「第十七話」タタリガミと黒巫女

 白髪の神は其処に佇みながら、太陽が隠された空を見上げていた。

 薄暗く、僅かな光のみが漂う……そんな、本来ならば自らの力でしか成し得ないような、常軌を逸した黒い天空を。


 神の視線は、それをやってのけた異常者へと向けられた。


「相変わらずご執心だな、お前も」


 神は皮肉った賛辞を、呆れたように送った。


「お前が言うと、自虐にしか聞こえん」


 土埃に塗れた巫女装束を揺らしながら、久怨は森の奥より現れる。


 山をも抉るカゲルの一撃を受けても尚、当然のようにその身に傷はなかった。

 彼女を中心に渦巻く妖気、それが彼女の細い肉体を守ったのである。

 それはそれは並大抵の神であれば、即座に発狂するほどの穢れを抱えた肉体を。


「どういうつもりだ」


 久怨が投げかけてきたのは言葉だった。

 敵意に満ちた攻撃ではなく、殺意に満ちた疑問。

 彼女の秘めた怒りは、かろうじて理性によって抑えられているように感じられる。


「……まぁ、ただの親切心? 俺はただ、落ちこぼれのガキの世話を——」

「ツバキを誑かした上に小娘に情を移すか」


 重圧。

 彼女がその身に纏う妖気が収縮と膨張を繰り返し、一種の波を生み出した。

 疾く、鋭く、浴びた存在を戦慄させる狂気の波を。


「……」


 人間であれば泡を吹いて倒れるような狂気を浴び、カゲルはふと気づく。

 彼女のそれは質問ではなく、糾弾であった。

 溜め込んだ怒りが単純な炎としてではなく、じっくりと、じっくりと炙っていくような……一刻も早く葬るというものではなく、できる限り地獄の苦しみを味あわせてやろうという、明確な害意を持った洗礼だ。


「手に入れ、受け入れられ……愛されて、なぜ」


 絶えぬ怨嗟の炎。

 そこに焚べられる薪は彼女の憎しみであり、妬みであり、怒りであり……こびりついた油のような悲しみであった。


「なぜお前はあいつを裏切った。なぜあんな小娘に鞍替えをしている」


 伏せた顔を、糾弾者である久怨はゆっくりと上げる。──その目からは赤黒い涙が、白い頬を伝って滴り落ちていた。


「やはり、神は人を愛せない」


 妖気として成立するほどの怒り、それすらも跳ね除けた存在感を放つ感情の賜物。

 既に人としての垣根を超えているであろうそれは、今も尚進んでいて、堕ちていて……魂に穢れと呪いを溜め込み続けているのだろう。


「結局貴様は、自らを信仰する人間ならば誰でもよかったんだ」


 渦巻く激情の名は嫉妬。

 彼女が泥を啜り地べたを這いずって、それでも手に入れられなかった全てを持っている神への、殺意に似て非なる怨念。

 

 逆恨み。


「これでは、生涯お前を愛し続けたツバキの純情が報われん……」


 怨嗟を撒き散らす人の形をした何か、それの周囲より黒い虚空が現れる。


 其処より来たるは全て異形。

 死体を繋ぎ合わせた芸術作品のような……『死』や『呪い』といった言葉が真っ先に思い浮かべられ、その奥には矛盾した二極の感情が巣食っている。

 

 祟神。

 信仰を失い、命ある全てを怨み滅ぼさんとする災厄。


「殺してやる」


 吠える、泣き喚く子供のように。

 荒ぶる神々だった何かが、一斉に白い神へと向かっていく。

 異形の大顎、歪な剛腕、肉が腐り落ちた骨を繋ぎ合わせた触手……それら全てが、たった一柱の神を殺すためだけに差し向けられたのだ。


「……」


 後方、前方、右方、左方、上方。隙間なく迫る必殺共。

 あらゆる方向から迫りくる厄災の権現。その殆どが元は力のある神であり、祟神としてさらに力を得た化け物揃い……とてもとても、こんな優男に向けられるような戦力ではない。


 多勢に無勢。

 そのように見えた、が。


「ツバキが、純情? 俺が、アイツを裏切った?」


 乾き、しゃくりあげたような声が響く。──同時に巻き起こる黒い炎風。白い神を中心に巻き起こる黒い竜巻は、迫りくる祟神全てを焼き尽くし、吹き飛ばし……霧散させていく。


 黒炎に蝕まれながら、白い灰が降り落ちる。


「ふざけんなよ、お前」


 灰の王、いいや神は、その中心で燻っていた。



    

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