「第十四話」落ちぶれ巫女と異物



「……やった」


 感触が残っている。 

 仮にも神をこの手で殺した、生々しい感覚が。

 

 あまりにも現実的過ぎるその感覚、長年夢に見てきたこの瞬間を……私は、ようやく手に入れることができたのだ。


「やったよ、ライカ……!」


 近づいてくる妹がぼやけて見えない。 

 私は泣いているのか? 

 そうか、嬉しくて泣いているんだ……ようやく、ようやく自分に課せられた使命を、果たさねばならない責務に向き合うことができたから。


「おめでとう、姉貴」

「うっ……ううっ、ありがとう……」


 お膳立てだったかもしれない。 

 漁夫の利だと言われてもしょうがない。


「ありがとう、ライカ……!」


 それでも、私は。

 今まで見送ることしかできなかった背中に近づけたこと、隣に立てるかも知れないという事実が、嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。


 ああ、ようやくだ。

 ようやく、私も。


 肺に重く、伸し掛かる妖気。

 舐め回すような無数の視線、芋虫が全身に這ってくるような嫌悪感。

  

 何かが、いる。

 ここに、いいやこの世に居てはならない何かが!


「ライ──」

「離れろッ!!!」


 庇おうとする前に、私は投げ飛ばされていた。

 ばしゃん、水の中に叩きつけられてもなお、体の震えが止まらない。

 

 いいや、今はそんな事を考えている場合ではない!


「……ぷはぁっ! ライカ……ライカ!?」


 立ち泳ぎのような状態で水面から顔を出し、周囲の異常さに気付かされる。 


 曇天。

 先程まで雲一つない快晴だったにも関わらず、今や空には周囲を暗く染め上げ、陽の光を遮る暗雲が立ち込めていた。


 いや。

 いいや、いいや!

 そんな事は、今は気にするべきではない。


「……」


 背後。

 先程まで自分が立っていた、地面。

 そこから聞こえる呻き声。


 何かが、いる。


 振り返ると、そこには異物があった。


 虚空に空いた黒い穴より顕れた何かの上半身。 

 それは、頭が鳥で体が人のような肉体を持っている。

 地面に空いた黒い穴より顕れた何かの腕。

 それは、所々が腐敗している剛腕である。


 他にも、他にも、他にも。

 妖気、怨念、負の感情。

 黒い穴から出で来たるそれらは、全てが怨念渦巻く祟神だった。

 

 そしてそれらは、寄ってたかって一柱の神……『雷神』ナルカミを拘束している。


「ぐっ……くそ、がっ」


 地に足を付き、口から血反吐を吐くライカ。

 彼女の契約している神であるナルカミ、その脇腹に剛腕の指が肉を抉って食い込んでいたことによる傷が、彼女にそっくりそのまま反映されているのだ。


 何が起きているかなんてわからない。

 だが、もしもこのままナルカミにさらなる攻撃が加えられれば、間違いなくライカは死ぬ。


「っ、ライカァっ!」


 手を動かし、足をバタつかせる。進め、進め!


「おやおや、これは嬉しい誤算だなぁ」


 視界の右端、そこに現れた女の人影。


 一度の瞬きの間に姿を見せたその横顔は、薄く笑っているように見える。 

 私より早く、私とは真反対の目的で進んでいく……それは間違いなく人間だった。頭の天辺から、つま先まで。


「まさか、この程度の霊力で『雷神』を従えているとは……いやはや、最近の神々は妥協を覚えたようだね」


 なのに。


「そこに関しては感心するよ、だが──」


 なんで、あの女を中心におびただしい妖気が渦を巻いているんだ?


「こんな少ない霊力では、満足に暴れられないだろう? だがもう安心するといい……これからはこの私、久怨がお前の主だ」


 女は、拘束されたナルカミの胸に手を伸ばす。

 その手は白く細く、天女を彷彿とさせるような柔らかさがあった……だが、それに対して「美しい」と心が震えることはない。

 そこに渦巻く怨念の深さが、見てくれでは庇いきれない醜さを醸し出していた。


 決して触れてはいけない。

 そんな不浄の手が、ナルカミの胸部に触れ──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る