「第二十二話」落ちぶれ巫女の激情


「崇神の巫女が家族思いとは、なかなかに残酷なものだな」


 祟神。恐らくカゲルのことだろう。

 

 だが、変だ。

 カゲルと契約したことはまだ他の巫女や巫たちには共有されていないはず。

 このことを知っているのは父と、ライカとフウカの妹二人だけ。

 

 情報が漏らされたとは考えにくい。

 こいつ、どこでそれを知った?


「……」


 どの道、こいつはここで殺さなければならないだろう。

 私は腹を括り、剣の柄を握り直す。


 一歩間合いを詰める度に、襲撃者は二歩後ろに下がる。

 どうやらあちら側から仕掛けるつもりは毛頭無いらしく、受けに回ろうとしているらしい。

 堅実で、強者にしか選択できないような不安定な選択で……しかし決まれば確実に相手を葬れる恐ろしいものだった。


 怖い、と。

 素直に思った。

 

 剣を魔物以外に向けるのは初めてだったし、しかもその相手が自分を遥かに上回るような手練れときた。

 まともに戦えば勝てる見込みは少ないし、かといってライカを置いて逃げるなんてできっこない。


 そうなれば、私が取るべき選択はただ一つ。


「どういうつもりで襲ってきたかは知らないけど……」


 湧き上がってくる怒り。

 卑劣、鬼畜の所業。

 それに対する激情は、私の太刀筋から迷いを取り払った。


「私の妹を傷つけようとした報い、バッチリ叩きつけてやるんだから!」


 剣を地面スレスレの位置に構え、そのまま前方に向かって飛びかかる。

 低く、低く……迎撃しようにも余りにも早く足元に近いこの攻撃は、即座に対応させてやるほど甘い代物ではない。


「ふぅっんッ!!!」

「良い太刀筋だ。だが──」


 手首を返し、剣を振るう。

 しかしそれは当然のように右に避けられ、背中に殺意が突き刺さる。


「遅い」

「──ッぅ!」


 太刀筋の確認をする間もなく、運に任せて前方に飛び込む。

 身を捻り着地、追撃に向かってくる斬撃を即座に受け止め、弾き、どうにかして体勢を立て直す。

  

 金属音。

 手首が痺れるほどの衝撃が伝わり、双方は距離を取る。


「巫女は白兵戦が得意ではないはずなのだが、そこは流石天道家といったところか。そこらの侍とは比べ物にもならないな」


 称賛のつもりか? よく言うよ、剣速も一撃の重みも足運びも、何から何までお前のほうが上のくせに。

 正直、今こうやって首が繋がっているのは奇跡だと思う。

 

 いや、もしかしたら瞬きした瞬間に首が切り落とされているかもしれない……いやぁ笑えない。

 本当にあり得るのだから、実に笑えない。


(一気に勝負をつけるには、やっぱり)


 手汗で蒸れた柄を握る。

 何故か知らないがその胸の内は、病床で苦しむ母の袖を掴み、行かないでと泣き叫んだあの時と同じだった。


 今、死ねば。

 もしかしたら、死んだ母に会えるかもしれない。──だけど。


(……ごめん、お母さん)


 今一度、目の前の脅威を睨みつける。


(私、まだそっちにはいけない!)

「だァァあああああああああっっっっ!!!」


 雄叫び。

 威圧というよりは、自らを鼓舞するような意味合いが強かった。


 飛び出してから脳裏を掠め飛び交う不安が後を絶たない、しかし今更そんなことを考えても遅い。──斬るか、斬られるか。 

 

 この一太刀で、決着を付ける!


「……!」


 迎撃に振るわれる横薙ぎの太刀。

 角度や剣速的に避けられないものではないが、避けた後の隙はかなり大きい……となれば、避けた後の一瞬。

 懐に潜り込んだその瞬間に、私は決定打を叩き込まなければならない。


 刃が迫る。

 切っ先が煌めく。──首を倒し、髪が削られるような紙一重で躱し切る。


(突っ込む……!)


 はらりはらりと舞い落ちる自分の髪、その向こう側に見える無防備な脇腹。

 私は握っていた剣を手首ごと返し、滑るように突っ込んだ。


「っ、あぁあああっ!」


 滑り込んだ刃は浅く、しかし確実に両足の付け根を切り裂く。


「!?」


 怯んだその隙、生じた絶好の機会を逃すまいと足を払う。

 ぐらり、と。

 無理に踏ん張ろうとしたことで重心がずれてしまい、そのまま横に倒れていく。

 

 無論、まだ終わっていない。


「これ、でぇ……」


 転倒したとしても追撃は終わらない終わらせない。

 倒れゆく胸ぐらを掴み引っ張り、そして。


「終わりだァ!!!!!!!!」


 重心が傾くほどの体重移動。

 全体重を込め、顔面に一発拳を叩き込み殴り倒す。

 地面に叩きつけ、すかさずその鼻っ柱に切っ先を向けてやった。


「はぁ、はぁ。……あんたの、負けよ」

「……」


 襲撃者は鼻血を垂らしながら、仰向けの姿勢で私を睨みつけていた。

 負けたにも関わらず生け捕りという屈辱的な仕打ちを受けたことに対する武人の怒りか、はたまた別の目的を達成できなかったことへの不甲斐なさなのか。


 まぁ、どちらにせよ関係ない。

 私はこいつを許さないし、此度の凶行に釣り合うような相応しい罰を与えなければ気が済まない。

 そうだな、まずは顔面殴打三十発……いいや、木にでも括り付けて素振り用人形として半殺しにするのもアリかもしれない。


 自分でも、なんて残酷なことを想像しているのだろうと思ってしまう。

 だが、それでも、私にはこの怒りが間違っているものだとは思えなかった。

 だってこいつは、私の大切な妹を……ボロボロで動けないようなライカを、不意打ちで殺そうとしたのだから。


 むしろ、ここで怒り散らさず何が姉だ。

 そう言い切ってしまえるほどには私は自分のこの考えと激情に自信を持っていた。


「……ふ、ふふっ」


 怒りに身を任せて拳を振るおうとして、襲撃者の男が笑った。

 嘲笑うように、勝ちを確信したかのように。

 

 有り得ない。

 こいつ個人が完全に詰んでいるこの状況にある中で、私に一矢報いることなど絶対にできないはずなのに。


「……何がおかしいの? 殴られすぎて頭おかしくなっちゃったってワケかしら?」

「いいや、別に?」


 男は、更に深く口角を釣り上げた。


「俺を殺すことが、お前の目的なんだなと思うと……なぁ?」

「──ッ!?」


 うなじの辺りに広がる寒気。

 冗談だろと願いながら振り向くと、そこにはライカ……そして彼女の首筋に刃を押し当てている男が立っていた。


「ライ──」

「敵に背を向けんじゃねぇよ」


 再び振り返ろうとしたが、それすらも読まれていた。

 鼻っ柱に鈍い衝撃が走り、地面に倒れ込む。

 

 ぐわんぐわんと揺れる頭を抑えながら、握りしめていた剣を杖代わりに立とうとする。──しかし、立てない。


「く、そっ……」


 視界が霞む。

 思考がぼやける。


 不意打ちの一発。

 圧倒的優勢だと思い込んでいた私は、地面に顔を埋めた。

 

 それはそれは無様に、滑稽に。


(……ライカ)


 伸ばした手が、男の腕の中でうなだれた妹に届くことはない。

 無力、無能、無価値……今まで堪え、流すまいと呑んでいた負の感情が、目尻から頬にかけてを静かに濡らした。


「……ごめん」


 そこで、私の意識を繋ぎ留める糸は千切れた。


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