「第十九話」タタリガミの食事

「……」


 久怨が抱くのは恐怖。

 桁違いの存在への恐れ、何がどうしてここまでの格差を作り出したのかという……理不尽なまでの実力差への、怒りを漂わせた不満と畏怖。


「……っ!」


 久怨が次に取った選択は『逃げ』だった。

 しかしただ背中を向けて走っても結果は決まっている……故に、彼女は追撃者であるカゲルの行く手を阻む『壁』を、周囲を埋め尽くすほどの祟神を一気にけしかけたのである。


「……おい」


 無論、その全てが一騎当千の力を持つ祟神。

 並の巫女や神などではどうしようもない程に理不尽な、暴力の荒波。


「逃げんなよ」


 それすらも、鬼神の如き白い神は真正面からねじ伏せる。


「──『天喰』ッッ!!」


 彼の揺らぐ怒りは黒い業火へ移り変わり、焚き付けるだけ焚き付けた無責任な女に突っ込んでいく。

 しかし当然、それらは受け止められる。質と数、双方を兼ね揃えた怨嗟渦巻く異形の肉壁によって。


「洒落臭ェ!!!」


 黒い炎を握りしめ、拳を突き出す。

 その瞬間、拳の中の黒炎が吹き荒れ弾け飛ぶ。

 黒い炎を携えた風は両者を隔てる肉壁を灰燼として一蹴し、その視界を清々しいものとして拓いた。


 塵と共に吹きすさぶ爆風が、神の白髪をなびかせる。


「くぅぉぉおおおおんっっっつつヅヅッッ!!!!!!!!!!!」


 その奥には、獲物を見定める狩人の目があった。


「……ッ!?」


 久怨は振り返らず、ただ走り続けた。

 その途中、虚空より呼び出した龍のような祟神……その背に乗って空へと舞い上がる。


 無論。

 それを黙って逃がすほどカゲルは甘くない。

 

 彼の中で渦巻く怒りは、久怨の放った何気ない一言とは……理性で抑え込んでいた彼の愛憎を完全に解き放ってしまったのだ。


「逃さねぇよ」


 四方八方から迫る祟神になど目もくれず、カゲルは自らの足に力を込める。

 前傾姿勢。

 その角度、血走った眼が捉えているのは、龍の背に乗った不届き者の背中。


「……!!」


 短く、小さな呼吸音。

 それを合図に、カゲルは空へと躍り出る。

 

 彼は別に特別なことはしていない。

 ただ、己の足裏に黒炎を収束、爆発させ……それと同時に爆発的な脚力で地面を蹴った。

 それだけの話だ、彼は……タイミングが少しでもズレれば即座に両足が吹っ飛ぶような芸当を、怒りに囚われた状態で難なくやってのけたのだ。


 その甲斐あってか、神の凶手は龍の尾を掴んだ。


「なっ!? お前、どうやって……」

「舐めんなよ人間。思い出させてやるよ……空中ってのはな、元々俺の独壇場だってことをよぉ!」


 掴んだ龍の尾を軸に、振り子のごとく身をよじる。

 そのまま更に高い空……そこから、こちらを見上げる獲物を見下ろす。


「懐かしいな」


 落ちる。いいや、突っ込みながら神は笑った。


「空からテメェらを見下すなんてよぉ!」

「──舐め、るなぁッ!」


 虚空より現れる穴、そこから放たれる錆びた鎖。 

 カゲルを四方八方から突き刺そうとするそれらは、防御や回避など考えることすらできないような範囲と速度の迎撃だった。

 空中にてまともな身動きができないカゲルは、この攻撃への受けは不可能だと判断した。

 

 故に、彼は拳を握りしめる。

 黒炎を、全てを焼き尽くす炎の拳を。


「──『天喰』ッッ!!!」


 真下に振るわれる黒い拳。

 そこから爆ぜる淀んだ爆撃が、一直線に向かってくる鎖を吹き飛ばし、そして霧散させていく……その余波は迎撃した久怨にも少なからず届き、顔面の左側面を焼いていた。


「なァ……ッ!?」

「余所見してんじゃ……ねぇッ!」


 足裏から放つ黒炎。

 それが生み出す推進力により、カゲルは流星のごとく久怨へと突っ込んでいく。

 火傷に怯んだ彼女に迎撃の手段も、新たな祟神を呼ぶ時間も残されていない。

 

 詰みだ。

 カゲルは歯を剥き出しに、目を見開いて獲物を見定め、そして。


 がしっ。


「……は?」


 掴まれた。

 そう認識する頃には、あと一歩で届くはずだった拳が顔面から引き剥がされていく。


「……じゃあな、黒い太陽の神」

「──」


 額に血管を浮かび上がらせた獲物が、龍の背からカゲルを見下していた。

 

 衝撃。

 カゲルの背中に走った衝撃は、彼自身に自分が引きずり降ろされたことを自覚させた。


「……」


 空を見ても、もう既に龍の姿はない。

 恐らく、他の祟神の能力か何かで移動したのだろう。

 気配も、あれだけ充満していた吐き気を催す妖気も薄まっている……近くには、もういないだろう。


「……そっか」


 むくり、起き上がる。

 息つく間もなく襲いかかってくる祟り神の群れ。その最前を片腕で薙ぎ払う。

 近くの祟り神は塵と化したそれを見るなり、囲っているはずの白髪の神から一歩、二歩と……後退るかのように距離を取っていた。


「おい、お前ら」


 しかし、それは恐ろしく低い声によって止められる。


 祟神には意思がない。

 魂も、誇りも……しかし、白髪の神の一言は、祟神たちの中に残る数少ない要素、それを最大限に掻き立たせ煽ることで、敗走を禁じた。


「……なんか、久々に暴れたから腹減ったな」


 そう、それは。

 何の変哲もない感情、喰われるという恐怖だった。


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