弐  生と死

 今から約一千と数百年前。

 黄泉の国の役人の怠惰と人間の人口増加によって、生死判別のミスが多発した。これを改善するために取り入れられたのが『清士』すなわち『生を司る氏』と、『志士』すなわち『死を司る氏』である。

 それまで黄泉の国の役人に一任され、一度決定されると覆すことは決して叶わなかった生死判別に対抗する手段が、初めて人間道の者に与えられたのだ。神によって選出された二つの一族が、各能力を用いて黄泉の国の役人のミスをチェックする。

 この二つの一族のみが、自分と、血縁関係にある両親と兄弟を除く全ての人間に対して、寿命を知る能力を有する。寿命が残っているにも関わらず死した者を発見した場合、『清士』はその生まれ持った力を使用し、本来あるべき生を与える。反対に寿命が尽きているにも関わらず生き続けている者を発見した場合、『志士』はその生まれ持った力を使用し、本来あるべき死を与える。

 この制度により、現在人間道における生死判別のミスはほとんど起こらなくなっている。


       ✻     ✻     ✻


「『清士』である深麗香ちゃんにしか、できない頼みなの」

 今や新谷の顔には、へらへらとした薄っぺらい笑みは無かった。代わりにあったのは、今まで一度も見たことの無い真剣な顔。

「死んだ私を、その力で生き返らせて欲しい」

「ちょっと待って。そんなお願いするくらいなら、初めから死ななければいいじゃない」

 新谷は力なくふるふると首を横に振った。

「そういうわけにもいかないの。私は一度、どうしても死ななくちゃいけない」

 “目”で新谷を見てみたが、彼女の寿命はまだ後六十年以上あった。今彼女が死ぬことになれば、それは生き返らせる対象となる。

「何故」

「……黄泉の国に行くため」

 黄泉の国。死したものが最初に向かう地。

「どうしてそんなところへ行きたいの」

 突然、新谷は大粒の涙を流し始めた。後から後から、日に焼けた頬に雫が伝う。

「泣いてちゃわからない。理由を言ってくれないと協力できるものもできない」

 私の言葉に即座に反応し、ごしごしと袖口で乱暴に顔を拭う。その真面目さが胸を突いた。

「話なさい。一体何があなたの身に起きたのか」

 僅かに躊躇う素振りを見せたが、覚悟を決めたのか、新谷は口を開いた。


       ✻     ✻     ✻


 幼い頃から、自分の力が嫌いだった。自分の存在が憎かった。命を奪う『志士』の力と決別したいと望んで止まなかった。しかしその心をひとたび口に出せば、家族も親戚たちも、神に与えられし社会秩序を守るための特別な力として誇れと、口を揃えて説教された。何度も。何度も。

 それでも屈することはできなかった。

「今日は“禁”について教える。『清士』『志士』は強大な力を持つ。それ故この力には制限がある。例えば、余命のあるものを死なせる、反対に余命が尽きていると知りながら死を与えない、余命を本人に教える、などがそれに当たり……」

 どうしてもこの力を受け入れることはできなかった。だからずっと逃げていた。『志士』の力に関する毎日の教育も、早く終われと願うばかりで、真面目に聞いたことなど一度たりとも無かった。

 我が家には、両親と祖父そして私の計四人が暮らしていた。祖母は私が小学生のときに亡くなった。だから祖父には長生きして欲しかった。『志士』の件で険悪な仲となってしまった両親との間をいつも取り持ってくれた優しい祖父母が、大好きだった。

 “視”なければ良かったと思った。

 体調が悪くなって入院が続いていた祖父の寿命が、とても気になった。あと何年一緒にいられるのだろうか、と考え出したら一睡もできなくなった。

 病院の白いベッドで寝息を立てる祖父の頭上に表示された数字は、

  マイナス四日

 信じられなかった。信じたくなかった。でも、何度確かめても、その数字が変わることはなかった。

 ―――「早鳴。早鳴は優しい子だから、『志士』の力は使いたくないのだね」

 そのときふいに、両親に怒られてこっそり泣いていた私を見つけて祖父が頭を撫でてくれた、幼い日の記憶が蘇った。

「だけどいつか、お祖父ちゃんの命が零になっていたら、早鳴の手で、お爺ちゃんを在るべき場所に送って欲しい」

「絶対に嫌だ!」

 せっかく泣き止んだばかりだというのに、それまで以上に号泣した。大好きなおじいちゃんを殺すなんて、できないと思った。

「ごめんね、だけど、早鳴にしか頼めないんだ」

「お父さんが、いる」

 お母さんは嫁いできた者だから『志士』の力が無いが、父にはしっかりと備わっている。

「お父さんはお爺ちゃんの息子だからね。『志士』の力は、自分の両親と兄弟には使えないこと、教えてもらっただろう」

 そう言えば、そんなことをこないだ父に言われた気もするが、例の如く聞き流していた私は、その時初めてその事実を知ったも同然だった。

「だから、お爺ちゃんを送るのは早鳴の役目だ。辛い思いをさせてごめんね。でも、お爺ちゃんは早鳴の手で送って欲しいんだ。お願いだよ」―――

 あの時私は結局最後まで、首を縦には振らなかった。そして今までも、この力は決して誰にも――特に大好きな祖父には――使わないと決めていた。

 でも。

 今実際にその時迎え、私の心は大きく揺れていた。

 大好きな祖父。大切な祖父。だからこそ、その願いを叶えてあげたい。『志士』としての自分に誇りを持って生きてきた祖父にとって、定め通りの死を迎えることもまた、誇りであるはずだ。それをさせてあげられるのは、私しかいない。もちろん、父以外の『志士』には既に死の気配が伝わっているころだろう。だから正確にはここで私が手を下さずとも、何れ誰かが祖父に死を与えるはずだ。でも。同じ『志士』によって迎える最期ならば、祖父の望んでくれた私が、してあげたかった。

「お爺ちゃん」

 何の痛みも、苦しみも無く。どうか、安らかに。

「今まで、いっぱい、ありがとう」

 両手を祖父の躯に翳し、力を込める。

 

 ピ―――………


 機械音が、祖父の死を告げた。


       ✻     ✻     ✻


 私は、自分が力を使ったことを誰にも言わなかった。両親にあれだけ反抗しておきながら、使いました、なんて言えるはずが無かった。だから、祖父は黄泉の国の役人によって、正常に送られたものだとされた。私が何も言わなければ、皆がそれを真実とする―――はずだった。

「おい、皆“視”てみろ!」

 祖父の通夜のため集まった親族の一人が、突然そう叫んだ。それを聞きつけた沢山の『志士』が祖父を“視”、私も一応確認してみた。

  マイナス四日

 あの日のまま、祖父のカウンターは止まっていた。

「まいなす……四日、だと…」

 周りがざわつき始めたが、私にはそれが何故だかわからなかった。今までろくに勉強してこなかったのだから、私に十分な知識が無いのは当たり前だ。説明無しに寿命を“視”ただけで皆が一斉に騒ぎ出したこの状況から察するに、普通の『志士』なら知っていて当然な、常識的にわかる異常が起きていることは明白で、私は誰かに理由訊く事もできずに呆然としていた。

「おい、誰か『清士』に連絡をとれ」

 私が唯一真面目に聞いていた父の話がある。それが『清士』に関することだった。私と正反対な、人を生き返らせる力。私もその一族に生まれたかったと心底思った。だからその話だけははっきり覚えていた。『清士』という言葉を聞いてようやく、祖父がまだ生きていなければならない存在だったのだと気づいた。私は震えを抑えるのに必死だった。

 しばらくして屋敷にやってきた『清士』は、祖父を生き返らせようと試みてくれたが、できなかった。

「できないって、どういうことなんですか!」

 思わず泣き叫んだ私に、『清士』は申し訳なさそうに、しかし私にとっては大打撃となる台詞を放った。

「この方は『志士』によって送られているので、生き返らせることができません」

 『清士』も『志士』も、黄泉の国の役人によって引き起こされるミスに対して対抗するために与えられた力だ。だから、『清士』のミスによって生き返らせられた人を『志士』の力で送ることはできず、またその逆も不可能なのだという。

 『清士』にとっても『志士』にとっても当たり前すぎるこの常識を、私はその時初めて知った。そしてもっと重大なことを、私は知らなかったのである。

 それは、『清士』『志士』の寿命についてのこと。

「まだたった四日だったのに。」

 泣きながら祖父の棺にしがみつく叔母に、謝りたかった。しかし私には、そんな勇気は無かった。

 そして私は、何とかして祖父を取り戻す術が無いか、家中の『清士』『志士』に関する書物を読み漁り、方法を探した。私は何としても、祖父を生き返らせなければならい。

 ―――祖父を殺めた者として。

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