「第二十七話」落ちぶれ巫女と処刑人の刃
蒼空の如き青く長い髪、白雲のように白い肌。
幼女のような体躯や丸みを帯びた顔立ちは、実に愛らしく好ましい。……もしも目の前にいるのが、本当にただの子供であったのであれば、私はそう思っていただろう。
(天照、大御神……!?)
開けた視界の向こう側、少し歩けば手が届くぐらいの距離に座しているそれは、幼女として愛でるにはあまりにも次元が違いすぎて、抱いた愛玩欲はものの一瞬で恐怖へと早変わりした。
不敬な思考を巡らせてしまったこと、その思考が読まれればどうなるのかと想像すればするほど、身体の震えが止まらなかった。
「……ぁ」
「ほう、我の前で正気を保つか。風神の巫女は耐えられなかったが……なるほど、まだまだ天道家は捨てたものじゃないらしい」
するり、と。羽衣に隠れていた華奢な両手が現れる。──ぱちん。
「ひっ」
「その胆力は称賛に値する。腕っぷしだけなら努力でどうにでもなるが、その蛮勇は生まれ持った人間の特権だ」
それがただの拍手だと、私への称賛だということは分かっていた。
分かっている、はずなのに。震えが止まらない、呼吸が激しく上下する、視界が霞む、冷や汗が止まらない……直視、できない。しかし瞼を閉じることもそっぽを向くこともできず、私はただただ頭の中が真っ白だった。
「恐怖は実力を鈍らせる。本来ならば勝てるはずの敵であろうと、恐れてしまえば絶対に勝てん。……奴もそうだったからな」
遠い目をしたアマテラス。そのなんとも言えない表情は、まるで雲に覆われた太陽のようで……妙に思わせぶりで、そのおかげで少しだけ気が紛れた。
呼吸を整えよう。息が、苦しい。
「ああ、本当に惜しい。優秀な人材に限って、どいつもこいつも危ない爆弾を抱えてやがる」
ため息。
不満そうに項垂れた後、見上げるかのごとくだらんと……顔を上げ、淡白な笑みを浮かべる。
「──お前も、そう思うだろう?」
「……?」
私……では、なかった。背後、その不気味な笑みは私の後方に向けられたものであった。
誰に向けて? 振り返り、そこに佇む誰かを見る。──そこには。
「ッ……!?」
地面に突き刺さった一本の柱を見た。黒く、陽光を吸い込み怪しく輝くそれは……石なのか金属なのかはたまたそれ以外なのかも分からない。──そんなことより、その柱には人が括り付けられていた。見覚えがあって、ありすぎて、そんな……あれじゃあ、なんで……!
「親、父……!?」
飛び出そうとして、思いっきり床に顔面を打つ。鼻っ柱に走る鈍い痛みが、自分の手足が縛られているという事実を思い出させた。──無力。そんな言葉が、脳裏にちらつき始めた。
「まぁ、その。なんだ?」
「──ッ!」
芋虫のごとく身を捩りながら、私は再度アマテラスの方を向く。恐怖は忘れた、死への恐れはとうに消え、代わりに抑えきれない怒りの衝動だけが燃え盛っている。
「フーッ……フーッ……!!」
「驚いたな。私を恐れない巫女は少なからず存在したが、そのような殺意と怒りをぶつけて来たのは……小娘、お前が初めてだ」
「なんで親父がここにいる!? ライカはどこだ、まさかフウカにも……!?」
許せない、絶対に許せない。
私だけならまだ良い。ライカを巻き込んだことには、どうにかして目を瞑った……だが、これが譲歩できる怒りの限界値だ。父を、もう一人の妹を巻き込んで……許さない、許さないッ……!
「──やめろ、ヒナタ」
声。背後からの声。
親父の声……ってことは、まだ生きている。
「……親父?」
何故、あんなに落ち着いているんだ?
私もライカも、もしかしたらフウカも傷つけられたかも知れないのに……どうして、どうしてあんなに落ち着き払った顔をしているんだ? まるで、なにか遠い何処か、もしくは誰かを見つめるような目だった。
「安心しろ、ヒナタ。ライカもフウカも、今は安全な場所にいる」
「……そう、なんだ」
妹二人の無事、それが分かったことで私は少し安堵する。
だが、消えない。
早まる鼓動が、まだ何かあると告げている。
私はそれが、なんだか恐ろしいもののように感じた。あの人が言おうとしていることを聞きたくない、聞いてはいけない、と。私の直感が訴え叫び続けていた。
だが、私にはそれを止めるだけの手段がなかった。
「天照大御神殿、そしてそれに使える至高の巫、巫女の皆様方」
縄が自然に解けていき、親父は黒い柱から開放される。
「この度は、我が不肖の娘である天道ヒナタが、祟神との契約という禁忌を犯したこと……深く、深くお詫び申し上げます。──その上で恩情を与えてくださったこと、誠に感謝いたします」
従って、と。親父は逃げる素振りも態度も見せず、その場にゆっくりと座り込む。
それと同時に刀を腰に差した男がゆっくりと横から歩いてきて、親父の横にピタリと並んだ。
「この天道巌、我が娘天道ヒナタに向けられるべき罪……その全てを我が命を以て償わせていただきます」
親父……天道巌という漢が深く、深く頭を下げた後、横に立っていた男が刀をゆっくりと抜き放ち、切っ先を天に掲げた。
「……いや」
振り下ろされる白刃。
下げたままの頭で、ただ一言。
「悔い無し」
「いやぁああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
地を這ってでも進もうとする私。間に合え間に合えと、自分でも何を叫んでいるのか分からないまま身を捩って動かして足掻いた。
それでも、振るわれる刃は早い。
処刑人の刃は、そのまま肉を貫き鮮血を滴らせた。
幼い頃から、親父の背中がかっこいいと思っていた。
褒めてくれない直ぐ怒る親父は嫌いだったけど、剣術の稽古をしているときの父はかっこよかった。傷一つ無く、逃げも隠れもしたことがない……無敵に思えたその背中を。
でも、ある日を境にそれが、もっと格好良く見えるようになった。
街に出かけた時のことだ。茶屋で頼んだ饅頭をたらふく食べ、代金を支払おうかと懐に手を突っ込んだその時……私は、家に金を忘れたことに気づいたのだ。
あろうことか、魔が差した私は食い逃げをした。後で払えば良い、逃げてしまえばどうにでもなる……当然幼く非力な私は店主に捕まり、鬼のような形相で迫られた。
金を出せ、出せないのなら……店主がそう言いかけた所で。
「何をしているッッ!」
見物に集まった野次馬共を押し退け、たまたま外出をしていた親父が発した声だった。
私は安心した。親父が代金を払ってくれる、そうすれば全部丸く収まる……顔を真っ赤にした親父は、そのままたじろぐ店主の目の前に立った。
ぱちん。
ひっぱたかれたのは、私の頬だった。
なんで? と、困惑の中に渦巻く悲しみ……その場にしゃがみ込み、怯えていた私。
しかしいつまで経っても次の平手打ちがなかったので、私は恐る恐る目を開けた。
そこには、店主に対して深く頭を下げる親父がいた。
しっかりとした声で、申し訳ない……許してやってくれ、と。必死に、本当に必死に頼み込んでいた。店主が慌てふためき許すと言うまで、親父は頭を一切上げようとしなかった。
今まで見てきた、かっこいい背中ではなかった。
寧ろカッコ悪かったし、失望したと言っても過言ではない。……そんなことを思いながら家路についていると、親父は突然立ち止まり、振り向かずに言った。
「怪我は、無いな?」
しばらく何も言えなかったし、意外すぎて声がでなかった。
その後親父は、私の返事を待たずに再び歩き出した。いつもの足取り、いつもの速度……何ら変わらない背中が、いつも通り私の前で揺れていた。
いつか、自分も誰かにこんな背中を見せられるようになろう。
そう思いながら、私は大嫌いだけど誰よりも尊敬していた親父の背中を追ったのだ。
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