第30話 敗因は濡れパンツ
「……あのー、テレサさん?」
ここでは珍しい男性特有の低い声が、トリップ状態に陥っていた僕の耳に届き、ハッと気がついた。
未だ眼前には、困り顔で苦笑する男の顔と、その周囲には何事かと様子を伺う人間の姿があった。
(ぼ、僕は一体、何をしているんだ……!)
ほんの一瞬だけ、状況が分からずポカンとした表情を浮かべてしまったが。己の脳の奥底から叩きつけるような行動指令が届き、彼の手を乱雑に振り払う。
その勢いが思ったよりも強くなってしまったため、僕は慌てて取り繕うように謝罪した。
「す、すまない。ボーッとしていたようだ」
ビチャビチャで気持ちの悪いパンツを隠すように、内股になりながら。彼の顔を眺める。
特に気にしてもいないような、彼の顔。
……その顔を見ていると、触れてもいないのに心がグチャグチャに犯されそうになる。
これは、まずい。
「大丈夫ですよ。
では問題なければ、訓練を始めてもいいでしょうか?」
「……ああ、改めて、よろしく」
彼と向き合う僕に、先ほどまでの余裕はない。
いや、それどころか内心、彼に対して恐怖を覚えていた。会ったばかりの彼のことを、『尊い』と感じるなんて……。明らかに、おかしい。
ただの一回触れただけで、会ったばかりの人間のことを、何よりも愛おしく、何よりも大事なのだと。
僕の価値観が、現在進行系で上書きされていくのを感じる。そして、それを不快だと思えなくなりつつある。僕は、流される本能を理性で必死で押し殺し、眼前の男を顔を真っ赤にして睨んだ。
(コイツ、……いや、この人がスパイだったなら、本当に危険だ。僕が、探らないと……)
緩んだ気持ちに叱咤を入れ、この後の訓練で【精神感応】が起こらないように、白い手袋を装着する。
もしまた、彼の感情を色濃く読み取ってしまったなら訓練どころではない。もう彼を疑うことすら、できなくなるだろう。
それだけは、避ける。
その上で、訓練を通じて彼の本性、その根っこの部分を探れれば重畳だ。彼の精神構造を理解してしまえば、不意の感応で侵食されることもなくなるはず。
まずは耐性をつけるため、彼を知ることだ。
彼への対処をどうするかは全て、その後で良い。
「じゃあ、早速やろうか」
ビチャビチャのパンツが気持ち悪いから替えたいな、とは思いながらも。これ以上、怪しまれることはしたくなくて、そのまま彼に向き直る。
……まあ、相手は男。多少動きづらくはあるが問題ない。どうせ格闘訓練なんて、彼からすればお遊びみたいな心算だろう。ほどほどに、揉んでやるさ。
彼と相対するにあたり、怖いのは精神感応だけ。
その条件である、肉体的接触を防ぐために、今は手袋もはめている。
一応、相手から僕の顔などを掴まれたら精神感応が発動するかもしれないが。男なんかに攻撃を許す僕じゃない。ラッキーパンチだけ気をつけて立ち回れば良いだろう。油断しなければ、問題ない。
(さっきは、恥ずかしいところを見せてしまったけど、今度はキミの番。全部、僕に見せてもらおうか)
あまりにも美しき、危険なる、眼前の男の心を。
丸裸にできる喜びに少し胸を躍らせながら、僕はファイティングポーズを取った。
「シモンくん、先に謝っておくよ、ごめんね」
◇
「ヤバい、どうしよう……」
暇つぶし兼、訓練として参加したのはいいものの、想定外の事態に俺は頭を抱えていた。
ーーー遡ること数分前。
両手を前に出した、王子様系女子の訓練相手と向かい合う俺は迷っていた。
それは、格闘訓練とはいえ、ぶん殴ったらマズいよな。という葛藤。
相手の力量がどれくらいかも分からない。
ドロシー様に鍛えてもらった俺ならば、右ストレートで殺してしまう可能性だってある。
結局、迷った末に。
シュッ!
「ふっ!」
「甘いっ!」
軽いジャブを相手の顔面に放ち牽制する。
その攻撃は、テレサさんの手袋をつけた手によって叩き落されたが、構わない。
本命は、別にある。
ガバっ!
「んなっ……!」
俺の手を弾くため、手を上げた彼女の身体を、突進するかのように素早く、下側から抑え込む。
「ま、待ってぇっ!」
彼女は俺のジャブで体勢を崩したのか内股気味、足元の守りが甘いようだった。
テレサさんの腰元から抱きつくように、彼女の身体にぶつかり密着、そのままクルリと背後を取ると、腕を彼女の首筋に当て、ゆっくりと締め上げる。
いわゆる、スリーパーホールドと言うやつだ。
負け確の姿勢に気づいたのか、彼女は暴れ体勢を変えようとするが、そうはさせない。
もちろん、訓練のため本当に締め上げはしないが、その直前の姿勢を作るところまではする。
じゃないと、訓練にならないからな。
俺の腕でテレサさんの首を抱くように、強く密着させて。ほんの少しだけ力を入れ、すぐに抜く。
……まあ、これぐらいでいいだろう。
あんまり長くやるのもよろしくない、俺は腕を緩め彼女を解放しようとする。
その、瞬間だった。
「ぴよ♡、ぴょぉぉぉっっっっ……♡♡♡」
チョロロロロロ………
「あれ?」
そこまで、強くしたつもりはなかったのだが。
……やりすぎて、しまったのだろうか?
彼女は、舌を大きく突き出して、白目を向いて動かなくなり。そして、彼女を抱く俺の足には、テレサさんのズボンを通して、生暖かいもの、がかかった。……もしかして、気絶してる?
格闘訓練で、推定貴族の女の子を相手に、気絶と失禁させちゃった……?
こ、これはヤバい。ヤバすぎる、かもしれない。
辺りからも、ザワザワとした声が上がり始めている。おそらく、まだ失禁には気づかれてはいないだろうが。このままでは、時間の問題だ。
失禁させたなんて、知られたら、もっとヤバい。
テレサさんは許してくれるかもしれないが、その周囲は許さないんじゃないだろうか。
このままいけば、平民が貴族を失禁させた罪で。
死刑…………?殺されちゃう………?
「す、すみません!
この子、保健室に連れて行っていいですか!?」
俺は慌てて講師に手を挙げて、ビクビクと痙攣する彼女を抱きながら保健室へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます