に、ここら一体は吹っ飛んでいると。


「この世に太陽も、それを司る神も二つも要らぬ。貴様を嬲り殺したその後は、神々を喰い物にしている妖魔モドキに天誅を下す。──来るがいい、黒い太陽の神。白き太陽の神として、今こそこの因縁にケリをつけようじゃないか」

「バーカ、そんなことして何の意味が──」

「問答──無用ッ!」


 ふわり、浮遊感を覚えるような感覚。

 その正体は、爆発的になだれ込み吹きすさぶ神気の風……まさに神風が起こす爆風によるものだった。──白く光り輝く熱を帯びた拳が、残光を描きながらカゲルの顔面に吸い寄せられていく。


 死ぬ。

 余波だけで、死ぬ。


「カゲ──」

「落ち着けって、マジで」


 だが、カゲルの対応は実に簡素なものだった。ただ首を横に倒すだけ……そこから彼の首元から顕れた黒い炎が、余波である神気の風を受け止め霧散させていく。たったそれだけ、されど洗練された彼の行動により、神気を束ねた風の一撃は虚空を掠める。

 次の攻撃が来ることも、何故か無かった。


「……馬鹿にしているのか」

「年上が年下煽って何が悪いんだ。ってか、まずは俺の話を聞け。聞いた後で殴り合いがしたいならいくらでもやってやるから、まぁまずは聞けよ、神だろ?」

「えっ、でもカゲルだって神様じゃ……むぐっ!?」


 唇が急に縫われたかのように閉じていく。カゲルから向けられる目線から察するに、「とりあえず今は余計なこと言わずに黙ってろ」とのことらしい。

 今の両者の間に割って入ってまで怒りを訴える勇気は私にはなかったため、一歩引いてその様子を見守ることにした。


「……いいだろう、言ってみろ」

「うし、じゃあ言うぞ。──見逃してくれ、頼む」

「は?」

(えっ?)


 アマテラスも、私も思わず声が出た。

 聞き間違いか? 

 いいや、聞き間違いなんかじゃない。

 この神は、天照大御神にその実力を認めさせるほどの力を持った神は懇願したのだ。何の躊躇いも、言い渋ることもなく。


「聞こえなかったか? 殺さないでくれってお願いしたんだ」

「……驚いたな。驚いたが、それだけだ。頼まれたからはいそうですか分かりましたじゃ何の筋も通っていない」

「勿論タダで見逃してくれなんて言うつもりはねぇよ。それ相応の働きはさせてもらう、これなら筋が通ってるだろ?」

「我が貴様に求めるのは唯一つ。この世からの消滅、この国に訪れる真の平和だ」

「へぇ、平和ねぇ。信仰する神様がいつ祟神になるか分からないようなこの国って、あとどれだけ努力すればそれに辿り着けるんだろうなぁ?」


 アマテラスは再び黙ることを決め込んだ。

 その顔に怒りがある。しかし殺意は無く、むしろ後ろめたさのようなものを感じなくもない……淡々と言葉を並べていくカゲルに苛立ちを覚えながらも、それを暴力で抑え込もうとはしない。


「当ててやるよ、太陽神。今のお前には杜門久遠……いいや、大怨霊久怨を抑え込むだけの力が無い。そうだろ?」

(えっ?)


 流石に的外れな指摘なのではないかと思った。

 だって、天照大御神は最強の神だ。いくら対等に対峙しているとはいえ、その神気には十倍近い差が開いているのがまず分かる……申し訳ないが、この化け物にカゲルが勝てる未来が想像できない。


 加えて、カゲルは久怨との戦闘で互角以上の奮闘を見せた。あと一歩の所で仕留められるほどには力がある。──カゲルは久怨より強く、そのカゲルよりもアマテラスは強い。


 矛盾だ。

 カゲルでも勝てるかもしれない久怨を、カゲルよりも確実に強いはずのアマテラスが倒せないはずがない。


「……いや、違うな。どっちかっつーと、抑え込むことはできるが、したくてもできないってとこか?」

(??? できるけど、したくてもできないって……?)


 カゲルの発した言葉の意味がわからない。文章に内包されている意味が初めから破綻しているし、つまりそれは、結局『できない』という結論に至ってしまう。やっぱり矛盾だ、おかしい。


 だが。


「……ご名答、正解だ」

(えっ?)


 しかし、アマテラスは俯いた。

 悔しそうに、カゲルを睨みながら。

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