「第二十九話」落ちぶれ巫女の本心
「……」
アマテラスの顔は、差し伸べられた手は、微動だに動かない。
しかし実際は違う。
良く見れば表情筋はぴくりぴくりと引きつりながら、指先は小刻みに震えながら……双方とも若干痙攣したかのように、しかし大きくは動かない。
「……我と──」
「嫌です」
言い終わる前に、ヒナタが叩き落とす。
暫くの沈黙。
アマテラスは未だに差し伸べた手を引っ込めないまま、徐々に訝しげな表情に歪みながら問う。
「……一応聞く、何故だ?」
「だって、する意味が無いじゃないですか」
ヒナタはそれが当然だと言いたいように、何の冗談も遠慮も無く言い放った。
アマテラスは勿論、そう転ばなければ命の危機に瀕するカゲルでさえも理解できない答えであり、余りにも異質で理に適っていない態度であった。
気でも狂ったのだろうか、と。
アマテラスは眉を顰めながら、なにか困ったものを見るようなヒナタの目を見る。
やはりそこには何の迷いも後ろめたさもなく、きちんと正気であることが分かる。そうであると、揺るぎない真実がその奥にはあった。
気味が悪い、と。
アマテラスは素直にそう思った。
人間とは欲深い生き物だ、神としてその存在を顕す前も後もそうだった。
道端に小判が落ちていれば躊躇いなく拾って自分のものにし、善悪よりも我欲や利益を優先する……そこに命のやり取りがあったとして、天秤に乗せる命が自分のものでないのであれば、それは同様だ。
「する意味がないというのは、どういうことだ?」
ましてや此度の天秤にかけられた命は、他人どころかヒナタにとって害ある存在が持つものだ。
例えるならそう、持っていたら災いをもたらすような不吉な品を、巨万の富と取り替えることができるような……そんな、人と人の間ではどう足掻いても成立し得ない狂った等価交換なのだ、これは。
「決まってますよ、そんなの」
なのに。
「私にとって、あなたは必要ないから」
「……ほう」
アマテラスの表情に、怒りがチラつく。
今まで向けたどの怒りよりも強く、熱く、周囲の神気を震わせるほどの殺意も交えた静かなる激情。
それでも、先程とは打って変わってヒナタは怯えない。
退かない。
ただ、向けられる怒りと同じか……それ以上の確固たる意思を持って、その目を真っ直ぐに見つめていた。
「確かに、貴方は強い。沢山の信仰があって、この国になくてはならないような大切な存在で……それこそ私なんかが契約するには、勿体なさ過ぎるぐらいの」
「謙遜で不要という言葉は出てこないだろう。お前は我を不要だと、そこにいる穢れた祟神よりも劣ると……比較において、我を下手に回したのだぞ?」
それなりの答えを出せ。
暗にそう要求、命令するアマテラスは、例えるのであれば爆発寸前の爆弾のようなものだった。
焚き火の近くに転がったそれは、少し炎が揺らぐだけで一触即発……今はかろうじて溢れ出てはいないものの、生半可な答えでは容赦なく爆ぜることを選ぶだろう。
「……カゲルは、選んでくれたから」
「あ?」
アマテラスは遂に怒りを言葉に乗せた。
ふざけているのか、殺されたいのかという意味の威圧が、その言葉一つ一つ……唇が震え音を発する度に向けられる。
「神楽も、弓も。巫女ができなきゃいけない全部ができない私を、選んでくれたから」
それでも天道ヒナタは物怖じしない。
例えそれが、この国において最強たる神の怒れる御膳であろうと。
「私が死にそうな時、助けて……って。自分でも聞き取れないぐらいのちっちゃな声を聞いて、ちゃんと助けてくれたから」
「馬鹿かお前は、それはそいつの自分可愛さから成る自己防衛でしか無い。たった一人の人間の信仰に生かされてるそいつがお前を助ける理由なんて、お前が一番分かって──」
「だったら、助けてあげたいんです」
「は?」
怒りが揺らぎ、その奥に若干の困惑が見え透ける。
それは若干の恐れを交えていた、得体の知れない人間、それが発する狂った回答に対する……一片たりとも理解できないという、恐れ。
「百年、いや……もしかしたらもっと長い間、カゲルは一人だったと思うんです。自分を信仰してくれている人たちが、覚えてくれている人が全員いなくなっちゃうぐらい長い間……ずっと、一人ぼっちだったと思うんです」
天道ヒナタという女は、自らが狂ったことを考え、そしてそれに伴う凶行を実行しようとしていることを自覚していた。──自覚した上で理性を、道理を、人間が追い求める自己利益を踏み倒した。
「祟神になるぐらい人間を恨んで、恨み続けて……それでも私を助けてくれたんです」
何のため? そんなの、決まっている。
「そんなにされちゃったら、助けたくなっちゃうでしょう?」
天道ヒナタは狂っている。
長い間、家族と呼べる他者とのすれ違いや、不要だの無能だの言われ続けたことにより、自らの存在を自己肯定できなくなっていた。──故に、彼女は他者からの承認を強く求める。
異常なまでに、しがみつく。
「私はカゲルを、私を必要だと言ってくれる恩人を見捨ててまで、歴史に名を残したくはありません。仮に残したとしてもそれは恥です、裏切ったことへの……人としての、恥なんです」
「──」
アマテラスは言葉を失っていた。指二本がはいるほどに口を開け、とんでもないものを見るかのようにヒナタを見ていた。
「……お前」
揺るがない、退かない。
故に恐ろしい。
「やっぱり、イカれてるよ」
かといって自分に酔って浸っているわけでもない。
彼女の言葉はどうしようもなく、本心だった。
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