「第四話」落ちぶれ巫女の決意

 満開の桜、風に煽られひらひらと落ちていく花びら。


 しかし、ここは真昼なのに暗い。

 なぜなら太陽は白ではなく黒く、ジリジリと炙るような陽光を大地に降り注がせていたからである。

 薄暗く紫色の空……明らかに、まともな場所ではないことが察せられる。


『よぉ、やっと会えたな』


 その中に、白髪のそれは立っていた。

 人の形をしてはいるが、決して人ではない存在が。

 ──あなたは誰? と、私は尋ねてみる。 すると目の前に立つそれは、やけに鋭く荒々しい笑みを浮かべてきた。


『お前の神様だよ』


 ──私の? 少し距離を取りながら、私は聞き返した。

 そんな、あり得ない。

 だって私は、まだ何の神様とも契約していないのに。

 それに、あれからは神様独特の雰囲気は感じるけど、もっとこう……何か、別の何かがあるような、そんな気がした。


『ああ、お前の……お前だけの神様だ』


 それはなんだか嬉しそうだった。

 だが、それは私に向けられたものではなく、彼が見据える別の何かに対しての喜び。

 その様子は実に不気味で、近寄りがたかった。


『何がなんだか、分かんねぇって顔だな。まぁそのうち分かるだろうから、気にすんな』


 聞き返そうとした瞬間、私と自称神様の間に風が巻き起こる。

 それは桜の花びらを携えており、私の視界を一気に閉ざしていく。

 ──待って、まだ聞きたいことがあるの。手を伸ばすが、決して届かない。


『そうそう、危なくなったら俺を呼べよ? ……ああ、まだ名乗ってなかったっけ。いいかよく聞け? 俺の名前は──』


 それを完全に聞き取った瞬間、私は風と花びらの渦に飲み込まれた。

 抗えない、引き上げられる……泥沼のような混濁した微睡みから、あまりにも眩しい太陽が射す現実へ。











「……眩しい」


 当たり前のことを、確認するかのように呟く。

 仰向けのまま眺める空は青く、太陽だって目を開けてられないほど眩く輝いている。


 そりゃそうだ、これが普通なのだ。


(変な夢だったな。なんていうか、夢じゃなかったみたい)

「……ん?」


 むくりと起き上がり、手元に違和感があることに気づく。

 そこには何か、見慣れないものが握られていた……巻物、だろうか? それにしては随分と汚れているような、いい風に言えば年季が入っているし、悪い風に言えば汚い。


(なにこれ、私こんなの持ってきてたっけ?)


 私は恐る恐る、自分が握っている巻物を見た。

 よく「視て」みるとそこにはなんというか、神と妖魔の境目のような気配がしっとりと感じ取れた。

 この神社の神様からの、贈り物だろうか? 一体どういう意味があるのかは知らないが、とりあえず私は巻いてあった紐を解き、少しだけ中身を見た。


「……絵?」


 そこには、まるで子供が描いたような絵があった。

 町中だろうか? そこにいる無数のよく分からない何か、乱雑な筆使い……嫌いではないが、好きでもない。

 でも、中々面白い感性を持った人間が筆を執ったのだろうと思った。


 他には何が描かれているのだろう。

 私は視線を右から左へ……そこには、文字らしき何かと、なんとも言い表せない不気味さを携えた紫色の空と、そこに大きく浮かぶ黒い太陽が描かれていた。

 その不気味さ、不可思議に描かれた情景……思わず私は、大きく記されたその二文字を呟いた。


「……天翳あまかげる


 あれ、そういえばこの山の名前って。

 ──悲鳴。それと同時に、山に響き渡る振動。揺れる大地。


「っ!?」


 同時に肌を刺す、悍ましいほどの妖気。

 神社の結界の中であってもここまで鳥肌が立つ、太陽が昇っているのにまだ動いている……考えなくても分かる、それが悍ましい力を持った妖魔の存在を示唆していることが。


(悲鳴……ってことは、誰かが襲われてる!? 妖気の感じからしてそんなに遠くない、むしろ近い!)


 結界の中にいれば、ひとまず私は安全だろう。

 妖魔も太陽が出ている時間帯に長居するつもりはないだろうし、妖魔が獲物を仕留めれば、そのうち。


 あっ。


(私、今、見捨てようとしてた)


 水が流れるかのようにそれを前提にしていた事実に、私は戦慄する。

 無意識のうちに悲鳴の主を見捨て、それを犠牲にして自分は生き永らえようとしていた。

 いや、誰だって普通はそうするだろう。例え実力があっても、神と契約しているとしても、あんなのに太刀打ちできるのはそうそういない。


 ましてや、落ちこぼれで何の神とも契約していない私が行ったところで、死体が一つから二つに増えるだけだ。


 ……いや。

 いいや、いいや違う!


(私は落ちこぼれなんかじゃない!)


 自分で自分を押し殺してどうする、父親でも妹たちでもない……私自身を落ちこぼれだと一番罵っていたのは、私自身だったのではないのか!? だからこうして今も、「落ちこぼれ」という言い訳を盾にして無様に生きようとしている!


 そんなこと、認められない!


「……っあぁぁぁあああああ!!!!」


 震える足、自分の頬に平手打ち。

 震える体に喝を入れ、私は悲鳴が聞こえた方へと走り出した。

 怖い、そりゃ当たり前だ……でも、それよりもっと怖いものが、私にはあった。


(私は、見て見ぬふりをするような人間にはなりたくない!)


 例え才能がなくても、神に認められなくても。

 私がなりたくて、命をかなぐり捨てられるぐらいに憧れた巫女という偶像だけは、死んでも手放したくなかった。


 落ちこぼれだからという言い訳に背を向け、私は走る。


 何もできないかもしれない。

 それでも生き様だけは、後悔したくないから。



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