第5話 いつかの記憶
『……サマ。……魔王サマ』
――誰かが呼んでいる。聞き覚えのある声だ。
『魔王サマ。各地の大魔法使いは、すべて始末いたしました』
――何の話をしているんだ? 分からない。分からないけど、以前にもこんなやりとりをした覚えがある。
『これで、計画を邪魔するものはいなくなりましたね』
――計画? 何のことだ?
状況を理解できずにいると、突如金属音が響く。振り返ると、痩せこけた銀髪の男が檻に閉じ込められていた。
俯いているせいで顔は見えない。細い首筋には、首輪が付いていた。チェーンで繋がれていて、まるで犬のようだ。
『これで満足かよ? 魔王サマ』
嘲笑うような口調だが、声は震えていた。
まったく理解が追い付かないが、自分の口から驚くほど冷ややかな言葉が飛び出した。
『ワン…………それ以外、喋るなって言ったよね?』
銀髪の男は、俯きながらギリッと奥歯を噛む。苛立ったように、拳で鉄格子を殴りつけた。
『……ほんっとに、どこで間違えたんだろうな』
――本当にね。
口には出さなかったけど、同じことを思っている自分がいた。
重苦しい空気に支配されて、気が遠くなる。余計なことを考えたら、狂ってしまいそうだ。一切の感情を凍結させて、檻に閉じ込められた男を見下ろす。
『大丈夫。貴方のことは最後に殺してあげるから』
なんて救いのない言葉だ。それなのに、まるで飼い犬に語りかけているような優しい口調に聞こえた。
◇
「お客さん、お客さん?」
女性の声と扉を叩く音が聞こえる。返事をする前に扉が開いた。
オリヴァーが床に寝転びながら薄目を開けると、宿屋の女将がこちらを見下ろしていることに気付く。
「逆……なんだね」
床で寝ているオリヴァーとベッドに寝ているバーナードを交互に見つめながら、女将は憐れむように呟いた。その言葉が何を意味しているのかは、すぐに分かった。
「うちの子、ベッドじゃないと寝られないようで……」
「……そうかい」
咄嗟にフォローするも、女将からは依然として憐みの視線を向けられた。相当な犬馬鹿、もしくはただの馬鹿と思われたに違いない。
「夕飯ができたから、一階のダイニングに降りておいで」
「はい、すぐ行きます」
オリヴァーは苦笑いを浮かべながら返事をした。
女将が出て行った後、オリヴァーは床で膝を抱えて蹲る。二人のやりとりで目を覚ましたバーナードは、耳をひくっと動かしてから頭を上げた。
「どうした? そんなところで蹲って」
「師匠のせいで、おかしな奴だって思われた……」
「安心しろ。人間なんて、大抵どっかしらぶっ壊れてるもんだ」
バーナードは、ふあっと呑気にあくびをする。オリヴァーは、これ以上言っても無駄かと諦めて、立ち上がった。
「夕食ができたって。ダイニングに行こう」
「飯か! 待ちくたびれたぜ!」
バーナードは、ベッドからぴょんと飛び降りると、オリヴァーの横を通り過ぎて部屋から飛び出した。
◇
ダイニングテーブルには、既に料理が並んでいた。オリヴァーとバーナードは目を輝かせる。
「わぁ! 美味しそう!」
「バウッ」
食べる前から感激する彼らを見て、女将が満足そうに笑う。
「今日は山でとれた鹿肉のローストに、マッシュポテト、ポルチーニ茸のクリームスープ、それにくるみパンだよ。どれもこの地域の伝統料理さ」
「すっごく美味しそうです!」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ。さあ、冷める前に召し上がれ」
「はい!」
テーブルに付くと、足元からジーっと視線を感じる。バーナードが、「俺にもよこせ」と訴えていた。
「あの、犬用のお皿を貰えますか?」
「ああ、ちょっと待ってね」
女将は厨房に戻ってから、木製の平皿を持って戻って来た。
「これでどうだい?」
「大丈夫です! ありがとうございます!」
お礼を告げてから、平皿に鹿肉、マッシュポテト、くるみパンを半分ずつ取り分けて床に置いた。
「はい、師匠」
「バウッ」
バーナードは犬らしく返事をすると、勢いよく料理にがっついた。
「美味しい?」
夢中で食べているから返事はない。食べっぷりからして、相当気に入ったようだ。
オリヴァーもさっそく料理を頂く。鹿肉は赤ワインソースで味付けをされいる。肉の旨味とソースの酸味が見事に調和していた。
「しあわせ~」
オリヴァーは、頬に手を添えながら幸せを噛み締める。
野営をしている時は、手の込んだ料理はできない。狩猟で採った肉も丸焼きにして食べるくらいしかできなかった。
それにオリヴァーが魔法で火を起こすと、火力が強すぎて丸焦げにしてしまうことも多かった。だからこうして美味しいご飯にありついたのは久々だ。
ポルチーニ茸のスープも、濃厚で美味しい。夢中で食べていると、バーナードが脚に頭突きをしていることに気付いた。視線を落とすと、平皿が空になっていることに気付く。
「どうしたの? もっと食べたい?」
バーナードはコクコクと頷く。しょうがないなぁと思いつつも、空になった平皿にスープを注いだ。ついでにくるみパンも追加する。
「はいどうぞ」
バーナードは尻尾をぶんぶんと振り回しながら料理にがっついた。
ほのぼのと眺めていると、階段から誰かが降りてくる音が聞こえる。
「あっ……昼間の……」
顔を上げると、見覚えのある少女がこちらを見下ろしていた。
「あ! 君は昼間会った!」
白パンツの……と言いかけて、慌てて口を噤む。余計なことを言わずとも、少女からは冷たい視線を向けられていた。
「昼間は本当にごめんなさい!」
オリヴァーは椅子から立ち上がって頭を下げる。しかし少女は、ぷいっとそっぽを向くばかり。焦げ茶色の三つ編みも、ひゅんと揺れた。
「話しかけないで!」
完全に嫌われてしまったようだ。ズーンとショックを受けていると、厨房から出てきた女将が少女を咎めた。
「アメリ! お客さんになんてこと言うんだい!」
「だって……」
アメリと呼ばれた少女は、不服そうに口を尖らせる。女将とオリヴァーの顔を交互に見てから、早足で扉に向かった。
「まあいいわ。お母さん、私ちょっと出掛けてくるから」
「どこ行くんだい? 夜に出掛けたら危ないよ!」
「平気。行ってきます」
アメリは女将と顔を合わせることなく、足早に出て行く。女将は「まったくっ」と溜息をついた。
バタンと扉が閉まってから、オリヴァーは首を傾げる。
「アメリ? どっかで聞いたような……」
どこかで見聞きした覚えがあるが、詳しくは思い出せない。結局分からずに「まあいっかぁ」と、それ以上考えるのをやめた。
◇
夕食を終えてから、オリヴァーとバーナードは宿を抜け出す。向かったのは、キャメロット農園だ。レッドウルフ討伐の依頼人がいる場所だ。
キャメロット農園は、中心街から離れた町の外れにあり、山と隣接している。レッドウルフが山から降りてきて、農作物を荒らしているとのことだった。
せっかく育てた農作物をレッドウルフに荒らされたら堪ったもんじゃない。困り果てた農園の管理者が、役場に相談したのが今回のクエストの経緯だった。
「野生のモンスターが山から降りてくるって珍しいことだよね。普通はテリトリーから出てこないのに」
「だな。山で狩りができない事情があるのか、群れを率いる長がいなくなったのか、そんなところだろう」
「いずれにしても、通常とは違うことが起きているのかもね」
「かもな」
詳しい事情は分からないけど、クエストを受けた以上はレッドウルフを討伐するのが先決だ。
「早く討伐して、農園の人達を安心させてあげたいね」
「へっ、安心なんてこの世界にはねえよ。報酬が貰えれば十分だ」
「師匠はまたそういう意地悪を言うー」
オリヴァーはむくれ顔をしながら夜の町を走った。
◇
オリヴァーとバーナードは、キャメロット農園を見下ろせる丘にやって来た。
「さーて、どうやって仕留める? 奴らが集まってきたところを一気に焼き払うってのが手っ取り早いな」
バーナードは、楽し気に尻尾を振り回す。合法的に暴れられることに歓喜しているようだった。その一方で、オリヴァーは静かに首を振る。
「そんなことをしたら畑に被害が及ぶ。なるべく穏便に済ませよう」
「じゃあどうするつもりだ?」
「レッドウルフは興奮状態になると、炎で辺り一帯を焼き尽くす性質を持っている。だから興奮させないように仕留めるんだ」
「だからどうやって?」
バーナードが尋ねると、オリヴァーは背負っていた杖を構える。
「一撃で仕留める。痛みも感じないくらい一瞬で」
オリヴァーの構えた杖の先端から光の矢が飛ぶ。矢は農園に
「あれ、外したか……」
「手本を見せるから首輪を外せ」
「はいはい」
オリヴァーは言われるがままに、バーナードの首輪を外す。開放されたバーナードは、ブルルッと首を振ってから農園を見下ろした。
「いいか? ターゲットをよく見るんだ。魔力を細く絞るようなイメージで、撃て」
バーナードがカッと目を見開くと、鼻先から光の矢が放たれる。真っすぐ飛んでいった矢は、林檎の木の枝で羽を休めていた
「何も殺さなくても……」
「ちょうどいいターゲットがいたから、狙いたくなったんだ。そんなことより、お前もやって見ろ」
小さく溜息をついた後、オリヴァーは杖を構える。
ターゲットをじっと見つめて、集中力を研ぎ澄ます。魔力を細く絞るようなイメージで狙いを定めた。
「撃て」
呼吸を整えてから、魔力を放つ。一直線に飛んでいった光の矢は、林檎に命中した。
「やった! 当たった!」
「相変わらず、飲み込みが早くて助かるぜ」
バーナードは、声を抑えながら笑った。
その直後、生暖かい風が頬を撫でる。バーナードはピンと耳を立てた。
「さっそくお出ましだな」
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