第33話 話しかけられるの、嫌かな?
お嬢様と一緒に学園に来てから、そろそろ2ヶ月が経つだろうか?
お嬢様と過ごす、俺の日常は多少の変化を伴いながらも、少しばかりの危うさを孕みながらも。
それでも、結果的には満帆と言えるものだった。
「ふごごごーっ!!!……んずぴいー!」
「……まったく」
まず、朝。
いびきとお腹をかきながら眠るお嬢様を起こし。
膝の上に乗せながら、ご飯を食べさせる。
「ねえー、シモン聞いてぇ?
ボク訓練のお陰で、かなり強くなったんだよ!
こないだ、クラスメイト相手にも勝ったんだから!」
「お嬢様……成長しましたね。偉いですよ」
最近、お嬢様の口から訓練の成果を誇る言葉が増えてきた。それは、ドロシー様からお嬢様を預かった俺にとっても大変嬉しいことで。
我慢できずに、頭を抱くようにして彼女の頭を撫で回した。
「もーっ♡♡♡髪が乱れちゃうよー♡」
言葉とは裏腹に、彼女はまるで抵抗を見せない。
しばらく、そんなことをしていると登校時間がギリギリになってしまって、慌てて身なりを整える。
「行ってきます!!!」
「はい、いってらっしゃい」
ブンブンと両手を振るお嬢様に、手を振り返し。
簡単な雑事を終わらせてから、すぐに俺も出発の準備をする。なにせ、今日はテレサさんとの訓練日だ。
遅れるわけには、いかない。優しい彼女は、遅れても笑って許してくれるだろうが。
罪悪感が凄いから、遅れてはならない。
◇
今日の訓練も訓練場でやるらしい。
執事服を着たまま、目当ての場所まで移動する。
「ご、ごきげんよう!」
「おはようございますぅ!」
「こんにちはぁ!」
「……ごきげんよう、おはよう、こんにちは」
最近、変わったこととして、外出した際によく声をかけられるようになった。
前は、遠巻きにジロジロを眺められたり。コチラを見ながらヒソヒソ話す、なんて人が多かったのだが。
人間という珍しい人種に慣れたから、話しかけてみよう。そんな心算であろうか?
前よりはマシだが、変に特別扱いされているようで居心地は悪い。
「おおお……!アタシ達に言葉返してくれたよっ!」
「やさしーい!すごいすごい!」
「やっぱ、かっこいー!!!」
「…………」
名も知らぬ少女達から、声をかけられて。
最初は、嬉しい気持ちもあった。
この世界では美醜の価値観が逆転しているため、『もしかして俺がモテている?』なんてことも思った。
でも、おそらく、そういう類の話ではない。
普通、顔が良いだけで、こんなにモテない。こんなに騒がれない。
いや、元の世界で全くモテなかった俺に、語る権利はないかもしれないが。それでもおかしい。
多分、モテるやつってのには物語が必要なのだ。
例えばソレは、甲子園出場のエースピッチャーだったり。全国模試1位の天才だったり。溺れた子どもを身を挺して守ったり。学校で一番強い番長的存在に勝ってみたり。
そういった物語、話題性。ソコに加えて、顔が良いやつが騒がれると思うのだ。
当然、俺はそんなことした記憶はない。
俺はもしかすると、この世界ではイケメン、なのかもしれないが。ちょっと顔が良いだけで、こんなに騒がれないって……。調子に乗るのはやめておこう。
……やっぱり、これは珍獣扱いなのだ。
「あれが、王女キラー……」
「『先読みのテレサ』を倒した、男神……」
「野盗から、身を挺して主を守る、忠臣……」
「ああ、早く『週刊シモン様』発売して……
待ち切れない。付属のブロマイドほしぃ……」
俺は彼女達の視線から逃げるように。
足早に、その場を後にした。
◇
「やっ、おはよう」
訓練場に着いた俺は、人混みを避け座りながら本を読む眼鏡の少女に声を掛ける。
その子は、俺がテレサさんに出会った日。見かけていた数少ない生徒で。俺が訓練をするようになってから、それから奇遇にも毎回顔を合わせている『カロン』という、淡い赤髪の少女だった。
「し、シモンさん。お、おはよう、ございます……」
彼女は、恥ずかしそうに本で顔を隠しながら。
しかし、ちゃんと挨拶は返してくれる。
これが彼女の平常運転だと知っているがため、今さら気にすることもない。
「なぁ、最近さ……。
周りから、強い視線を向けられるんだけどさ。
カロンは大丈夫?人間って何かと苦労しない?」
「へっ……?いや、その、私は、べべ、別に……」
彼女は多分、シャイな子なのだろう。
話しかけても、あまりラリーが続かないし、向こうから会話を振られることもない。
だから、もしかすると、俺と会話をすることは彼女にとって苦痛なのかもしれない。
だが、例え嫌われていても。それでも、俺には彼女と仲良くなりたい理由があった。それは、彼女が『人間』で『平民』だということ。
同じ境遇である、彼女とは是非とも仲良くなりたかったのだ。
「ええ、本当かー?」
「い、いやその、は、ははは!」
「……楽しそうだね。僕も、混ぜてよ」
ここでは数少ない同胞の肩を揺すっていると、俺の背中にピトッと指先が押し当てられ、グリグリとなぞられる。
最近何度も味わった、この手袋越しの感触。
見るまでもなく、テレサさんのものだった。
「ひ、ひいっ……!す、すみませんっ!」
「あっ、カロンっ!」
「ほっときなよ、そろそろ訓練の時間だよ?」
テレサさんが来るやいなや、カロンは脱兎のごとく本を片手に疾走する。
彼女には人間同士の情報共有したかったのだが、仕方ない。訓練パートナーである、テレサさんが第一優先だからな。
「さっ、今日も訓練、よろしく。
……キミのこと、もっと僕に教えてね?
ほら、『パートナー』になったわけだからさ」
「ええ、今日もよろしくお願いします!」
「……ふふ、よろしい」
◇
訓練を終えた夕方。
自室の椅子にもたれ掛かり、目を瞑っていると。
俺の股間に仄かな熱を感じた。
「……なにやってんだ、ジニー」
「ひひ、すみません♡」
もう、目を開けなくても誰だか分かる。
日が落ちて、黄昏に染まりだすこの時間は、ほぼ毎日ジニーと過ごしているのだから。
目の前の少女は、我が物顔で俺の股間をまさぐりながら、俺にしなだれかかるようにして顔にキスを降らす。
ちゅ……。ちゅっ……。
「…………」
消極的にやり過ごそうとすると、決まって彼女は『お嬢様がパーティを抜けてもいいの?』なんて脅してくるので、俺も少しだけ口を開けて彼女のキスに応じる。
「ねえ、先輩……」
「なんだよ……」
しかし、しばらくキスを交わし。
普段ならば、奴が挿入をせがむ時間帯。
いつもはニヤニヤと笑うような顔を見せる少女は、今日はなぜか不安げに瞳を濡らしていた。
彼女は震えながら、俺の手をギュッと握りしめる。
「私、幸せなんだ。先輩と、こうしているだけで……」
「……そりゃ、よかったよ」
真面目な彼女が、こんなことをしている理由については、まだ聞けていない。
ストレス発散なのか、性欲が溜まっているのか、相手がいないのか。理由は分からないが、おそらく通常の精神状態ではないことは伝わっていた。
「でも、最近不安なんです……。
先輩が、どこかに行っちゃうんじゃないか、って」
「ジニー……」
「先輩はずっと、ここにいる?
私の傍に、いてくれますか……?」
彼女は光を失ったように、暗い瞳を浮かべる。
ジニーと抱き合っている、この時間。
この関係は、歪だ。俺達は正規に付き合っているわけでもないのに、人目を盗むようにして逢瀬を交わす。
こんな関係は、ずっと続くようなものではない。
そういう意味では、無理だ。
「ずっとは、無理だろ……」
「…………」
そう、ずっと、は無理だろう。
しかしーーー。
「でも、しばらくは。お前が、望むなら……。
拒んだりなんて、しないよ。お嬢様のためだし。
俺も、別に、嫌じゃないからさ」
「せ、先輩っ……!」
熱に浮かされたように、爛々と輝くジニーの瞳。
それは残像を残しながら、猛スピードで近づいて、気がつけば俺達は口づけを交わしていた。
「先輩っ……!もう離さないっ!あんなシモン先輩を引き抜く気マンマンの王女なんかに渡さないからっ!何も気づいてないニコくんに代わって私が守るからっ!私達ずっと一緒だからっ!」
「早すぎてきこえねぇって、まったく……」
呪文のように、高速で呟く彼女。
俺は少し呆れながらも、どこか可愛らしい彼女の緑色の髪を撫でた。
◇
「シモォ~ン、つ、つかれたぁ~」
「お疲れ様です、お嬢様」
「ふぃー、ジュースちょうだ~い……」
俺が、シャワーを浴びて10分後にお嬢様は帰ってきた。すでに辺りは暗くなっている。
……三日坊主で終わると思っていたんだけど。本当に偉いな、お嬢様。
俺の膝に乗り、軟体生物のようにダラリと、俺にもたれ掛かるお嬢様。
その小さなお口に、切り分けた鶏肉を運んだ。
彼女はパクリと、顔だけを動かして小鳥のように啄んだ。
「今日も、おいしいよ。
……ねえ、シモン。いつも、ありがとねぇ」
「おお、ありがとうございます」
ただの仕事をしただけなのだが、お嬢様にお礼を言われてしまった。なんか、珍しいな。
そんな気持ちを察してか、彼女は少し照れくさそうにして頬を掻きながらこう言った。
「最近さ、一日中動くのがしんどいってことが、ようやく分かったんだよ……。シモンも今日、昼間訓練してたんでしょ?なのに、いつも遅くまで家事もやってもらって、その、だから……」
「仕事ですから、気にしなくていいんですよ。
それに、夕方には息ヌキしてますし。
……でも、ありがとうございます、嬉しいです」
珍しく人に気遣いを見せるお嬢様。
やっぱり、お嬢様は世界で一番可愛い。
俺の胸に埋めるように、ガバっと彼女を抱きしめた。
「も、も~♡大袈裟だよぉ♡」
彼女の頭頂部を嗅ぎながら、俺は思う。
ああ、本当に幸せだな、と。
朝には、お嬢様の寝顔を見ながら起きて。
昼には、テレサさんと訓練を行う。
夕方には、ジニーと逢瀬を交わし。
夜はまた、お嬢様と眠りにつく。
そして、休日にはドロシー様に会いにゆく。
俺は、この上なく幸せだ。
◇
こんな日々が、いつまでも続くと思っていた。
俺とお嬢様は、幸せな毎日を送り、そうしてこの学園を卒業していくのだと。
でも、そんな当たり前に抱いていた未来への予想は、今度開かれる『体育祭』で砕かれることになる。
あの、理解不能な団体。あるいは宗教。
『SFC』という謎の組織の手によって。
俺達の日常は、少しづつ狂っていく。
「ゆ、ゆ、許さない……!
あの、気絶王女が。邪魔しやがって……!
良いところ、良いところだったのに……!
許さない許さない許さないっ……!
わ、私を舐めるなよ、4番を戴く、私をっ!」
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