第8話 すれ違う想い
アメリは橋の上から穏やかに流れる川を眺めていた。欄干に両肘をついて、深く溜息をつく。その表情は、どこか沈んでいた。
そんな中、遠くから名前が呼ばれる。
「アメリ!」
アメリは顔を上げる。川沿いの通りから、オリヴァーが大きく手を振っていた。足元にはバーナードもいる。
オリヴァーはダッシュで橋までやって来ると、息を切らしながら膝に手を付く。
「あの、さ、お友達の話、詳しく聞かせてくれないかな?」
「……どうして?」
眉を顰めるアメリに、オリヴァーは一枚の紙を突きつける。
「Sランクの任務、僕が引き受けるよ」
誇らしげに宣言するオリヴァーを見て、アメリはぽかんと口を開ける。
「昨日は無理だって言ってたじゃない?」
「完全に蘇生させるのは無理だけど、流星祭の日に一時的に心を通わせることならできる。それでそう?」
「ポーラともう一度話ができるってこと?」
「うん」
アメリは驚いたように目を見開く。
「本当にそんなことができるの?」
「偉大な魔法使いの力があれば、お安い御用さ!」
オリヴァーが「ねっ」と足元に視線を向けると、バーナードはふんっと誇らしげに鼻息を荒くした。そんなやりとりとは裏腹に、アメリは瞳を輝かせながらオリヴァーの両手を握った。
「お願いします、偉大な魔法使いさん! ポーラともう一度会わせてください!」
「あー、えっとー……偉大な魔法使いっていうのは、僕のことじゃなくて……」
師匠のことだと説明しようとしたが、バーナードは傍から見ればただの犬であることを思い出した。ここでいちいち説明をするのは面倒だ。心苦しいが、あえて否定しないことにした。
「ま、任せなさい!」
トンと胸を叩いて作り笑いを浮かべるオリヴァーの足もとで、バーナードはジトっとした視線を向けていた。
◇
「どうぞ、入って」
「オジャマ、シマス……」
オリヴァーはぎこちない動きで部屋の中に入る。緊張のあまり、右手と右足が同時に前に出ていた。
緊張するのも無理はない。アメリから詳しい話を聞くために、彼女の部屋に案内されたからだ。女の子の部屋に入るなんて初めての経験だから、どう振舞えばいいのか分からない。
話を聞くだけと分かっていながらも、どうしたって意識してしまう。淡いピンク色のシーツも、枕もとに置かれたくまのぬいぐるみも、本棚に収められたロマンス小説も、緊張を増長させる要素になっていた。心なしか甘い匂いも漂ってくる。
「適当に座って」
適当にって言われたって困る。アメリはベッドの端に腰を下ろしたけど、その隣に座る勇気はない。かといって勉強机とセットで置かれた椅子を勝手に出すのは図々しいような気がした。
何が正解なのか分からないまま、オリヴァーは扉の真横で膝を抱えて座る。その隣でバーナードも腰を下ろした。
「なんでそんな端っこ? まあ、いいわ」
アメリは呆れつつも、それ以上居場所について言及してくることはなかった。
「さっそくだけど、ポーラのことを話すわね」
「うん……」
緊張を纏いながらオリヴァーは姿勢を正す。アメリは視線を落としながら話を始めた。
「ポーラはね、私の親友だったの。ピアノが得意な子でね、将来はピアニストになることを夢見ていたわ。私もポーラの夢を応援していた。あの子はピアノを弾くために生まれてきたんだって、疑わなかった」
「そうなんだ……」
アメリが言葉を止めたタイミングで、オリヴァーは頷く。緊張は和らいできたものの、今度は重苦しい空気が漂ってきた。
「ポーラはセブンス音楽学校に入ることを目指してピアノの練習に励んでいたの。貴方も学校の名前くらいは知っているでしょ?」
「首都にある有名な音楽学校でしょ? プロの音楽家を大勢輩出している」
「そう。入学試験は難しいけど、ポーラの実力なら通ると思っていたわ」
オリヴァーは音楽に関しては詳しくないが、西の国でもっとも有名な音楽学校に入るのが容易ではないことは想像できる。努力だけでなく、才能がなければ突破できない壁があるに違いない。
「でもね、ポーラは自分の才能を信じることができなかったの。プロには到底及ばない、自分はセブンス音楽学校に入る実力はないんだって、苦しんでいたの……」
「それは、辛いよね。お互い……」
オリヴァーは、フォローをするように呟く。重苦しい空気を紛らわせるように、バーナードの背中を撫でた。その一方で、バーナードは興味なさげにあくびをする。
アメリは視線を落としながら話を続けた。
「ポーラに自信を持って欲しかったから、私、伝えたの。貴方には才能がある。絶対にセブンス音楽学校に合格するわって……」
そう言いたくなる気持ちも分かる。応援している相手なら尚更。しかしアメリの瞳には、次第に涙が滲んでいった。
「でもね、私の言葉があの子の重荷になってしまったの……」
「重荷?」
オリヴァーが聞き返すと、アメリはぐすんと洟を啜りながら頷いた。ポケットから白いハンカチを取り出して、目元を押さえながら話を続ける。
「私の言葉を聞いた日から、ポーラは狂ったようにピアノを弾き続けたわ。アメリの期待に応えたい。絶対に不合格になるわけにはいかないって!」
声が震えている。重苦しい空気を吸い込むと、アメリの苦しみが肺の奥まで伝わって来て、息苦しくなった。何も言えずにいると、アメリは残酷な事実を告げる。
「そんな時よ。ポーラが橋から転落して、川で溺れたのは。土砂降りの雨の日だったわ」
「橋から転落!?」
オリヴァーは、コーランドの町に来た日のことを思い出す。そういえば、アメリと初めて会ったのも、橋の上だった。
「橋って、メインストリートにある? だけどあの橋には柵があったよね?」
「柵ができたのは、ポーラが転落した事故の後。それまでは、あの橋には柵がなかったの」
「そう、だったんだ……」
メインストリートに流れていた川は、流れが穏やかで深い川には見えなかった。だけど、雨の日ともなれば様子が変わってくるのかもしれない。
「ポーラが転落した現場を見た人が言っていたわ。憔悴しきった様子で、意識を失うように川に落ちていったって」
そこまで話すと、アメリは取り乱したように泣き始めた。
「私のせいなの! 私の言葉が、あの子を追い詰めた! 毎日練習に明け暮れて憔悴していたから、あんな事故を起こしたのよ!」
声を荒げて泣きわめくアメリを見て、オリヴァーは立ち上がる。正面まで駆け寄って、目の前で膝をついた。
「君のせいじゃないよ。転落事故と君の言葉は関係ない」
「そんな気休めはいらない! 私があの子を追い詰めたのは事実なんだから!」
俯いたアメリの瞳から、大粒の涙が何度も零れ落ちる。若草色のスカートは、次第に湿っていった。
「私ね、本当はあの子のピアノが好きなだけだったの! セブンス音楽学校にだって行かなくたって良かった! あの子のピアノを、ずっと聴いていたかっただけだったの!」
アメリの言葉から後悔が滲んでくる。大好きだったから、期待して、応援した。だけど、本人には上手く伝わらなかった。
「君は、優しいんだね」
落ちついた声色でそう伝えたものの、アメリは大きく首を振って否定する。
「優しくなんてないわ! 私の余計な期待が、あの子を追い詰めたの」
「だけど、友達を応援したいって気持ちは、純粋な優しさだよ」
目の前で苦しむ彼女の傷を、ほんの少しでも癒してあげたかった。だから言葉を紡ぐ。
「優しさって、一方通行じゃないから。受け取る側にも余白がいるんだ。きっとお友達には、君の優しさを受け止めるだけの余白がなかっただけなんだと思う」
自分のことで一杯になっている時は、人からの優しさに気付けない。もしかしたら、ポーラもそんな状態だったのかもしれない。
「難しいよね。人に優しくするのって……」
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