「第八話」落ちぶれ巫女の願い
「旨いな、これ。懐かしい味がする」
女中が持ってきた茶を啜り、胡座をかいたカゲルは満足そうに笑った。
「親父さん、あんたもそう思うだろ?」
「……そうだな」
相変わらずカゲルを睨みながら、親父は険しい顔をしている。
いつもならもっと穏やかに茶を啜るフウカも冷たい目をしていて、ライカに関しては目の前に大好物の大福が在るというのに見向きもしない。
「お三方、もう少し俺に気を許してくれてもいいんじゃねぇか? なんたって俺は──」
「ライカとヒナタを助けてくれたことには礼を言う。望むのであれば、大きな宴を開いてやっても構わん」
そう言って、親父はまた茶を啜る。
香りを楽しむことも、茶葉の立ち具合を気にする素振りもない。
安らぐための飲み物を、決して安らがない相手と飲み続けている……なんとも言えないその状況に、私はとりあえず茶を啜った。
「親父さん、何をそんなに殺気立ってるんだ? 俺はこいつの必死の呼びかけに応え、闘って……おまけに契約まで結んだんだ。──困ってたんだろ? 契約してくれる神が一柱もいなかったから」
「だが、貴様は祟神だ」
親父の手が震えている。
血管を浮かび上がらせ、茶の入った湯呑みを握りしめているということが、向かい合わせにいる私にはよく分かった。
「信仰を取り戻したいのであれば協力しよう。神社の立て直し、御神体を移動させて別の場所に新しく社を建ててもいい……だが、私の娘との契約だけは駄目だ」
「どうしてだ?」
「得体が知れないからだよ」
そう言って父は、持っていた湯呑みを床に置いた。
「ライカから全てを聞いた。今の今まで誰からも忘れ去られ、姿を顕すことすら叶わなかったお前が……何故たった一人の信仰であそこまでの力を引き出せる?」
「あの妖魔が弱かっただけだろ」
「っ……」
ライカが苦い顔をする。
歯を食いしばったその表情を見て、私は胸の奥が締め付けられるような焦燥に駆られた。
──睨む。
カゲルはため息をつき、黙って頭を下げた。
親父は刀に伸ばしていた手を引っ込め、小さく息を吐いた。
「得体の知れないお前を、私の娘と契約させておく訳にはいかない。頼む、どうか……」
「なにを勘違いしてるのか知らねぇけどさ」
カゲルのその一言が、親父の言葉を遮った。
「俺は話し合いをしようって言ったんだ。お前この意味が分かるか? 俺はな、お前らに命乞いをするための最初で最後の機会を与えてやってるんだよ」
「……ふざけているのか」
「だよな、俺もそう思う。たかが人間のために、よくもまぁここまで譲歩できるもんだ」
親父は顔をしかめさせ、暫く黙る。
カゲルから発せられる無言の圧、溢れ出る神性は、やはり並大抵の神から発せられるものではなかった。
「……では聞こう、貴様の目的は何だ?」
「それはっ──」
言いかけて、口が開かなくなる。
まるで糸できつく縫い留められたかのように、ほんの少し開けることすら敵わない……しかも、体が動かない。動かせない!?
(悪ぃな、今お前に喋られると困るんだ)
頭の中になだれ込んでくるその声は、他の誰でもないカゲルのものだった。
この野郎、都合の悪いことを暴露される前に、私に金縛りをかけやがった。
「俺の目的はただ一つ。お前ら人間の信仰を取り戻し、神としての座を安泰たるものにすることだ」
「その目的と姉様は関係ないでしょう? 姉様に拘る理由が私には分かりません」
フウカがごもっともな指摘をした。
確かに、契約をするのは別に私じゃなくてもいい。
寧ろあの状況なら、私よりも力のあるライカに言い寄ったほうが得策だった……なのに何故、カゲルはわざわざ私を選んだ?
「こっちだって好きで拘ってるわけじゃない。だが、もしも……俺がこいつと契約を解除したとして、俺と契約してくれる巫女がいると思うか?」
「それは……」
「いねぇよ、そんなもん。忘れ去られ、姿すら顕せないような神と契約するやつなんざ、こいつ以外にいねぇんだ。──だから、力になりてぇってのもある。俺なんかを選んでくれた、こいつのために」
フウカは黙り込み、隣りにいるライカと目を合わせた。
二人は親父とも目を合わせ、そしてふたたびカゲルの方を見る。
「……駄目だ」
あれ。
なんだかよく分からないが、もしかしてこの状況は不味いのではないか?
契約の解除とか、得体が知れないとか……何より親父達、いつでも攻撃できるように構えてるよね?
もしかして力ずくでカゲルを抑え込もうとしているのか?
無理だ、絶対に無理だ。
彼は明らかに格が違うのだ。
『雷神』ナルカミと契約した巫女であるライカでさえ刃が立たなかったあの妖魔を、カゲルは私のような非力な巫女の霊力とか細い信仰のみで瞬殺してみせた。
神としての歴史が、格が、桁違いにもほどがある。
例えこの場にいる全員が一斉に襲いかかったとしても、この白髪の祟神は涼しい顔で笑っているのだろう。
自らが引き裂いた獲物の返り血を浴びた、真っ白な笑顔で。
その時の私はきっと何もできない。
今度こそ、蹲ったまま怯えることしかできないのだ。
「……ちょっ、ちょっと待ってよ!」
思わず立ち上がる。
親父が座りながら、私を睨んでくる。
「ヒナタ、座りなさい」
「ううん、私の話を聞いて!」
「お前のために言っているんだ。こいつは祟神、まともな神ではない」
「祟神だって神様だよ!」
自分でもびっくりするくらい、叫ぶ。
カゲルも、親父も、妹たちも……私自身も、黙ってしまう。
「……あっ」
特に考えがあって立ったわけじゃないし、叫びに関してはもうほとんど反射的にやった。
続けるための言葉が見つからないから、身振り手振りで目を逸らしながら、私はどうにか言葉を紡ぐ。
「だ、だってさ。カゲルは私とライカを助けてくれて、私なんかと契約も結んでくれたんだよ!?」
不本意ではあるがこれしか無い。
この場においてカゲルの意に反することは、それ即ち私以外の家族全員が惨殺されるということだ。
考えなんて無い、だが……ここで動かなきゃ絶対に後悔する!
「何度も言っているだろう。それには裏があるかもしれないんだ」
「裏ってなに!? 私しか信じてくれる人がいなくて、私が死んじゃったら一緒に消えちゃう神様の裏ってなに!? 無いよそんなの、この神様は……ただ消えたくなくて、忘れられたくなくて必死なだけなの!」
親父の顔が、段々と曇る。
怒っているだろう、今すぐ大声を上げたくてたまらないのだろう。
でも、それが私のためだって知ってるから……怖くない。
ううん、寧ろありがとうって言いたいぐらい。
でも、今は。
「何の理由にもなっていない。いいかよく聞けヒナタ、この世には見過ごしていい悪と決して見過ごしてはならない悪が存在する! 大体そいつがお前の言う事を全て聞き、従う保証はあるのか!?」
「──だったら!」
私はカゲルの襟首を掴み、半ば無理やり立たせる。
「証明させてよ、私達のこと」
「証明……? 何をだ」
体中が熱い。
興奮で頭のネジが緩んでいる。
──それでいい。
私は、言い放つ。
「カゲルがいい神様だってこと、私が……こいつと巫女としてやっていけるってこと!」
一瞬驚いたような顔をした親父は、ついに立ち上がって怒気を発する。
「馬鹿なことを言うな! お前は……」
「私はもうカゲルと、神様と契約してる! 巫女の条件は何? 神様と契約して、人々を脅かす妖魔を倒すことでしょ!?」
「──っ!?」
「神様との契約は、当人同士じゃないと解除することはできない! カゲルとの契約をどうするかは私が決める、悪いけど親父は関係ない!」
親父が黙る。
嘘ばっかりだ。
ホントはこんな神様と契約なんてしたくない。
この瞬間でさえ、今すぐにでも親父達の胸元に飛び込んで蹲りたい。
体中の震えが止まらない、心臓が走っているかのようにうるさい。
呼吸を整え、落ち着いて……今度は、きちんとした言葉で伝える。
今度は、心から願って伝えたかった本当の本音を。
「私だって、巫女としての役目をちゃんと果たしたい。だから──」
頭を下げて、おでこを地面にくっつけて……親父の足元にしがみつく。
「っ──!?」
「お願いします! 私を、巫女として認めてください!」
狼狽える親父。
私はただ頭を下げ、頼み込む。
「こんな私でも神様と契約できたの! ライカやフウカみたいに、誰かを助けることができるかもしれない……いいや、そういう巫女になってみせる!」
「──」
親父は私の手を振り解くのを止め、暫く動かなかった。
静寂が包み込む中、私はただひたすらに瞼を強く閉じていた。
お願い。
あやふやに、私は祈っていた。
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