第5話 頭痛がイタいお年頃
頭痛がする。いや飲みすぎたつもりは全くないのだけれども、今後のことを思うと課題が山積みすぎて、どうにもならなくて。
頭痛が、痛い。イタすぎる。
あの夜──分厚く張ったツラの皮が破けて酔っ払ったあの日を境に、なけなしの自制心が品切れ・入荷待ちとなってしまったようでして、すっかりタガが外れちまったのです。
わたしはわたしを抑えることができず、毎晩自宅での晩酌を再開した。夏樹くんは何にも言わないものだから、とりあえずまあいいやと思ったはいいものの、ふだんはひとりで過ごす空間、おまけにわたしは喋りたがりと来たものだから、ついちょっかいを掛けたくなってしまう。
たぶん、すげーこと言ってんだろーな。
でも記憶が無い。というか、あんまり憶えてない。喋りたがりというのは、口から蛇口をひねるみたいに記憶をドバドバ吐き出して、あとには何にも残らない種族のことを言うのである。おかげさまで、わたしは〝大学生を泊めてあげる立派な社会人〟の化粧をすっかり落としてしまったのでした。
ああ、なんということでしょう!
脳内に悲劇的ビフォーアフターの音楽が流れながら、わたしは部屋を見まわした。
かつて夏樹くんを迎え入れるために片付けたありとあらゆるものが、出戻り娘のようにのうのうとリビングに居座ってやがる。
市役所の書類とか株主総会の封筒などがそこかしこに散らかったまま、脱ぎ捨てた部屋着や小物と混じって床に広がる。「足の踏み場がない」と言うのはまさにこのこと。スーパー大辞林の項目に挿し絵を付けるだったら、わたしのいまいる部屋を撮って模写すればだれでも理解できるだろう、だなんて。
見れば見るほど、呆れる。
かの感動的なリフォーム番組のBGMがどんどんスローに、暗い音楽に替わった。
でも、もう一度起きてしまったことは改善しようがなく、なすがまま、流されるがままに散らかす方向に雪崩れ込む。
あの、あのですね?
自分弁明していいですか?
べつにだれにも訊いてるわけでもないので勝手に話を進めると──
さすがに年頃の男子を同じ屋根の下に住ませているという自覚はある。だから下着は片付けてるし、生ゴミはちゃんとゴミ袋に入れて毎週燃えるゴミの日に出している。虫だって気にしてるから、ホウ酸団子とかホイホイとか設置してるわけだし、埃と髪の毛だってちゃんとコロコロで取っている。
さすがにわたしだって、疲れ切ったときには遠慮なく寝っ転がれるようなリビングを目指しているんですよ。ええ。
つまり、掃除はしてるのだ。
にもかかわらず、散らかる。汚れる。
まるで自己メンテをし損なった肌荒れのように──げえっ。
でもまさにそうなのだ。部屋が散らかることの本質は、日頃の行いの積み重ね。いや、こんなにモノがかさんでると、
いやでもさ。でも、だってさあ。いちおうこれでもバリバリの働き手なのよ? むしろ朝ちゃんと起きててえらいし、仕事を事故なくこなしててえらいし、健康的に過ごしててえらいし、こんな自宅の自堕落を自覚してよそ様にメーワク掛けないようにせっせとできる掃除はしててえらいし。
とにかくわたしは、えらい。
ノーベル平和賞をくれ。
そんなこと思いながら、書類と衣類の山にうずもれ、わたしは床に寝っ転がる。
「いやー、困ったなー」
結局、ええかっこしいの大人は三日坊主となり、すっかりだらしない日頃の自分が出てきてしまった。わたしの悪い癖だ。思えばわたしはいつだってそう。ヒロミにも言われた。「だから彼氏に本性見せるの早すぎだってば」──いや、違う違う。いまそんな回想モードのスイッチ入れんじゃねえ。大掃除中に懐かしの漫画を読んじゃったときみたいになるじゃんか。
話の本筋は、だ。
要するにいま、わたしはピンチなのだ。
社会人として。大人として。
いや、人として。
「どーしたもんかねえ」
べつにだれか答えてくれるわけじゃないけど、とりあえず声に出さずにはいられない。そういうサガ。口から思ったことがダダ漏れになる傾向は、ひとり暮らし歴を重ねるにつれて余計にひどくなった。
まあ、それはいいとして、だ。
いまわたしが直面している問題は、というかすでに出てしまっている問題は、このわたしの身から出たサビを、どう始末しなきゃなんないのかって話なのだ。
まさか夏樹くんに片づけさすわけにもいかんだろう。
さすがにその手の良心は残ってる。
大学生活もこれからだというのに、そんな家事とかさせてしまうと色々ややこしいことになっちまうではないか。
それに──掃除とか洗濯とかは(いままで〝大人〟のフリしてやってきたけど)、デリケートな領域だからあんまりタッチさせたくもない。ほんとは、ほんとはね。
わたしが夏樹くんの下着を洗う分には、もう昔から面倒見てたわけだし、どーってこともないんだけど、その逆はなんかダメだ。というか、そんなことするともう自堕落が一生治る気がしないから、その一線だけはなんとか死守したいと思ってる。
でも、さすがに限界だ。
ハイヒール履くのと同じくらい無理。
もう心の節々が張って、パンパンで、触るだけで軋むような痛さで、それでも見栄張んなきゃいけないときの、あの虚しさだ。
ちきしょう。
それだけの口汚さを、あえて腹の底に押し隠した自分は目一杯褒めて遣わす。
「あー、もー」
時計を見る。二〇時。そろそろ夏樹くんも戻ってくる。もうじき大学の入学式も始まるし、サークルの新歓とかもあるから、そんなに家に長居することもないんだろうけど。
でも、だからこそ、これからどういうふうに家事を分担していくかをきちんと考えて、説明し、やってもらわないといけない。
学生時代は遊び盛り。
だから好き勝手やりたいようにやればいいと思うのが、わたしの個人的な信条。
でも、そんな理想を与えてやるには、それなりの環境を整えてあげなきゃいけないのが大人の務めってわけですねえ。
はー、お父さんお母さん、反抗期の娘でごめんなさい。
バイト三昧でやんちゃしていたわたしの大学生活の裏側で、いろいろ手を掛けてくれたことをいまさらのように痛感しました。
でも、わたしの余裕も底を尽きた。
むかしはそういうのもよくわからんないで、とにかくイライラしてあたり構わずぶち当たってトラブったけど、この年齢になってくると自分すら俯瞰して見れる。
おかげで仕事もできるし、それなりのお金はある。いや税金で結構持っていかれるけど毎日晩酌できる程度にはお金がある。経済力、超大事。
いや、じゃなくて。
要するに話し合わねばならんときが来たわけだ。
このさして広くもない部屋で、歳の離れた男女がふたり。
どっちかが背伸びをしたところで始まることすらままならない。
だからもう、さっさと見栄を張るのをやめてしまおう。
できるだけ率直に、綺麗さっぱりダメなところを話してしまおう。
たぶん、あとはなるようになる。
これは仕事の話だけだけどさ。
そうこうしているうちに、家のドアが開いて、ただいま、という声が聞こえた。わたしは上半身を起こして、夏樹くんにおかえりを言ってすぐに、ちゃんと言った。
「話があるから、荷物置いたらはやめにリビング来て」
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