「第二十三話」『私』の友達、そして契約

 目を開けると、そこには見渡す限りの地獄絵図が広がっていた。


 切り捨てられた妖魔、その亡骸から溢れ出る血濡れた臓腑。

 いくつもの血溜まりの中に沈んでいる魑魅魍魎共は、一匹残らず静かに息絶えていた。


 それを見て感じたのは、恐怖でも戦慄でもない。

 何があったのだろう。

 常識から乖離していく意識の中で、疑問を抱いた。


 足元で死んでいるのは鬼だろうか? 


 鬼。 

 そう、鬼だ。


 人を容易く引き千切り、鉄を引き裂く怪力。一匹でも現れれば街一つを消し飛ばすほどの脅威、神すらも殺す生まれながらの大妖魔。


 そんな規格外の化け物が、片腕片足を失い、体のあちこちを切り裂かれた見るも無惨な姿で転がっている。 

 隣にも鬼、その奥には祟神……妖魔、神。或いはそれらに似て非なる恐ろしい何か。


 例外なく、死んでいる。


 血が滴り落ちる断面は美しかった。

 断面の肉が潰れておらず、綺麗な桃色や赤色を見せていた。

 それがあんまりにも綺麗で気持ち悪くて、目を背けたくて。


 私は、気づく。

 自分が剣を、天叢雲剣を握っていたこと。


 何よりその黒光りした美しい刀身に、べっとりと赤色がこびり付いていたことに。


『やっぱバケモンだな、お前』


 聞き覚えのある声が、耳に入り込んでくる。

 振り返るとそこには、積み上げられた妖魔の死体の上に胡座をかくカゲルがいた。


 私は声の主の名前を叫ぼうと口を開く。──だが。


『……私は、人間』


 口が意図しない形で動く。

 舌は口内で踊り回り、頬は好き勝手に収縮し、唇は節操無くうねりながら開閉を繰り返していた。


 自分としての意識はあるのに、自分の体が動かせない。

 なんとも言い表しにくく奇妙な状態の中、『私』とそこに現れた白い神の会話が続く。


『いいや、お前はバケモノだ。なんたってお前はこのイカれた『百鬼夜行』……それを作り上げていた数千にも及ぶ妖魔やら祟神を単騎で殺しきった』

『……』


『私』は彼の指摘に口を閉じた。

 傍観している第三者からしたら、なんて頭のネジが飛んだ会話なんだろうと叫びたくなる。


『私』は心底興味がなさそうに、所々遠くの空を眺めていた。

 目の前にいるのが最悪にして最強の神であることを知った上で、その危険性を理解した上で……まぁなんとも、自らの命にまるで執着がない。


『力が強かったり普通の人より動けるのは認める。でも、私は人間だ』

『違う、俺が言ってるのはそこじゃない』


 首を傾げる『私』は混乱していた。

 無論、私も意味が全く分からない。

 この『私』の人間離れした身体能力、殺戮者としての有り余る才能……それを除いてしまえば、『私』はただの年相応の少女だと思うのだが。


『んじゃあ、お前に一つ質問をする』

『なぁに?』

『なんで一人で殺ろうと思った?』


『私』はポカンとした。


『……そんなの、決まってんじゃん』


 そして自分で自分を指差し、言い放つ。


『私一人で殺ったほうが、被害も費用も少なくできるし、何より時間を節約できるでしょ?』


 そこに冗談はなかった。

 ただ淡々と、当たり前で当然だとそう思わせるような……『私』が抱いている自分自身の持つ強さへの信頼、いいやここまで来るとただの自覚と言うべきだろうか?

 とにかくこの少女は恐ろしいことに、この妖魔やら祟神の軍勢を最早敵として見ていなかったのだ。


『……ははっ』


 無自覚の狂気に満ちた回答に、神は口の端を上げた。


『国一つ殺すバケモノの集団を、一人で全部纏めて殺す。その方が効率がいいってか?』


 乾いた笑みは、最早表情が持つ本来の意味を果たしていない。

 それは『私』に向けた訝しげな目であり、同時にそれは最大の称賛として取ることもできた。


『そういう考えに一切の違和感無く辿り着き、命を惜しむこと無く涼しい顔でやってのけるお前は──』


『私』に向けられた人差し指。


『もう十分、バケモンだよ』

『……』


『私』はしばらく、向けられた人差し指を睨みつけていた。

 だが握っている剣を振るうことも、振るうような素振りも見せない。


 彼女は分かっていた。

 目の前にいる白い神は、自分が今まで殺してきた有象無象とは比べ物にならないほど強く、桁違いで、人も神も妖魔も敵わないような力を持て余しているということを。


『いい顔だ。ああ、それでこそ人間だ』


 乾いた声で嘲笑い、白い神は死体の山から血みどろの地面に足を付ける。

 肌も髪も何もかもが白い身体が赤く染まっていき、私は反射的にそれを美しいと感じていた。


『俺はお前を気に入った、興味だってある。──契約だ。お前の鏖殺は、実に躊躇いがなく清々しい』


 紙に墨がゆっくりと吸われ染み込んでいくように。

 悪鬼羅刹の骸、そこに滴る穢れた血が、むしろ白い神を激しく恐ろしく彩っていた。


『願え、バケモノ。お前は俺に……太陽を喰らう天翳日蝕神に何を願う?』


 威圧感。

 半端な願い、答えを差し出せば即座に死へと直結する。

 実際に対峙していない私でも、この状況がいかに危険で恐ろしいかが分かる……無いはずの鳥肌が立ち、無いはずの歯がガチガチと鳴り響いている気がした。


 だが。


『……じゃあ』


『私』は、どうやらそうではなかったらしい。


『私と、友達になってくれる?』


 その目はあまりにも輝いていて、希望に満ちていて。

 とてもとても、殺意と血に塗れた乱神に向けるものではなかった。


『……お前、名は?』

『私は……』


 嫌悪感、予想外の回答。

 様々な情報や感情に押し流され、私の意識は『私』から切り離されて遠くへと流されていった。


『私は──』


 向かう先は、あまりにも眩しい水面。


 息が苦しい。

 早く、早く呼吸をしなければ。


 もがいて。

 もがいて。

 そして私は、ようやく目を覚ました。

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