第32話 ん?今なんでもするって言ったよね……?


 僕が目覚め、一番最初に感じたものは強烈な頭の痛みだった。瞑ったままの瞳の横には、ツーと涙が流れており。グチャグチャに濡れたパンツが気持ち悪い。


 ーーーああ、最悪の気分だ。

 あれは、あの日々は、やっぱり夢だったのか。


 長い長い、夢だった。

 シモンくんの気持ちを読み取って、その心理を自分の都合の良いように改竄して作った、理想の世界。

 そんな妄想が、真実であると思ってしまうほどに、長い夢を見ていた気がする。



「だ、大丈夫ですか?」



 起きたことに気がついたのか、僕を運んでくれたであろうシモンくんが、僕に心配の言葉を投げかける。

 言葉を返すのも億劫で、僕はただ、顔をしかめた。



 ーーーこんな現実に、戻って来たくなかった。


 この世界の僕は一体なんなんだ?


 王女として生を受けながらも、実態は周りにペコペコして、気を遣ってばかり。シモンくんが居てくれたアチラと違って、ココには理解者なんて居やしない。息苦しくて、たまらない。


 それに加えて、今日のコレはなんだ?

 相手は男と油断して、訓練に負けて、奇声をあげながら失禁して気絶。惨めにもほどがある。

 これだけの醜態を晒したのだ。これから、どれだけの悪感情に晒されて生きていくことになるのか?評価を取り返すには、どうしたらいい?

 母さんだって、任務も果たせない馬鹿ムスメをどこまで庇ってくれるやら……。



「あの、本当に、今日は、とんでもないことをしてしまいまして……」


「……うるさいよ」



 ……一番、辛いことは先ほど夢に見ていた目の前の男の存在。

 夢、とは分かっているものの。アレは恐らく彼の精神と僕の心が混じり合い、作られた疑似体験。

 まったくの、デタラメや、妄想ではなく。


 あり得た世界の、話なのだ。

 何かが間違って、シモンくんと僕が巡り会ったならば、ドロシーよりも先に会うことができていれば。

 あの幸せな日々は、本当にあったかもしれない。

 そう、思えてしまって、辛くて堪らない。


 ……本当は、彼に僕のことを知ってもらって。

 理解してもらって、裏表なく接してもらって。また、あの暖かな心で包んでもらいたい。


 けれど、現実はどうだ。

 彼と僕は、殆ど話したことのない関係。

 僕からしてみれば、彼は母さんから言われている任務の対象であり、要監視者。

 彼の精神を読み取った関係で、悪い人ではないと知っているが、まだスパイでないとの確証はない。

 僕が生きていくために、これからも探る必要はある。立場的に、交友を深められるかは分からない。

 そして、彼からしてみれば、僕は格闘訓練で失禁したやばいヤツ。男相手に負けた上、気絶失禁なんて……。僕だったら、ドン引いている。そんな相手と仲良くなりたいか?無理、だろ……。



「悪いけど、今日はもう帰ってくれないかな……」



 今さら、彼と仲良くできるはずがない。

 所詮この世界は、シモンくんと仲良くできなかった世界線。もう少し、せめて訓練前に夢を見れていれば。

 万難を排して、彼を取り込もうと努力しただろう。

 だが、明確に彼に嫌われたであろう今は、もうどうしたら良いか考えられない。

 しばらく、眠って、それから考えたい。


 今だけは、シモンくんの顔をみたくなくて。

 だから、粗相をしたのはコチラなのに。僕は謝ることもせず、シモンくんに対して帰れと吐き捨てた。最低の自分を嫌悪しながら、ギュッと目を瞑り毛布にくるまる。早く、帰ってくれ……。



「…………!」



 けれど、そんな風に願っても、まだシモンくんの息遣いを感じる。

 30分前まで、あれだけ愛おしく、そして大事に思っていたハズの彼。

 その存在が少し息苦しく感じてしまって、たまらず僕は瞳を開けた。



「……だから!かえってっ……て……」



 瞳を開けたソコには。

 尊く、暖かく、気安く、美しい。

 この世で最も大事な彼が、地に額を擦り付けて僕に許しを乞うていた。



「本当に、申し訳ございませんでした……!」


「……えっ?」




 ◇




「や、やめろ!キミが、そんなことをするなっ!」



 悲鳴のような声が、二人だけの保健室に広がる。

 けれど、俺には止めることなどできなかった。



「お願いします、何卒お許しくださいっ!」


「やめてぇーっ!!!」



 よかった……。

 どうやら異世界ではあるものの、土下座の効果はここでも発揮されるようだ。

 この姿勢で、相手に誠意が伝わるならば、なおさら止めることはできない。今、テレサさんが言っているのはおそらく『顔を上げなさい』という定番のアレだろう。

 簡単に顔を上げないことが、一番の誠意なのだ。



(そう、なんとかココで穏便に済ませないと……)



 貴族の、お嬢様に失禁させてしまうなど、とんでもない。いや、俺の首だけで済めばいいが。最悪、俺がノーヴィ家の執事であるがため、お嬢様達にも波及する可能性は十分ある。

 俺が原因で、お嬢様やドロシー様に迷惑をかけるくらいなら死んだほうがマシだ。

 ならば、ココで土下座するくらい安いもの。


 俺は顔を少し浮かせると、床を壊さんとばかり強く叩頭した。



 ゴンッ!



「お願いします!俺にできることなら、なんでもしますっ!どうか、今回の件をお許しくださいっ!」


「や、やめろぉっー!わかった、わかったからぁ!」



 よし……!

 とんでもないことをやらかしてしまった俺だが、必死の熱意が伝わってくれたようだ。

 テレサさんは、ハァハァと息切れしながら俺の肩に手を置き止めてくれる。



「キミの、そんなところ、見たくないよっ……!

 やめてよ、シモンくんっ……!」


「本当に、すみませんでした……」



 きっと、彼女はいい人なんだろうな。

 そんな彼女が失禁するほどに力を加えてしまったことと、謝罪で無理やり許させるように誘導したことを恥じてしまう。本当、なにやってんだ俺は。



「キミは、馬鹿だな。本当に……。こんなの、悪いのは僕じゃないか……」


「いえ、そんな!やりすぎたのは俺です!俺が悪いんです!」



 その上、許してくれた彼女に、『自分が悪い』なんてことまで言わせてしまった。確かに失禁したのは彼女だが、原因は全て俺にある。なのに、そんなことまで言わせるなんて……。

 ああ、もう、恥ずかしくて仕方ない!

 心の底から、申し訳ない……。



「本当に、申し訳ございません。

 何かの形で、償わせてください…………」


「……まったく、やっぱりシモンくんは馬鹿だな。

 そんなこと、言わないほうがいいんだよ?

 なんでもするなんて、言っちゃってさ……。


 …………………………

 ………………ん?……なんでも???」


「はい!俺にできることなら、なんでもやらせてください!」



 それぐらいしか、できることがない。

 罪の意識を軽くしたくて、少し浮ついた気持ちで彼女に提案をした。

 けれど、それは軽はずみだったのかもしれない。

 その言葉を告げた瞬間、雰囲気が一変した。


 彼女は俯き、顎に手をやるとブツブツと呟き始める。どこか色褪せていた、淀んだ彼女の瞳。

 そこに急激に色がつき、次第に爛々とした光が灯っていく。それはまるで、炎のように美しかった。



「……身体……いや……奉仕……でも、悲しませたくは」



 呪詛のように、下に向かって放たれる彼女の言葉。

 先ほどまで、慈母のように優しかった彼女の雰囲気が、ガラリと変わり俺は少し背筋を震わせる。



(か、身体だと?内臓、内臓いかれるのか……?

 いや、でもそれで許してくれるなら、俺は……)



 治癒魔法で、内臓取られても再生できるのかな?

 治るなら、人体一式分くらいは差し出せるかな?

 なんて考えている時、テレサさんは俺に向き直り、これからのことについて告げてきた。



「シモンくん、それじゃあさ……。

 キミさえ、よければさ。これから暇なとき、今日みたいに。僕と一緒の授業に出てくれないかな?

 それで、良かったら訓練パートナーになってくれたり、とか……」


「えっ……?」


「いや、キミがね!

 ……嫌で、なければで、いいんだけど……」



 それは、内臓摘出を覚悟する俺にとっては、あまりに容易いお願い。

 むしろ、こんな大ポカをした俺と組んでくれるなど、逆に恐縮してしまいそうだ。当然、断る理由はない。



「そんなことで良ければ!喜んで!」



「……いや、頼んだのは、こっちだけどさ。

 本当、底抜けに馬鹿だな、シモンくんはさ……。

 面倒事に巻き込まれるとか、考えないのかな……」



 モジモジと、身体をくねらせながら。

 俺に対して軽口を言う彼女。その言葉の意味はよくわからなかったが、まあ問題ないだろう。


 次の訓練はうまくやるさ。

 今日の教訓は明日に活かしてみせる。

 俺はもう、失禁するまで女の子を締めたりしない。

 代わりに、頭にタッチするとかどうだろうか?

 多分、それなら問題ないだろう。



「今度は、上手くやります!大丈夫です!」


「分かってなさそう……。まあ、いいさ……」



 彼女はスッと手袋を嵌めた手を出してくる。



「じゃあ、改めてよろしくね。

 ……これから、『パートナー』になるわけだからさ」


「はいっ!よろしくお願いします!テレサさん!」



 握るその手は、暖かく。

 手袋越しに、彼女の体温を強く感じた。


 手を握り、一分ほど、互いの瞳を見つめ合う。

 彼女は少し目を伏せて、名残惜しげに手を離した。



「……出会いは、不幸だったけど。

 僕ら、きっと上手くやれるよね……?」


「ええ、もちろん!」




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