「第十六話」落ちぶれ巫女と黒巫女

 薄暗い暗雲の下、それよりもなお昏く灯る太刀筋が弧を描く。

 ずっぷりと滑り込んだ刃は肉を切り裂き、その奥に潜む骨すらも叩き切り、漂う妖気すらも焼き払う。

  

 黒く揺らぐ刃が空を薙ぎ、そして。


「……!」

(斬れて、ないっ……!?)


 首の皮一枚。


 今にも泣き分かれてしまいそうな頭部は、しかし言葉通りに繋がっていた。

 あと一歩でも踏み出していれば、あと一寸でも刃を前に出していれば斬れていたであろう命綱……いいや、まだだ!


「っ!」


 手首を返し、切っ先を首元へと向ける。


 一撃で決められなかったのであれば二撃目で決めればいい話。

 相手は死にぞこない、しかも目の焦点すら合っていない……今ここで仕留めなければ、こいつはライカに何をするか分からない! 


(──決めるっ!)


 首と頭を繋ぎ止めている皮へ、腕を突き出す。──だがその瞬間、無様にぶら下がっていた頭部が首に吸い寄せられ、肉の潰れるような音と共に凝着する。


 焦点が。

 目が、再び合う。


「……っあっ!」


 横薙ぎ、斬り上げ。

 至近距離からの斬撃をすんでの所で躱され、久怨は後方へ跳ぶ。


 深追いをすれば、次こそ確実に仕留められる。

 無意識から来る確信が、両者の絶妙な間合いに隠された危うさを見破っていた。


 そうだ、さっきだって危なかった。

 もしもカゲルが助けてくれなかったら、今頃私は死んでいた。


(……強い)


 天道家に引けを取らない体術もそうだが、この女を異質たらしめているのはそこではない。

 あの女が呼び出していたのは間違いなく祟神だった。

 しかもただの祟神ではなく、滅茶苦茶な恨みや怨念の気で力を増している異形。

 

 だが、そこでもない。


 どんなに力のある巫女であったとしても所詮は人間であり、魂は一人一つ。

 魂を通わせることで契約し使役できる神は原則一柱のみ……多くても三柱が限界なはず。

 にも関わらずあの女は、私が見ただけでも十二柱を操り仕向けてきた。──考えられるのは、ただ一つ。


「……アンタ、人間じゃないわね」


 黒巫女。

 人であることをやめた外道の中の外道。


 人間という枷を自ら外したことにより魂を変質させ、神だけではなく妖魔や祟神……とにかく力のある異形であるならば何であろうと我が物にしようとする堕落の修羅。


 妖魔と同じく巫女が倒すべき敵であり、呪いを撒き散らす癌でもある。


「……黒い」


 呟き。

 それだけで、身がすくむほどの圧力を感じる。


 奴は、私の剣に宿る炎を……カゲルがくれた炎を、ぼんやりと見ていた。


「……お前がいるということは、そうか」


 いや、違う。

 先程のアイツとはなにか違う……何だこれは、怒り? 恨み? 憎しみ? 

 でも、じゃあなんでアイツはあんなに嬉しそうに笑っているんだ!?


「……そうかぁ、そうだよなぁ」


 薄い笑みを浮かべながら、肩を震わせながら揺れるその女は、まるで全ての色の絵の具を混ぜたような感情を抱いていた。


「君が簡単に死ぬわけがない。そうだ、私がこんなになっても生きているんだ……化け物みたいな君が、生きていてもおかしくない。いいや、生きているべきなんだ」


 怒りの赤、悲しみの青、喜びの黄色、安らぎの緑、恐怖の紫、そして……恋情の桃色。


「会いたかった。ああ、ようやく会えた! 通じたんだ、私のこの想いが……願いが! クソッタレの神共をようやく動かしたんだ!」


 それら全てを混ぜ合わせ、その内のどれでもない黒ずんだ想いが、渦を巻いている。


 自分以外の全てを、真っ黒に塗り潰そうと躍起になっている。


「久しぶり、ツバキ」


 向けられた表情は、まるで。


「ずっと、君のこと考えてた」


 長い間探していた無くし物を見つけた子供のような。


「君とやりたいこととか」


 血の滴る獲物を見つけた捕食者のような。


「どうやったら君が生きたまま、私が君の心臓をしゃぶれるのかとか」


 長い間離れ離れになっていた恋人と再会した一途な乙女のような。


「どうやったら、お前とずっと一緒にいられるのか……って。それで私、思いついたんだ」


 笑う。

 嗤う。

 嘲笑う。


 その女は、私ではない誰かに向けて……とんでもない想いを以て口角を上げている。


「順番にやればいいんだ。一緒に遊んで、次に君の身体を外も中も隅々まで舐め回して味わい尽くして……最後に、私の中に入って一つになればいい」


 素敵だろう? って、その女は尋ねてきた。

 口が動かない。

 身体も動かない。


 なにかされた訳でも術をかけられたわけでもない。

 ただ私は、あの女が抱く掃き溜めの中の激物のような呪い以上のなにかに怯え、戦慄していた。


 濁っている。

 されど、それら全ては純然たる想いだ。


「もう一人にならなくていい、どこにも逃がさない! なぁにもともと私達は二人で一人だろう? じゃあ、魂まで混ざり合っても問題なんて何も無いんだ!」


 近づいてくる。

 逃げたい、なのに体が動かない。


「さぁ、まずは何をしようか!? ああ、ツバキ……ツバキ……!」

「……っぁあああっ!」


 剣を振るい、隙だらけの肩を掠める。

 怯んだ隙に蹴りを入れ込み……とにかく霊力を込めて吹っ飛ばす。

 離れてもなお、距離を取ってもなお……震えが、寒気が、嫌悪感が止まらない。


 鳥肌が立ち続ける私の体は、全力で眼の前の恐怖を殺せと、あるいは逃げろと叫んでいた。


「……そうだねぇ」


 肉の潰れた感覚がしていた、骨がひしゃげる感じもした……なのに、なのになのに!


「私達は、そういう仲じゃなくなっちゃったよねぇ!?」


 なんで、こいつは笑っているんだ!?


「っ……! なんなのよアンタ! 気持ち悪い!!!!」

「──は?」


 向かってきていた久怨の表情が歪み、再び後方に跳ぶ。


「……私を」


 何だ、何があった?

  いきなり攻撃をやめたが、距離を取るほどのものだったか? 


「……私を覚えていないのか? そんな、まさか……ははっ、そんなワケがないだろう? だって私は、お前の──」

「覚えてるも何も初対面よ!」


 最早怒りすらあった。


「私の名前は天道ヒナタ! 悪いけど私はアンタがご執心のツバキって人じゃないし、全くの別じ──」


 瞼を開ける頃には、目の前に殺意が在る。


 鬼よりも鬼らしく、その瞳孔を血走らせながら……「死ね」と、ただ一言囁いてきた。速度も何もかも別次元、駄目だ、避けられない。


 そんな私は宙に放り出された。あろうことか、カゲルの手によって。


「カゲル!!」

「『虚神楽』ッッ!」


 伸ばされた魔手が、黒い炎によって弾かれる。

 すかさず体勢を崩した久怨の脇腹に膝を入れ込み、直後に黒い火柱がその身を貫通する……河原を抉り、森に突っ込み、木々を薙ぎ倒しながら吹き飛んでいく。

 

 それを見届けた後に、私はカゲルに受け止められた。


「あっ、ありがと……」

「まだだ」


 そう言って、カゲルは私を地面に下ろす。


 その横顔は今までになく戦慄しており、眉間に皺を寄せ……全身から寒気がするほどの神気を醸し出していた。


 本気。

 聞かずとも、分かる。


「お前はあのビリビリ女を治療してやれ。アイツは、俺が殺る」

「えっ、でも……」

「早く行けっッッ!!」


 カゲルに気圧され、私は少しずつ後ずさる。


「アイツはお前じゃ勝てねぇ。てか、お前はアイツと戦っちゃあいけねぇんだ」


 早く行け。

 そう言いたげなカゲルに気圧され、私は少しずつ後ずさった。


 聞きたいこともあるし、文句だって山ほどある。

 でも今は、ライカの傷をどうにかしなければいけないのも事実だった。


「……勝ってね」

「当たり前だ」


 強張らせた表情を崩し、カゲルは笑った。


 私はその笑顔を信じる。

 信じて、背を向けて妹の下へと向かった。



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