「第二十一話」落ちぶれ巫女と手練の刺客
沈みゆく夕日、徐々に濃く深い黒紫に覆われていく空の色。
暗くなる前に家につくのは無理そうだ。
ライカを背負い歩きながら、私はそんな沈みゆく黄金を眺め思った。
傷は大きかったものの、どうにか塞ぐことはできた。
ちょっとやそっとの衝撃で傷が開くことはないだろうし、安静にしている限り命の危険は無い。
とはいえ、だ。
(……あの黒巫女、多分死んでない)
久怨と名乗るあの女が、一体どういう意図や目的があってライカや私を殺そうとしてきたのかはわからない。
だが、私達だけでは絶対に敵わないような脅威が、一度私達に明確な殺意とそれに伴う凶行を突きつけ、それがまだこの地の何処かに潜みながら息をしている……警戒を怠らない理由としては、この事実だけで十分だ。
「……」
今思い出しても、震えが止まらない。
人間が放ってはいけないほど禍々しく濃い妖気と怨念、それに伴う力は最早、古に語られる大妖魔に匹敵するのではないかと思ってしまうほどである。
それに加え神、しかも本来ならば従うはずのない祟神……それらの複数同時使役。
契約とか、対等とかそういうものではない。
あれは支配だ。
格上の存在が、格下を存在ごと掌握して操り、自らの手足として思うがままに操る……あれは人間がやっていいことではない。
いいやあれは、正道の巫女だろうが外道の黒巫女だろうが、どうやったってできっこない。
そんな人間離れした芸当をしてみせたあれは、人間ではないのだろう。
人間と呼ぶには余りにも破綻していて。
神と呼ぶには余りにも恐ろしすぎて。
妖魔と呼ぶには、余りにも知性が……歪み、狂った意思が強すぎた。
この世のどれにも当てはまらない。
しかし、あれは確かに人間ではない。
そしてそれは、決して人間が戦っていいものではない。
(もし……)
私がカゲルと、あの規格外の祟神との契約を結んでいなければ。
ライカはあのまま祟神の群れに嬲り殺され、無力な私は数の暴力にねじ伏せられる。
抵抗なんて考えられないし、そもそも意識を保っていられたかどうかも自信がない。
あの時、あの悍ましい怪物にわざわざ近づき、立ち向かうために剣を振るうことができたのは、きっと心の何処かで『いざとなったらカゲルが助けてくれる』という根拠のない事実に寄り掛かっていたからだろう。
事実そうだった。カゲルは二度も私を助け、ライカを治療するための時間をたんまりと稼いでくれた……たった一人で、あの数の祟神を尽くねじ伏せ、それらを操っていた久怨を撃退した。
「……助けられてばっかだな、私」
言っても何も変わらない。
そんなことは誰よりも分かっているはずなのに、こぼれてくる言葉を止めるだけの気力が、今の私にはなかった。
神と契約して、家宝の剣も託されて、認められたと勘違いしてしまっていたのだろうか? 自分はようやく対等なのだと、才能に溢れる妹たちと肩を並べ、世を乱す悪鬼羅刹を狩り、荒ぶる神々を命懸けで鎮める……そんな、そんな誰もが憧れるような存在に、なれたと思っていたのだろうか。
そんなことはない、と。
今日を乗り越えた。いいや、乗り越えさせてもらえた今だから分かる。
(これじゃ全部、カゲルのおかげじゃん……)
分かっていた、全部。
それでも、自覚するのが悔しくて……どうしても認めたくなくて。
ようやく妹たちとも仲良くできるかもしれないと思っていたのに。
ちゃんと素直に父の顔を見ながら、仲の良い親子っぽく笑い合えたかもしれないのに。
嫌だなぁ、と。
堪えていた涙が零れそうになった。
その時だった。
砂利を蹴る、擦れたような音が背後から聞こえたのは。
「──ッ!?」
両足に力を込め、道の右側に飛び込む。
背負っていたライカの重みがふわりと軽くなり、私はごろりごろりと土手の坂を転がり落ちた。
「っ……ライカぁっ!」
打ち付けられた体の痛みよりも、あんな状態で放り出された妹の心配が先行した。……大丈夫、息もしてるし特に傷が開いている様子もない。
幸いにも坂の下が畑だったため土が柔らかく、衝撃を上手く和らげてくれたのだろう。
安堵。
そして直ちに腰に差した柄を握り、黒光りした輝かしい神剣を抜き放つ。
ギィン!
刃と刃がぶつかり合い、鋭い金属音と衝撃が周囲を迸る。
「っ、ぁあっ!」
押し返し、そのまま肩から体当たりをぶちかます。
分が悪いと踏んだのか、そいつはすぐさま後方へ跳び、衝撃を和らげると共に間合いを仕切り直した。
(こいつ、できる)
互いに互いの隙を伺いながら、夜闇の向こう側に潜む襲撃者を睨む。
「天道ヒナタってのは、お前のことだな」
その全貌は捉えられないものの、足運びや構え……何よりこの落ち着き払った様子。
「とりあえず今からお前を拉致る。異論も、もちろん抵抗も許さん」
そこから『手練れ』だという判断を下すのは実に簡単で、同時に恐ろしかった。
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