「第五話」落ちぶれ巫女とタタリガミ

 木々をすり抜け飛び越え、私はとにかく山の中を駆け続けた。


 近い。

 すぐ近くに、人を襲っている妖魔がいる。


 足を止め、周囲を見渡す。

 濃厚な気配と妖気は漂っているものの、それの源たる妖魔の姿がどこにもない。

 焦燥が、私の思考を鈍らせる。


(……落ち着いて、私。ここで焦ったら誰も救えないじゃない)


 深呼吸、しかし集中は崩さない。

 安堵ではなく冷静を、この場でさえも、今や妖魔の縄張りのど真ん中なのだから。

 

 肌を刺すような、鋭い妖気の流れ。


(──いる)


 小走り。

 ほとんど滑るように山を駆け足で下りながら、私は妖気の流れを追った。

 徐々に強まっていく殺意、怨念……吐き気を催すそれらの権現は、ついに私の視界に収まった。


 剥き出しの四足獣のような骨、それを不格好に覆う腐敗した肉塊。

 体中から無数の眼を覗かせるそれは、不気味と云うにはあまりにも生温く、とてもこの世のものとは思えない。

 その体躯は昨日出会ったどの妖魔よりも小さかった。

 しかしその身が放つ妖気は、比べ物にならないほど練り上げられていた。


 だが、何よりも私を驚かせたのは。


(……ライカ!?)

「──くそっ、たれ……!」


 他の巫女の死体が転がる中。

 右腕を抑え、壁に寄りかかったライカの姿だった。

 無敵を謳う彼女があそこまでの傷を負っている、しかもこの状況になってもナルカミが現れないということは……まさか彼女が、ナルカミが負けたのか!?


「畜生、来んなよ……!」


 怯え、後ずさる。

 しかし逃げ道はもうどこにもない……それを楽しむように、嘲笑うような咆哮が山中に響く。

 次の瞬間、妖魔の体にある全ての眼が見開かれ、妖魔はライカへと飛びかかった。


「──させないっ!」


 咄嗟に飛び出し、ライカと妖魔の間に入り込む。

 手で印を組み上げ、即席の結界を張り巡らせる……それに触れた妖魔は、まるで雷にでも打たれたかのように後ろへ飛んだ。


 バチバチ、と。

 霊力に焼かれた右前足が溶けていた。


「あっ、姉貴!? なんで……逃げろって言ったろ!?」

「……っ」


 ギリギリだった、でも駄目だ、次は防げない。

 半分で済むかと思っていたが見通しが甘かった、今ので霊力の殆どを使い切ってしまった……これではもう、防ぐことも攻撃することもできない。

 

 ──で、あるならば。


「ッ! 何してるの、早く逃げて!」

「は、はぁ!? 馬鹿言うな! アタシより弱いくせに──」

「〜じゃあ担ぐ!」

「は、ぁっ!?」


 喧嘩している余裕はない。


 私はライカを担ぎ、そのまま森の方へと走っていく。

 背後から妖魔の唸り声、森の木々を片っ端から薙ぎ倒していく音が聞こえる……地形を利用して逃げ切るのは、人間の足では難しいだろう。


(諦めてたまるもんですか!)


 とにかく逃げ続ける。 

 巨木を薙ぎ倒すほどの膂力を持ってはいるが、獣のような素早さはあまりない。

 戦うなら間違いなく殺されるが、逃げるだけならばなんとかなるかもしれない。

 

 そんな私の甘い考えは、森を抜けた先で潰えた。


「……っ!? 嘘でしょ!?」


 崖。


 右と左以外に逃げ道がない……私は歯を食いしばり、右に走り抜ける。

 だが、逃げ道を遮るように、妖魔が木々を薙ぎ倒して私の前に飛び出してきた。


「──ッあっ!」


 結界。


 印を組むが、込められる霊力は雀の涙ほど……前足による横殴りの一撃を和らげはしたが、直撃は免れない。

 右側に鈍い痛みが走り、私は近くの木にふっ飛ばされた。


「っ、あぁ……くぅっ!」


 立ち上がろうとして、とんでもない痛みが右腕に走った。 

 骨が折れたのだろう、熱さと気持ちの悪い冷ややかさが痛みを中心に渦巻いている。

 駄目だ、もう一歩も動けない。


 だが幸運なことに、ライカは比較的遠くに吹っ飛んだ。


「……っ、逃げてぇ!」

「──ッ!」


 飲み込んで、ライカは走っていく。

 遠ざかっていく背中をぼんやりと見つめながら、私は自分の折れた腕の痛みに苛まれていた。


 呼吸が荒くなる。

 妖魔が迫る。

 私を喰おうと、涎を垂らして迫ってくる。


 私は、間違えたのだろうか。

 だとすれば、どこをどう間違えたのだろう。

 仲が良いわけでもない妹を助けたこと? 祟神が祀られた神社に足を踏み入れたこと? それとも、衝動的にあの家から出てきたこと?


「……」


 でも、私にしては上出来だろう。

 何の才能もない私が、何の役にも立たない私が……誰かに期待されてて、誰かに必要とされているライカを助けることができた。

 私自身が輝くことはできなかったけど、他の誰かの輝きを守ることは、なんとかできた。


(……ちゃんと逃げろよ、クソ妹)


 折れてない腕で、祟神からの贈り物を握りしめる。 

 なんだよ、どうせ渡すならもっと役に立つものを出してくれよ、と、この期に及んで文句を脳裏に巡らせる。


(……死にたくないなぁ)

『そうそう、危なくなったら俺を呼べよ?』


 走馬灯だろうか、昨夜見た夢を思い出す。


(何よ、どうせ何もできないくせに。夢だとしてもタチが悪いのよ)

『……ああ、まだ名乗ってなかったっけ』


 縋っても、何もない事は分かっている。 

 それが「いる」という信仰を捧げたとしても、私一人の信仰では姿を顕すことすらできないだろう。

 第一、契約もしていないような私の呼びかけに応じる保証も義理もない。


(あんたがそんなこと私に言うから、馬鹿みたいに縋りたくなっちゃうじゃない)

『いいかよく聞け? 俺の名前は──』


 どうせこのまま死ぬなら、と。 

 悔し紛れに吐き捨てる。


「……助けて、神様……!」


 ──ああ、何やってるんだろうな私。

 目の前には妖魔、骨が折れて動けないからって……ありもしない藁に縋るのは、まぁなんとも無様で、私らしいといえばそうなってしまう。 


 閉じていた瞼を、無造作に開ける。

 そこには、見覚えのある白い青年が立っていた。


「おう、任せとけ」


 飛び掛かってきていた妖魔が、わざわざ後ろへ飛んでいく。 

 着地と同時に唸り声を上げながら私を、いいや、突然現れた白い青年を威嚇している。


 ……違う、あれは、震えている。

 怯えているのか? 


(ってか、こいつ……祟神!?)

「昨日ぶりってとこだな、いやぁまさかこんな早く呼ばれるとは思ってなかったけど」


 白い青年が背を向けたまま、やけに気楽な様子で私に話しかけてきた。 

 警戒する様子も、目の前の敵に身構える素振りもない……というか、どこから現れた? いやそれよりも、なんだ……この馬鹿げた神性は。 

 先程まで周囲を覆っていた妖気どころか、この山のほとんどを埋め尽くしてしまっているじゃないか。


「……あなたは、一体」

「そういうのは後にしようぜ? 百年ぶりの顕現なんだ、ちったぁ楽しませてもらわねぇと……な?」


 背中が、消える。──虚空より現れた神は、裂けたように笑っていた。


「そらよっ!」


 直後、唸り昂っていた妖魔が吹き飛ぶ。木々を薙ぎ倒し、山の表面を抉りながら……その衝撃はなんと、あの華奢な蹴り一発から生み出されていたのだ。


(強い)


 あの妖魔の強さは、低く見積もっても上級ほどはある。 

 神と契約した巫女が数十人がかりで倒せるかどうかという強さ、それをあの青年は……いいや、あの白い神はたった一柱で、しかも私一人のみの信仰で一蹴してしまった。

 

 一人の信仰といえば、通常であれば顕現するのがやっとという脆弱な力しか与えられない。 

 にも拘らず、あの神は余裕で姿を顕し、まるで鞠を蹴るかのように妖魔を吹き飛ばしてしまったのだ。


「おいおい、やけに脆い妖魔だな……百年でここまで弱くなるもんか?」


 まぁいいや。 

 そう言って、得体の知れない神はその場で掌を上に向ける。


 闇。


 いや、闇を醸し出す炎、怪しげに揺らめく黒炎が、その掌から生み出されたのだ。


「ヒナタ。よく見とけ、これが……これがお前の、お前だけの神様の力だ!」


 雄叫びを上げながら迫ってくるボロボロの妖魔。 

 それに対して避ける素振りも何も見せず、私の方を向いたまま神は笑った。


「『天喰てんくう』ッ!」


 放たれる黒い火種。 

 次の瞬間、それは弾けて膨らみ、目の前の妖魔の体を一気に包み込む。

 足掻く暇も、振り解くような隙もない……薄紫色の煙を立ち上らせる黒炎は、そのまま妖魔の体を灰燼へと変貌させた。


「つまんねぇな」


 ぶすぶすと音を立てる燃えカス、それを踏みにじる白い神。 

 桁違いの強さ、躊躇なく足を動かすその精神性……先程自分が感じていた恐怖が全て、私の中で別のものに変わっていくのを感じていた。


「……私の、神様?」

「そうだ」


 それは、歓喜。


「改めて自己紹介だ。──天翳日蝕神あまかげるひくいのかみ。お前だけの、最強の神様だ」


 夢の中で聞いた名前。

 胡散臭いとは、一切思わなかった。 

 あの妖魔を相手に、この圧勝。その実力はとっくのとうに証明されており、こうして私の命を拾ってくれた。

 無論、この白い神はただの神ではない。微かに感じる濁った神性、悪意の混じった妖気さえも感じるこれは……まず間違いなくまともな神ではない。 


 祟神。

しかも、信仰さえ集まれば、この国を滅ぼせるほどの力を持つであろう脅威。


「……ふ、ふふっ」

「ん? なんだ、いきなり──」

「ふふっ、ふはっ、あははははははははっ!」


 もう駄目だ、笑いを堪えられない。 

 いいや堪えるなんて勿体ない、だって私は今……恐怖も劣等感も全部ぶっ飛んで、最高の気分なのだから。


「最強、そうね最強だわ! カゲル、私の神様は最強なのよ!」


 腕の痛みさえ忘れて、私は腹の底から笑っていた。 


 ああ、なんて素敵なんだろう。


 祟神だから? 

 信仰を失い忘れ去られた神だから?  


 そんなことはどうでもいい。

 だってそれ以上に、私の神様は強いのだ。


「ねぇカゲル。あんたの願いはなぁに? 何も無償で私と契約するってワケじゃないんでしょ?」

「──バレてたか」

「当たり前よ。さぁ、言ってみなさいなあんたの願いを」


 カゲルは一瞬、感情のない表情を向けてきた。 

 それはほのかに殺意を漂わせていたが、すぐにあの軽快で隙のない笑みに戻った。


「天照大御神。……あいつに奪われたモン、全部取り返してぇんだよ」

「……へ?」


 やっぱり、マトモじゃない。

 精神性がイかれてれば、忘れ去られたその経歴さえも馬鹿げている。 


 天照大御神。

 この国の守護神であり最強の神の名が出てきた、しかも確実な怨みと怒りを以て。


 奪われた? 

 いつ、どこで……なにを?

 でも、取り返すってことは、やっぱり。


「……えっ、と」


 駄目だ、流石に。

 だってそれって天照大御神への反逆ってことになるし、この国全体を敵に回すってことだよね?  

 断らなきゃ……開こうとした私の口を、目の前の神は指で遮った。


「言っとくけど契約の解除はもうできねぇぞ? お前が俺の名前を呼んで、俺はそれに応えて闘った……この時点で、お前は俺の信者であり契約者になったんだからな」

「──え」

「だから、な?」


 ずいっ、と。 

 ゆっくりと屈んで近づいてくるカゲルの顔、なんとも言えない満面の笑み。


「これからよろしくな、相棒」

「……は、はい」


 差し出された手を、苦笑いで掴む。 

 ゆっくりとかわされる握手の中、私は心底思った……ああ、こいつがもっとマトモな神様だったら良かったのに。 

 これじゃあクソ親父やクソ妹共、他の巫女共をギャフンと言わせることなんかできっこない。

 

 いや、ちょっと待て。

 もしかして私、もしかしなくても……?


(……この国、敵に回しちゃった?)


 気づいても、もう遅い。

 最強の祟神と契約した私は、これから歩むであろう最悪の人生を覚悟するよりほかなかった。







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