参  奉仕と褒美

 新谷は初歩的な過ちを犯したのだ。『清士』や『志士』の家に生まれた者ならば、かなり早い段階から誰もがしっかりと学ばされる重要な知識を、新谷は知らなかった。今回のことは、そのために起きてしまった悲劇だ。

 『清士』と『志士』には、禁を犯すことなくその一生を神に奉仕したことに対する褒美として、寿命が十年延長される。そして注意しなければならないのが、この延長された十年は、寿命に加算されていないということだ。よって、『清士』と『志士』に限りマイナス表示が在り得ることになる。

 新谷の祖父の寿命は、マイナス四日であったという。すなわち褒美分の十年がほぼ全て残っていたというわけであり、新谷が力を行使しなければあと十年生きられたということである。

「ちゃんと学ばず、逃げ続けてきた私がいけないんだってわかってる」

 静かに涙を流しながら、尚も新谷は続ける。

「わかっているけれど、どうしても諦められないの。……ううん、私が諦めちゃいけないの。責任を持って、私がお爺ちゃんを生き返らせなくちゃいけない」

 人に死を与えることを誰よりも嫌っていた新谷。その力を初めて使い、そして―――失敗した。

 どれだけの苦しみだったのだろう。

「わかった」

 私は今まで、人を生き返らせる自身の力を何の躊躇いも無く使ってきた。その裏側で自身の力と葛藤している一族がいることを考えもせずに。もちろん『志士』の存在は知っていた。でもそれを、真剣に考えたことは無かった。私の持つ『清士』の力を羨む者がいたなど。

「協力、してくれるの」

「私にできることなら」

 私は、命を戻す力を持っているのだから。


       ✻     ✻     ✻


 『清士』の力をもってしても、『志士』によって送られた者を戻すことはできない。

「方法は、ちゃんと考えてあるの?」

 協力することは引き受けたものの、私には具体的策は無い。

「もちろん。そこで最初のお願いに戻るのだけれど、深麗香ちゃん、私の鎖になって」

 そうだった。あまりに衝撃的な話を聞いたせいですっかり忘れていたが、新谷は私に鎖になってと頼んだのだ。一遍死んでみようと思うから、と。

「黄泉の国へ行って、どうするつもりなの」

「役人に直接言って、お爺ちゃんの死を取り消してもらう。立場的には『清士』よりも黄泉の役人の方が上なわけだから、不可能ではないと思うの」

 確かに、不可能ではないだろう。しかし。

「役人に会える保障はあるの?問題は他にもある。いくら私の力があったって、黄泉の国まで行って、更に役人に会って、その後のあなたを連れ戻せる保障は、無い」

 この計画を成功させるためには、『清士』の力を使うタイミングが極めて重要となるのは明白だ。早すぎれば役人との交渉が成立する前に呼び戻すことになるし、遅すぎれば生き返すことができなくなる。

「わかってる。でも、深麗香ちゃんにしか頼めないの」

 新谷は深く頭を下げた。

「無謀な頼みをしていることはわかってる。でも、お願いします」

「覚悟は、できてるのね…?」

 黄泉の国へ行く覚悟。

 役人を説得する覚悟。

 そして―――死ぬ覚悟。

「生きて帰る覚悟ならある」

 新谷の答えはしかし、私の予想とは異なるものだった。

「死ぬつもりはないもの。死ぬ覚悟なんていらないでしょう?」

 私の瞳を真っ直ぐ見つめて、そう言い放った。

「……まったく」

 こいつは馬鹿なんかじゃない。………「大馬鹿」だ。

 思わず笑みが零れる。新谷も、釣られたように笑った。やっぱり可愛いと思った。少なくとも今の新谷はアホ面なんかじゃない。

「その計画に私が協力したとして、私に何か利益はあるわけ?」

「えっ、あ……ごめんなさ」

「黄泉の国のこと、たっぷり聴かせなさい」

 言葉を遮られた新谷は、余程意表を突かれたのか、きょとんとしていた。

「黄泉の国のことなんて、詳しく知ってる人身近にいないじゃない。興味あるのよ、私」

「もちろん!いくらでも教えるよ」

 そんなに眩しい笑顔を向けるな。あんたはこれから…いや、もうその可能性を考えるのは止めよう。

「あなたが帰ってこないと、私は骨折り損の草臥れ儲けなんだからね。……絶対帰ってきなさいよ」

「うん」

 しっかりと肯いたから。

 大丈夫。

 新谷なら、大丈夫。

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