私? 私はただの古時計だ。

ハマハマ

ただし大きくもないしノッポでもない。


 ただの小さな置き時計、そうは言っても君のポッケに収まる程ではない。

 女子供でも運ぶことが容易な大きさだという意味の、小さな置き時計だ。


 しかもだ。

 私は手巻きや自動巻きなぞという古風な代物ではない。げにハイカラなクォーツ式だ。


 つまり古時計と言うたものの千九六〇年代に普及し出したクォーツ式ゆえ、私はまだ半世紀と少しの若輩者。


 しかし幸いな事に、なぜか今年のあたまに突然、自我が芽生えたのだ。


 もちろん分かっている。

 自我があろうともたかが置き時計、私の発言に証拠能力がないことはな。


 だが君は聞きたいと言うのだろう?

 げに奇特な御仁だが、そうまで請われれば私だとてやぶさかではない。


 良かろう。語って聞かせようじゃあないか。

 あの日の真実についてな。





 あの晩――しとしとと降る雨が止む気配もない深夜近く。


 いつも通り酔って帰宅したこの館の主人あるじどの。

 毎夜と同様に酔い覚ましの水をグラスに汲み――そう、いま君が座るソファに腰を下ろしたのだ。


 そして大声で何事かの悪態をつき、イライラした様子でグラスを投げつけた。


 グラスは壁に叩きつけられ木っ端微塵さ。


 あぁ、そうだ。その辺りの壁だ。


 確かにそうだ。

 砕け散ったグラスから飛んだ水が確かに私に跳ねた。



 そんな事はないさ。

 私はなんと言ってもただの置き時計。

 そんな事でいらついたりなどせんさ。


 それは君たち人の視点だよ。

 私たちはそんな事で腹を立てたりはしない。



 ――分からんヤツだな君も!

 そんな事で苛ついたりなどせん!


 ……もし仮に、苛ついたとしてもだ。


 私は置き時計。

 拳を握って怒りを表すことも、床を蹴って怒りを示すこともない。


 苛つく事になんの意味もないだろう? 違うか?



 あぁそうだ。

 確かに私にこびりつくこれは彼の血だ。

  

 君は警察の見解も知っていてここに来たのだろう?

 砕けたグラスの片付けを命じられたメイドが私で彼を殴った――



 ――見当違いも甚だしい。


 あの男はフラつき倒れ、この私の体に頭をぶつけて息絶えたのだ。


 あぁ。ざまぁみやがれ、そう思ったことは否定しない。


 先代どのの頃は良かった。私には一分一秒と時を刻む楽しさがあった。彼のために時を刻んでいたかった。

 ……誰かの為でもない。

 ただ時を刻むことに……なんの意義があると言うのか……


 なに?

 君のために、か?


 ……ふん、良かろう。

 そうまで請われれば私もやぶさかでは無い。それに君は面白そうだ。


 さぁ、君の屋敷に連れて行くが良い。

 よろしく頼むよ、新しい主人あるじどの。

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私? 私はただの古時計だ。 ハマハマ @hamahamanji

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