第3話 コーランドの町

 人が行き交うメインストリートを眺めながら、オリヴァーは瞳を輝かせる。


「賑やかな町だね」


 ハイド山脈のふもとにあるコーランドは、比較的栄えた町だ。山越えのために立ち寄る旅人も多いと聞く。メインストリートには雑貨屋、服飾屋、武器屋などさまざまな店が立ち並んでいて、賑わいを見せていた。


 景観も美しく、褐色屋根の建物が規則正しく並んでいる。町の中には川が流れていて、水面がキラキラと輝いていた。


「あんまりキョロキョロするな。みっともない」


 バーナードが足元でボソッと呟くと、オリヴァーはシーッと人差し指を立てる。


「師匠、町中で喋らないでって言ったでしょ? 犬が喋ったらみんなびっくりするよ」


「バウッ」


 はい、と返事をする代わりに犬らしく吠える。通りを歩いていた人々は、行儀よく主人の隣を歩くバーナードを見て、「可愛い~」と囁いていた。


 犬が喋るというのは、常識的に考えてあり得ない。大魔法使いアナベルの名を出せば納得してもらえるかもしれないが、犬になった経緯をいちいち説明するのは面倒くさい。だからバーナードには、人前ではただの犬として振舞ってもらっていた。


「とりあえず宿屋を探さないと……。犬と泊まれる宿はあるかな?」


 そんなことを考えながら通りを歩いていると、突風に襲われた。その直後、橋の上にいた三つ編みの少女の手元から帽子が飛んでいくのが見えた。


 真っ白な帽子は、風に煽られて高く飛んでいく。そのまま落下したら帽子は川の中だ。


「師匠!」


 オリヴァーは、杖を構えながら叫ぶ。意図を察したバーナードは、地面を蹴って走り出した。


 カラフルな石畳を走るバーナードは、階段を駆け上るように宙に浮き、風で飛んでいった帽子を追いかけた。


 大きな犬が宙に舞う光景を見て、橋の上にいた少女は目を丸くしている。ほんの数回瞬きした頃には、バーナードは帽子を口に咥えていた。


 帽子を確保したバーナードは、オリヴァーのもとに戻って帽子を差し出す。その姿は、フリスビーを主人のもとに持ってくる犬そのものだ。


「よしよし、いい子、いい子」


「ガルルルッ」


 賢い犬を褒める勢いで撫でまわすと、バーナードから威嚇された。オリヴァーは、慌てて手を引っ込める。


「ごめん、つい……」


 オリヴァーは、決まりの悪そうに笑った。


 犬扱いはどうにも抜けない。そもそもオリヴァーは、犬にされる前のバーナードを知らないから、元人間と言われてもピンと来なかった。


 バーナードの頭突きから逃げながら、帽子を持ち主へ返す。


「これ、君のだよね?」


 にっこり微笑みながら帽子を手渡したものの、三つ編みの少女は赤茶色の瞳でオリヴァーを凝視するばかりだった。


 そんな反応をされるのも無理はない。魔法を使える人間は限られているから、犬が空を飛ぶ現象なんて初めて目にするだろう。


「あ、えっと、いまのは魔法だよ。魔法で犬を浮かせたんだ」


 オリヴァーが説明すると、少女はようやく納得したように頷く。


「魔法……。あなた、魔法使いなのね」


 焦げ茶色の三つ編みが、肩の上で揺れる。帽子を手渡されていることに気付いた少女は、受け取ろうと手を伸ばすも躊躇いを見せた。


「どうしたの? これ、君のだよね?」


「そう、だけど……。別に拾ってくれなくても良かったのに……」


「なんで? こんなに綺麗な帽子なのに」


 白い布地に水色のリボンが付いた帽子は、新品といっても差し支えないほどに綺麗だった。わけが分からず首を傾げると、少女は視線を落としながら言った。


「その帽子を見ていると、辛くなるから……」


 予想外の反応をされて、オリヴァーは慌て始める。親切心のつもりで帽子を拾ったけど、彼女にとっては迷惑だったのかもしれない。


「ごめんっ! 僕、余計なことをしたかな?」


 咄嗟に謝るオリヴァーとは対照的に、一連のやりとりを見ていたバーナードは唸り声をあげる。


「グルルルルッーー。バウッ、バウッ」


 不機嫌そうに吠えていたかと思うと、バーナードは少女の足もとに向かって走り出した。


「師匠!?」


 何事かとオリヴァーが叫ぶと、あろうことかバーナードは少女のスカートの中に顔を突っ込んだ。


「きゃああああああああ!」


「わーー! 師匠! 何やってんだ!」


 少女は顔を真っ赤にして悲鳴を上げる。オリヴァーは慌てて駆け寄り、バーナードの胴体を掴んだ。


「やだっ、やだっ! 何なの、この犬!?」


「ごめんなさい! すぐに退けるので!」


「もうっ! 躾がなってないんじゃないの?」


「本当にすみませんっ!」


 何とかバーナードをスカートの中から引っ張り出す。そこまでは良かった。


 バーナードがスカートから脱出して顔を上げた瞬間、裾が大きく捲れ上がって、真っ白な太腿が露わになった。その先にある白い布地もばっちり。


 見てはいけないものを見てしまった。オリヴァーは、真っ赤になりながら慌てて目を逸らす。少女はスカートの裾を抑えながら、涙目でオリヴァーを睨みつけた。


「いま、見たでしょ?」


「見てません」


「嘘、変態!」


 バチンッ――

 オリヴァーは、少女の平手をもろに食らった。



「師匠のせいで叩かれたー」


「バウッ」


「都合のいい時だけ犬にならないで」


 二人はメインストリートから一本逸れた裏路地を歩く。バーナードを恨めし気に見下ろしていたオリヴァーだったが、当の本人は素知らぬ顔で歩くだけ。まるで反省していなかった。


 周囲を見渡して人の気配がないことを確認すると、バーナードは声を潜めながら人の言葉を話し始めた。


「ったく……せっかく帽子を拾ってやったのに、礼の一つもなしかよ。マナも貯まらねえしよぉ」


 バーナードは、首輪に付いた小瓶を恨めし気に見つめる。小瓶に入った液体は、一滴も増えていなかった。


「だからって、あんなことするのはあんまりだよ! その……スカートに顔を突っ込むなんて……」


「いいじゃねーか。お前だっていいものが見られたんだから」


「よくないっ!」


 強めの口調で反発すると、バーナードは「けっ」と悪態をついた。オリヴァーは溜息をつきながら、バーナードを諭す。


「優しさって、一方通行じゃないんだよ。こっちが良かれと思って動いても、相手にとってはお節介になることもある。今回はお節介になっちゃっただけの話」


 親切かお節介かの見極めは、案外難しい。人に優しくするのも簡単ではないなと思っていると、バーナードは呆れたように吐き捨てた。


「アホくさ」

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