第15話 ママはちょっと、大事な用があるから……



「シモン、喉が渇いたなぁ」


「はいはい」



 半袖が良いか、長袖が良いか分からない季節のこと。

 ガタゴトと揺れる馬車の中で。

 俺は水筒を取り出してお嬢様の口元に近づけた。


 ゴクゴク



「うーむ♡甘美甘美♡」


「全く……これくらい一人でできるでしょうに……」


「えへへ、人にやらせるから良いんじゃない」


「そんなこと言ってたらロクな大人になれませんよ?」


「いいじゃん!旅行のとき、くらいはさ!今日は特別な日、なんだからっ!」



 仕方ないなぁ。

 膝の上に座り、俺の胸に顔を埋める彼女。

 そんなこの世界では大ハレンチな少女の、サラサラの髪を撫でた。



「今日だけですよ、まったく……」


「へへへ、学校卒業して良かったなぁ」スーハースーハー



 中等学校を卒業した彼女。

 彼女は再来月には、今よりも厳しい高等学校に入学することになる。

 場合によっては、頻繁に会うこともなくなるかもしれない。

 だから、『今のうちに旅行なんて、どうかしら?』なんてドロシー様の一声によって二人で旅行することになった。


 まあ二人と言っても、馬車の御者さんとか最低限の護衛の方もいるのだが。



「しかし、ドロシー様が来られないのは残念でしたね。忙しい方なので、仕方ないのでしょうが」


「あー!残念だねっ!でも仕事じゃねっ!仕方ない仕方ないっ!」ママダイスキアリガトー……(ボソッ)



 お嬢様が何か呟いた気もしたが、馬車の音でかき消されよく聞こえない。

 でも、お嬢様って結構独り言話すから気にしないことにした。



「えーっと、今日はね!釣りして、ご飯食べて、観劇して、ご飯食べて、ボクの身体を洗ってもらって、一緒のベッドで寝てもらうからっ!」



 すでに予定が決まっているみたい。

 長い一日になりそうだなぁ……。




 ◇




「……僕を呼び出すとは、一体どういうつもりだ?」


「決まってるでしょ?……いい加減、お前とは縁を切ろうと思ってね」


「なんだと……?」



 私、ドロシーは屋敷の客室にて、この世で最も憎んでいる相手と対峙していた。

 コイツの顔を見るだけで殺したくなる。けれど、こんな奴でも現魔王ゆかりの血筋を持つ相手。

 我慢しなきゃね……。



「離婚。って言わないと分からないかしら?」


「……ハッ、離婚。離婚だと?今さらか?」


「ええ、今さら、よ。でも、私はずっと離婚したかったのよ。別に、お前もいいでしょう?」



 ニコちゃんのことがあったから。

 こんなエルフのクズでも離婚には踏み切れないでいた。

 もしかしたら、改心してくれるかもしれない。もしかしたら、親子3人で暮らせる日が来るかもしれない。

 私はソレを望む気もなかったけれど、ニコちゃんは違うだろうから。

 だから、離婚だけはやめておいた。


 でも、シモンくんがいる今は違う。

 もう、こんな奴いらない。いても迷惑なだけだ。


 ……このままじゃ、結婚もできないし。



「おいおい、困るよ急に……。離婚となったら、月々買っている宝石や衣服は誰の金で買えばいいんだ?」


「ハッ!手切れ金くらい、くれてやるわよ。100万くらいが離婚の相場だから、それぐらいでいいでしょ?」



 コイツは本当に。

 金と女と博打の話しかしない。

 シモンくんとは、男としての価値が違いすぎる。

 ……いえ、比べるのも失礼ね。


 今度、謝罪も兼ねてお仕置きしてもらいましょ。



「……桁が4つ、足りねえよっ!!!」


「イチイチ、声を荒げないで貰えるかしら?」


「舐めるなよっ!お前のようなブスと結婚してやった恩を忘れたかっ!?ああっ!?」


「それは、こっちの台詞でもあるからね?この三国一のブサイクが……」



 私は、人の容姿を貶すことはしたくない。

 だって、私自身がめちゃくちゃブサイクなんだもの。

 間違いなくブーメランになるから、やらない。


 でも、コイツにだけは言われたくなかった。


 サラサラとした金髪。冷たさの感じる翠の瞳。

 ニコちゃんに似てはいるけれど、娘と違って愛嬌がゼロ。こんなにブサイクな奴を見たことがない。

 どの口で、ブスなんて言えるのか……。



「ふん!……ブスのくせに粋がりやがって」


「近寄らないでくれる?」



 奴は逆上したのか、ツカツカとこちらに歩み寄る。

 近寄られるだけで、鳥肌がゾワゾワと立った。

 ……本当に、シモンくんとは対極みたいな奴だわ。



「なあ、……構ってほしかったのか?ドロシー」


「さわんな」



 なにか勘違いでもしたのか。

 ブサイクな男は演劇のように気取りながら、大きく腕を広げた。



「…………仕方ない、お前みたいなブス抱きたくないんだが。まあお前もセックスを知らないまま死ぬのは可哀想、か……。いいだろう、抱いてやるよ。この僕が」


「チッ……いらねえよ」



 反吐が出る。

 とは、まさにこのことだろう。

 髪に手を触られた瞬間に、私は生ゴミに顔を突っ込んだかのような不快感を覚えた。

 思わず固く握った拳で、奴の掌を叩き落とす。



「うぐっ!!!……おい、貴様っ!僕の手に何をする!……お前は今、人生で唯一のセックスできるチャンスを失ったんだぞ!?頭が悪くて、それも分からないか!?」


「ハッ……」



 昨日の昼にも、パパに子宮に届くくらいハメてもらったつーの。

 なにが、唯一のチャンスだ。

 お前にどれだけ言っても、信じないだろうけど。

 私を愛してくれる人は、いたんだよ。



「お前が相手じゃ、濡れねえんだよ。お前みたいな顔も性格もブサイクな奴なんて、お断りだわ」


「貴様ぁっ…………!!!」



 これは、私がお前に言われた言葉なんだけどな。

 やっぱりコイツは、私をどれだけ傷つけたかなんて覚えちゃいなかったか。

 ……まあ、知ってたけどね。



「もう、離婚は決まったことよ。後はお互いの弁護士を通して話しましょ。……お前の顔、見たくないし」


「くっ……ドロシー、覚えておけよ……!」



 コイツは、感情表現がオーバーだ。

 ここだけは、ニコちゃんに似ていると思う。

 

 歯をギリギリと噛み締めながら、憎々しげに顔を歪めるアイツ。

 まるで感情を隠そうともしない輩は、こちらを指さして声高く叫ぶ。



「僕は魔王にも顔がきくんだ!凄腕の弁護士を雇ってやる!そして、お前から全てを奪ってやる……!そう、……すべて、すべてだっ!!!」




「フン……やれるもんなら、やってみなさい!!!」



 これから、コイツと離婚調停を進めることになる。

 ……けど、この剣幕じゃすぐには。

 1年以内には終わらないかもしれないわね……。

 シモンくんと娘には、こんなやり取り見せたくないから旅行に行ってもらったのに。

 最後まで、厄介な奴だわ……。



「お前がちゃんと務めを果たしているかどうか!しっかり調べさせてもらうぞ!少しでも怠慢があってみろ、お前の全てを貰ってやる!タダで離婚できるなんて、思い上がるなよっ!」



 本当に、最低…………!


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