第29話 目標発見、これから任務を開始するよ


 僕、テレサ・ゲンミナティは、母親譲りの大ブサイクだ。初対面で誰かに会うと、顔を顰められるほどには、この容姿に生まれ落ちたことで苦労はしている。


 けれど、決して周囲の人に嫌われてはいなかった。


 ……いや、正確には、好かれるように立ち回った。あるいは好かれるように、相手の気持ちを誘導した。とでも、言うべきか。

 だって、初対面の人には必ずと言っていいほど嫌われているから。




「テレサさん、ご機嫌よう!」



 僕が己の特殊能力に気づいたのは、10歳の頃。婚約者と初めて顔合わせをして、笑顔の彼と握手を交わしたときのことだった。



「…………!」

【キッショ、コイツ w クソブサイクじゃん www】



 初対面の僕を見下し罵倒する声が、僕の脳裏に響き。握りしめた右手を通じて、彼の悪意が僕の身体に流れ込むように伝わってくる。

 それはヘドロのような粘着性を持った汚濁であり、右手から心臓に向かい登ってきた。その感触は、語彙の少ない当時の僕には、言葉には言い表せないほど不快で。



「オェっ……!」



 僕は、ただ込み上がる吐き気を我慢しながら彼と一日を過ごしていた。人生で一番つらい日、と聞かれれば僕は間違いなく、彼と過ごしたアノ日と答えるだろう。


 彼が帰った後は、腹の中身を全てぶちまけて。

 友達とも呼べる、仲の良いメイドは背中を擦って労わってくれた。



「大丈夫ですか?テレサ様……」

【きったねぇなぁ……。勘弁しろよ】



 けれど、仲が良いと思っていた彼女から、そんな悪意の含まれた思考が流れ込んできて、また吐いてしまう。


 それから日が落ちて、翌日になっても。また周りの人達から向けられている悪感情を、否応なく受け取ってしまったことで、何度も何度も吐いた。


 僕は、この国の支配者である魔王の娘。

 周囲から、どう思われているか、その感情の色を知らなければ間違いなく幸せになれたのに。

 なぜか僕は、自分から望んでもいないのに。

【相手の感情を読み取る能力】そんな不要な力を手に入れてしまったのだ。



 そこから僕は、悪感情を絶対に浴びたくなくて。

 必死に周囲から嫌われないように立ち回った。


 相手に触ってしまうと、悪感情を浴びてしまうから、触らないように気をつけて。

 その上で、不意に触ってしまった場合に備えて、相手から好かれるように人の心理を勉強した。




「シンディさん、その服素敵ですね。流石、ファッション番長だなぁ……」


「そんな!褒めすぎですよぉ!」

【テレサ様ったら、分かる人よねぇ!ブスなのが唯一の欠点!もったいないなぁ……】


「はは……」




 取るに足らないメイド、仲良くしても意味の薄いクラスメイト。誰が相手であっても僕は愛想を振りまく。

 嫌われるのが、とても怖い。

 あそこまでの悪感情を容易く持てるのが、人という生き物なのだ。僕はその恐ろしさを文字通り、身に沁みて知っている。

 だから、好きでもない奴らに愛想を振りまいて。

 笑ってみて、叱ってみて、怒ってみて、尻尾を振って、謙って、胸を張って。


 僕には、主体性なんて本当はないのに。

 気がつけば、僕は学園の生徒会長になっていた。




 ◇




「はぁ、母さんも勝手な事言ってくれるなぁ……」



 迫る体育祭の準備を、放り投げて。

 僕はスパイ疑惑のある執事とやらを探るべく、訓練場のほうに向かっていた。



『ちょっと怪しい奴がいてな、ちょうど学園にいるみたいだから、調べておいてくれ 』



 そんな、急遽の依頼を受けたのは昨夜のこと。

 学生という身分の僕ではあるが、魔王である母からは、時折任務を命じられることがある。

 僕の能力の事は、誰にも告げていないが。……多分この力のことを、母さんは薄々気がついているんだろうな。母さんは強すぎて、彼女の気持ちは僕の能力では読み取れないから、あくまで推測であるが。こんな任務を与えられるってことは、やっぱりバレているんだと思う。


 まあいいさ、お母様。こなして見せますよ。顔が良いだけの男なんて、僕の相手じゃない。

 そいつがスパイだったとして、僕を騙せるだなんて思わないことだ。なぜなら、僕は触れた相手の本心を見抜く力を持っている。大ブサイクの僕に触れて、顔は取り繕えても、心はそうはいかない。


 ソイツが白か、あるいは黒か。

 見抜くことなんて、容易いことだ。



「誰か絵心あるやついる……!?」

「あんな美人、絵じゃ表現できないわよっ……!」

「人間の国から流れてきた、キャメラってのはどう?あれなら、目で見たままを写し撮れるって話、高いけど……。まあ最悪、私達新聞部で盗んじゃえばね……」



 顔を見合わせながら、黒魔術のようにボソボソと喋る、痛い3人組の隣を抜けて訓練場へと向かう。


 ジャリジャリとした、均された訓練場のグラウンドには既に何十人か、人々が集まっていた。


(…………?)


 けれど不審なことに、その集団は音を発することなく。お互いに目配せし、周囲を牽制し合っている。

 輪のように、グルッと丸まって、その中心部分は伺いしれない。一体、何事だろうか?

 僕は気になって、輪の外側にいたメイド服を着た女性の身体に自然にぶつかってみる。



【えっ!?なに、あの美人執事!?訓練のパートナーに誘っていいの?格闘訓練を装って、胸を揉んでもセーフなの!?】

「うう……、どうしよどうしよ……」


(……なるほどね)



 どうやら、この騒ぎの元凶は輪の中心にいるようだ。そして、ソイツは僕が探している執事のシモンとやらだろう。僕は人混みを割るように、足を前に出した。



「通してくれる?」


「なんだ、マナー悪……、あっ……」

【抜け駆けする気か!……って、王女殿下!?】



「「「ど、どうぞどゔぞ!!!」」」



「フン……」



 僕が王女というだけで、道を作る女達。

 身体が少し触れてしまって、緊張や、押し殺した非難を浮かべた心の声が肌に流れ込む。

 

(……嫌なら、嫌と言ってみろ)


 こういう奴らは、嫌いだ。

 根性のない奴らが作る道を悠々と進む。

 その数メートル先には、この場に唯一の男がいた。執事服を着た、黒髪の男。コイツが母さんの言っていたシモンという男だろう。


 ーーーしかし、この男。



(き、綺麗だな……)



 この辺りでは珍しい、黒髪黒目の男。

 その顔はゴツゴツとした男らしさに溢れており。

 スベスベの卵肌と揶揄される魔国の男どもとは違う、どこか異国情緒を感じさせる美形。

 彼を見るだけで、胸が締め付けられるのは。彼の心を手に入れたいなどと、ブサイクな僕では叶わぬ願いを浮かべてしまうからだろうか?

 それほどに。神秘的、とすら言えるほどに彼は美しい。これは、確かに傾国の男。

 そんな大仰な言葉すら、彼には似合ってしまう。相手の心が読める僕で良かった。そうでなければ、きっと彼の美しさに飲まれていたことだろう。



「よ、よし……」



 飲まれかけた精神に発破を入れなおし、真っ直ぐに彼を見つめる。そして、逆に相手を飲んでやると意気込んでハッキリとした声で投げかけた。



「ちょっと、いいかな?」



 彼に向けて投げかけると、執事くんはキョトンとした顔でコチラを向いてきた。

 凛とした顔つきの彼だが、その表情は、悪意や下心の感じられない、朴訥としたもので。

 僕は、【可愛い】という気持ちと、【手強いな】なんて警戒する、相反する感情を彼に持ってしまう。



(まあ、いいさ……)



 結局、触ってみればわかることさ。

 少し強引に、彼を訓練のパートナーに誘ってみる。



「キミ、キミがいいんだ……」



 思ったよりも熱が乗ってしまったのは、彼の色香がなせる技だろうか?

 傍から見たら、相当キモかったことだろう。

 しかし、彼は底抜けに純粋か、あるいは裏があるのか。それには嫌な顔一つ見せず。



「よろしくお願いします」



 僕が心を読めることも知らないのか自然と手を伸ばしてくる。

 ふっ……、馬鹿なやつ。

 じゃあ、君の心、見させてもらうよ。



「僕は、テレサ。まあ、知ってるかもしれないけど。……よろしくね、シモンくん」



 軽くジャブを放ちながら、彼の握手に応じる。

 いつもしている手袋は、今日は事前に脱いでいる。だから 握手すれば、全て分かるのだ。

 君の素性も、君の本性も。



 僕は、力強く彼のゴツゴツとした手を握った。










「…………ぴょ?ぴょぴょぴょ???」









 ーーーそして、握った瞬間に流れ込んでくる未知の感覚に耐えられず、その甘い快楽に、少しだけ。

 ほんの少しだけ、漏らした。

 いや、噴いた。……のかもしれない。

 とにかく、僕は彼の右手から伝わってくる感情に頭を直接犯された。それぐらいの強い刺激を浴びてしまう。


 脳髄まで響く突然の侵食。僕は必死に手を離し距離を取る。いや、距離を取ろうとした。


 けれど、警鐘を鳴らす理性とは裏腹に、右手を中心に僕は彼の感情に犯されていき。混濁した右手は意志に反して彼の手を離そうとしない。


 初めて、だったのだ。

 僕に対して悪感情をまるで持ち合わせず、それでいて好意的な感情を持たれるのは。

 腕から伝わる、この感情は、頭の中で乱反射しながら脳髄を甘く刺激する。顔中から、変な汁を垂れ流しそうなほどに気持ちがいい。


(ひ、ひぃ……♡)


 思えば、僕は知らなかった。

 悪感情が伝わる時は、ヘドロを口いっぱい詰められたくらい気味が悪いことは知っていた。

 けれど、好意的な感情が、まるでずぶ濡れの身体を温める焚き火のように。あるいは、カラカラの身体を潤すオアシスのような。悪意で傷ついた心の古傷を癒されることが、こんなに心地良いものだなんて、今日このときまで、知らなかったんだ。



(ぴょ、ぴょ〜♡♡♡)



 結局、僕は任務のことも忘れて。

 股間が濡れて、その冷たさで我に返るまで、彼の右手をニギニギと掴んでいた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る