「第十三話」落ちぶれ巫女と初任務
燦々と降り注ぐ陽の下、私達はただひたすらに歩き続けていた。
とっくに人里からは離れ、すれ違う人も数える程しかいない。
荒れ果てた、とまでは行かないにしろ、道が険しくでこぼことしていっているのは否めない。
いかにも妖魔が潜んでいそうな雰囲気だ、と。
そんな事を考えていると、私の先を歩いていたライカが立ち止まった。
「着いたぞ」
「ここは……湖?」
小石がゴロゴロと転がっている地面、それらが取り囲む静かな水面。
一見穏やかにも見えるそれは、しかし目が眩むほどの陽光を一切反射せず、ただただ暗い……底が見えないような深淵を感じさせた。
「依頼をしてきたのは近くの村の村長。なんでもここに洗濯やら水汲みをしに行った村人が、ある日を境に一人たりとも帰ってこないとかなんとか……だそうだ」
あんまり近づくなよ。
そう言いたげに、ライカは無意識に前に進もうとした私を止めた。
一歩下がり、水面を見つめる。
意識を集中させて視てみると、そこには微かに妖気が感じられた。
だが、それだけではない。
「……神気?」
「やっぱ姉貴も感じるか。この湖、多分土地神の住処だ」
土地神。
それは、近くにある村や集落の人間が、ある場所に対して集団で神の存在を信仰することにより、その場に限って顕現することができる守り神である。
主に自らを信仰する人間を守護したり、自らの住処である土地に加護を与えたり……その殆どに害はなく、寧ろ人間と共存する前提で存在しているものが多い。
にも関わらず、この湖からは妖気を感じる。
怨念じみた、守り神にあるまじき殺意を。
「なんでかは知らねぇけど、この湖の土地神は祟神になっちまってる。しかも相当な怨念と妖気を持って、だ。自分を粗末に扱った人間どもを、手当たり次第に湖に引きずり込んでるんだろ。──まぁ、祟神らしいっちゃらしいけどな?」
そう言って、ライカは私の背後……そこに姿を消して佇む神を見た。
黙認はしたが、やはりその存在と危険性だけは容認できないらしい。
「……まぁだからといって、好き勝手させるわけにはいかねぇんだけどな」
数秒にわたる威圧を終え、彼女はすぐに湖に向き合った。
「アタシが湖から祟神を引き摺り出す。姉貴はそこを狙ってくれ」
「う、うん。……気をつけてね」
当たり前だ。
そう言って、ライカはバキバキと指を鳴らしながら湖の方に近づいていく。
その背中は無防備で、圧倒的強者が放つ堂々とした立ち振る舞いそのものであった。
水と河原の境目を越え、ライカが水の中に足を入れる。
次の瞬間、湖から手が伸びてくる。
次から次から増えていくそれらは、ライカの足を次々と掴んでいく。
「っ、ライカ!」
「──『雷霆』」
近づこうとしたのも束の間、ライカの小さな呟きに呼応して閃光が迸る。
それは水面を震わせ、荒れ狂い……彼女を引き摺り込もうと纏わりつく魔の手を全て焼き焦がしたのだ。
ボロボロと崩れていく手。しかし安心などできない……湖のど真ん中に渦を巻き、その中心から飛び上がるようにそれは現れた。
魚のような特徴を匂わせた、人の形をした異形。
鋭い爪と大きな背ビレ、鋭いクチバシ……それらを含めた体全体を縛り付けるような黒髪を生やしたそれは、神々しさよりも前に禍々しさが勝る容貌をしていた。
『──!!!!』
空から向かってくる異形。
目標は、無防備な私。
僅かに、身が竦む。怖い、なんて恐ろしいんだ……と。
今更ながらに当たり前の恐怖を感じる。あれだけ怖い目に遭ったのに、あれだけ憧れていたくせに。
今になって、体が動かなかった。
「──どぉらぁッ!」
揺れる赤髪。
間に入ったライカの回し蹴りが祟神の顔面に直撃し、河原の奥に吹き飛ばされる。
地面に叩きつけられる程度では勢いが死なず、無様に転げ回り岩に叩きつけられ、そうしてようやくのろのろと起き上がっていた。
「半端な覚悟なら、今すぐ帰れ」
「──っ」
自分よりも小さくて、自分よりも遥かに立派な背中に叱られた。
しっかりやれ、と。
そうだ。
私は、そのためにここに来たんじゃないか。
憧れて、憧れ続けて。
ようやくここに、立ったんじゃないか。
(……ありがと、ライカ)
震えは止まり、体の底が熱く滾る。
熱は徐々に呼吸を早めていき、揺らいでいた集中を研ぎ澄ましていった。
隣に立つ私にライカは何も言わず、ただ拳を握りしめ、構えた。
「先にアタシが行くから動きをよく見てろ。──トドメは姉貴が刺す、いいな?」
「あったりまえよ。アンタこそ、この前みたく負けないでよね?」
「……へへっ」
「? なんで笑うのよ」
「いや、ねぇ……」
頭を抱えながら起き上がる祟神を見据えながら、ライカは答えた。
「負けても助けてくれる姉貴がいるってのは、いいもんだなって思ってよ」
もう少しで集中が途切れるところだった。
危ない危ない……ライカはけらけらと笑ってから、すぐさま目線を祟神に向ける。これは、獲物を見据えた獣の目だ。
「まぁ、最も──」
踏み出す。
それと同時に、轟く雷鳴。
「アタシは、負けるつもりなんかこれっぽっちもねぇけどな!」
飛び蹴り。
残像さえ作り出すその速度から成る威力は凄まじく、反撃も防御も許さない。
疾い。
ナルカミの力を借りているとはいえ、あの速度に対応してしまっている。
「よっ、そぉりゃっ!」
悔し紛れに振るわれた爪を腕ごと掴み、引き寄せて膝を突き出す。
体勢を崩されたことが災いし、鋭かったはずのクチバシはものの見事に潰されていた。
轟ッ!
膝を通じた雷撃による追撃。
超至近距離かつ最大威力を叩き込まれ、祟神の身体はビクビクと痙攣を起こしていた。──だが。
『──!!!!』
その場で叫び散らかし暴れ回り、どうにかライカの拘束を振りほどこうと抵抗する。
あれだけの攻撃を受けてもまだあんな体力を残しているとは、やはり一筋縄ではいかないらしい。
「……っ、受け取れぇ!」
ライカは片足を軸に一回転。
あろうことか、そのまま祟神を勢いに任せてぶん投げてきたのである。
無茶苦茶だ、だが。
『あとは任せた』
そう言いたげに向けられた不敵な笑み、頼られたという事実が……馬鹿馬鹿しいほどに嬉しかった。
期待に応えるべく、向かってくる敵を見据える。
「……!!」
前を向き、構える。
(……お鎮まりください!)
「──うりゃぁあっ!!」
腰に差していた剣を抜き、低い姿勢のまま斜めに振るう。
初太刀は伸ばされた右手を斬り飛ばし、二撃目で首に刃を振り下ろす。
『──!!』
残った左腕での抵抗。
振り下ろした一撃は弾き飛ばされ、祟神は後方へ飛ぶ。
「そう簡単には、いかないよね」
呼吸を整え、剣を構える。
攻撃に備えた受け身の姿勢であり、隙を晒した相手への突撃の準備でもある。
両者ともに互いの隙を伺いながら、じりじりと間合いを詰める。
先に動いたのは、祟神だった。
『!!!!!』
咆哮、同時に私の方へと突っ込んでくる。
すかさず左足を軸に左へ跳ぶ。
先程私が立っていた地面は抉れ、転がっていた小石が砕けて粉塵と化していく。
多少遮られた視界をぶち抜き、その奥から拳が向かってくる。
「っ!」
手首を返し、敢えて刃を優しく拳に当てる。
正面から受け止めるのではなく、相手の力を利用して受け流す。
地面に踏ん張りながら刃を傾け、結果的に拳は空を切った。
隙だらけ。
がら空きの脇腹に、私は刃を叩き込んだ。
「どぉぉああああああああっっっっ!」
『──』
肉、骨、肉と皮を経て空を切る。
上と下で真っ二つになったそれに、往復するかの如く刃を横薙ぎに振るう。
ぶちっ、と。
奇妙な音を立てて、首を千切り飛ばした。
『──ァ……がとう』
祟神の生首はそのまま地面を転がった。
一瞬睨みつけるような視線を感じたものの、それはすぐに柔らかく、何か穏やかな言葉を呟くような……ちょっと神様っぽい威厳を見せてから、黒い塵として消えていった。
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