第31話 日常にさよなら
「ふふっ……シモンくん、おはよう」
「おはようございます、ーーーテレサお嬢様」
いつもどおりの朝、僕は【愛しい執事】の顔を見ながら目を覚ます。
ーーーあぁ、良かった。
やっぱり、僕の現実は此処にあったのだ。
今日は、とても怖くて。そして長い長い夢を見ていた気がする。内容は少しだけ覚えていて、そこには僕を嫌う連中ばかり。僕は精神感応能力を使って必死に好かれようとするけれど、本当に僕を愛してくれる人はいなかった。つまりは……。
(シモンくんの、居ない世界……)
気がつけば、もう6年ほど前のことになる。
僕が婚約者と顔を合わせた日、精神感応に目覚めてしまって、体液をゲーゲー吐きながら苦しんだ日。
そんな時に、彼、シモンくんと出会った。
『ほら、お嬢様。
俺の心を感じてください。
……俺が、アナタを嫌っていますか?』
『ぴょ……ぴょぴょ!』
とてつもないマイナスの状態にある僕は、彼の手によって、幸せな気持ちにさせられた。
……まぁ、ちょっと、その度合いが強すぎて色々と粗相もしてしまったけれど。その後も、何度か下の世話までさせてしまったけれど。
それでも、彼が僕に悪感情を向けることはなかった。
『ほーウ!アナタ素晴らしい人!ムム、ムスメの執事になりなサーイいいぃイイイ!』
確か、そんな彼の人間性を母さんが買ってくれて、それから僕の執事に、なった。……のだったかな?
詳しい経緯は覚えてないけれど。
とにかく、彼は僕のそばにいてくれる。
だから、この力に振り回されることもなく。
僕は幸せになることができたのだ。
(そう、そうだ。そうだった。
僕も、馬鹿だな。あんな夢を見るなんて……)
僕の日常に、シモンくんが居ないなんて。
そんなことはあり得ないのに。今日見た夢では、それに気づくこともなく。毎日ワンワン泣いていた。
早く気づけただろうに……。まったく。
シモンくんが、僕のそばから居なくなる、なんてあり得ないのだから。
「お嬢様、暗い顔をされて、どうされました?」
「……いや、なんでもないよ。シモンくん、今日の朝ごはんは何かな?」
僕の顔をヒョイと覗き込み、心配そうに見つめる彼の顔。その鼻先にポンと人差し指をつける。
【また、何かあったのかな?
この子繊細だから、心配だよ……】
すると、彼の気持ちが僕の心に流れ込んできた。
宝石のように貴く、聖者のように尊い、どこまでも透き通った清流のような心。
彼の心を感じるだけで、僕の不安は吹き飛んでいく。
出会ったときとは、違うのだ。
彼の心を理解した今、もう無様を晒すこともない。
「今日は、アッサリ目のスープと、パン。それから、ベーコンエッグ焼いてます」
「ふふ……良いね。……ねぇ、シモンくん。久しぶりに僕にご飯を食べさせてくれないか?ほら、あーんって」
「ええ、お嬢様ぁ……。もうそれは卒業したでしょ?一人で食べましょうよ」
口では、拒絶し呆れた様子を見せる彼。
けれど、僕は。僕だけは、知っている。
彼が押しに弱くて、強引な人のことが嫌いじゃないってことを。
【甘えてくるの、久しぶりだな。
正直、悪い気しないなぁ……。でもでも、教育にわるいよなぁ。ダメだよなぁ……】
「シモンくん、頼むよ。明日以降は、真面目な僕に戻るからさ、……今日だけは、お願いできないかな?」
「うっ、仕方ないなぁ。……また、メンヘラ発症しちゃったんですか?手間がかかる子だね、まったく」
クスッ……。
彼の珍しい軽口に、僕は口元を綻ばせる。
彼が、僕の執事になるに当たって、『思ったことは素直に伝えるように』お願いしている。
いや彼に限らず、周囲の使用人には全てそう伝えている。けれど、実践してくれる人は、極めて少ない。
そんな中、主人に向かって、本当に本心を伝えてくれる彼のことが、どうしようもなく好きだった。
【しょうがないなぁ……この子は本当に。
俺がいなくなった時が、心配だよ……】
(変な心配しちゃって、可愛いなぁ……)
もう、シモンくんのことを、手放す気はない。
魔国の王女たる、僕が決めたのだ。
今はまだ、婚約者の問題とか、親からの反対とか。
色んな問題は、あるけれど。
どうにか、するさ。キミのためならば。
(だから、ずっと一緒だよ、シモンくん……)
「あーんっ♡」
大きく口を開き。
彼からの運ぶ大きめのスプーンを待つ僕の耳に。
ぐちゅり……。
なんて、果実が潰れるような、水音が響いた。
「ha00i 愛--亜-ha00000nnnnn」
「えっ…………」
気がつけば。
シモンくん、彼の頭が真っ二つに割れていた。
そして、目の前の愛しい彼は。
その心臓近くから、グルリと肉を巻き込みながら渦を巻き、たちまち奇怪なオブジェへと変わってゆく。
「待ってっ!お願い!」
慌てて彼の手に飛びついて、これ以上消えないようにギュッと握りしめる。
けれど、その手から流れ込んでくる感情は、すでに温かいものではなくなっていた。
【ヤバいヤバいヤバい!
女の子気絶させちゃったよ、やべぇ……。
生きてはいるけど、目を覚まさないし。
保健室に人もいない。これ、やべえよなぁ。
お嬢様にも、波及する?それだけはダメだ!
ああ、もう、どうしよどうしよ!】
「うっ…………」
全て知っていると、思い込んでいたシモンからの『不安に満ちた』感情。
それを読み取ってしまい、僕は彼の気持ちに引っ張られ頭をかきむしるほどに、黒ずんだ焦燥に襲われる。
ーーー少し目を離したとき、彼はもう消えていた。
「クソッ!……なんで!なんで!なんでっ!」
先ほどまで、確かに存在していた、理想郷。
僕の現実。淀んだ夢の世界の、対極にある場所。
そこは、色をなくしたように褪せていき。
触ると、ポロポロと崩れ落ちていく。
理想郷であった僕の現実は、崩れ。
息苦しい、暗澹とした夢の世界へと。
急速に、変わろうとしていた。
「シモンくんっ!どこだっ!早く出てきておくれよっ!う、ウソなんだろ!……冗談は、やめてくれ!」
薄々、分かっていた。
この世界が偽物で、シモンくんが居るこの世界が夢だったんだと。
でも、もう足元も消えて、僕は深い闇の中に一人でいるのに。それでもまだ、彼に助けを求めて叫んでいた。
「シモンくん、頼むよ、頼むから……」
僕の、そばにいてよ……。
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