第10話

「まさか……。あれがテレサとか言う少女ではあるまいな」

 彼女の場数を踏んでいるであろう戦闘ぶりを見て、アイナは、少し嫌な予感に襲われていた。


 その少女は、美しい黒髪を後頭部でまとめ上げ、装備は胸当てだけの軽装――動きを重視した格好だ。武器は、少し大きめの二本のナイフを携えていた。

 しかし、何よりアイナの目を引いたのは、鋭く冷たい彼女の眼光。この眼差しで見つめられたのであれば、カティアが、自責の念に襲われたのも無理はない。そう感じさせるほどの冷たい瞳を彼女はしていた。


 アイナが、そんな思いに囚われている最中、彼女は、軽快な動きでオークを翻弄していた。

 オークの周囲を彼女が通り過ぎる度に、その大きなナイフが、紅い線を刻んでいった。既にオークの手足には、無数の傷が刻まれている。次第にオークの動きは緩慢になっていき、彼女のナイフがアキレス腱を捉えた時、その動きは完全に停止した。彼女は、四つん這いになったオークの背中を駆け上がると、その首へとナイフを突き立てた。彼女が、首の側面に突き刺さったナイフを引き抜くと、激しい血飛沫ちしぶきが上がった。

 その様子を見ていたもう一方のオークは、旗色が悪いと察し、さっさと逃げ出してしまった。


「私の助けは要らなかったようだな」

「…………」

 彼女は、アイナを横目で一瞥いちべつすると、まるでその言葉が聞こえていなかったかのように、通り過ぎて行った。

 こうして戦闘は終了し、アイナ一行と残存していた兵達は、草原を抜けた先で野営する事となった。


――ガイアの大穴 『庭』、雑木林の境界付近――


 戦闘の後、危険地帯である草原を抜け、アイナ達は、『庭』と呼ばれる場所から少し外れた茂みで野営をしていた。

 既に日も落ち、焚火の火だけが、残存している兵達の暗い顔を照らしていた。

「追って来たりは、しないのでしょうか?」

 カティアが、少し不安げに呟く。

 精魂尽き果てた兵達は、その言葉に反応する余力すら残っていなかった。


「今日のあの戦いぶりを見たら、敵もそうそう攻め込んでは来ないだろう」

 アイナは、焚火たきびに小枝を放り込みながら答えた。

「私が、見張りを務めよう。他の者達は、先に休んでくれ」

 アイナのその言葉を合図に、兵達は倒れ込むように次々と眠りに就いて行った。

「私も見張りにお付き合いしますよ」

 カティアは、アイナの分のコーヒーを手渡すと、隣に腰掛けた。

「あまり無理はするなよ」

「ええ。とは言え、私は、戦闘に参加していた訳ではありませんので――」

「肉体的には、そうかもしれんが、精神的には、疲れているかもしれんだろう?」

「姫様の言う通りですよ。私達も、暫くしたら休ませてもらいましょう」

 二人の話し声を聞いたシンシアが、話しに加わり焚火を囲む。

「で、あの娘がテレサか?」

 アイナは、少し離れた場所で背を向けて寝ている少女の方に視線を向けながら問い掛けた。

「ええ、彼女がそうです」

「しかし、物凄く鋭い目つきをした少女だな……」

「ちょっと、姫様。失礼ですよ。聞こえたらどうするんですか」

 シンシアは、声を潜めながらアイナをたしなめた。

 しかし、当のアイナは、悪びれる様子も無くコーヒーをすすりながら、不機嫌そうな顔でテレサを見やっていた。


「話は変わるが、ここには、このドロ水のようなコーヒーしかないのか? 私は、紅茶派なのだが……」

「携帯食料として持って来たのは、そのコーヒーだけでしたので……。すみません……」

「もう、姫様っ! こんな状況なのですから、わがまま言わないで下さい」

「いいんですよ。きっと、アイナ様は突拍子もない方向に話題を変えて私達の気持ちを紛らわせてくれているのですよ――」

 シンシアの容赦ないツッコミに対し、カティアが控えめにフォローを入れる。

「そんな事ある訳ないじゃないですか。『わがままな第三王女』の二つ名は、伊達だてじゃありませんよ」

「私の知る二つ名は、確か――。『可憐な第三王女』だったと思うが?」

「それは、昔の話です」

「ハハハ……」

 二人のやり取りに対し、カティアは顔を引きつらせながら、乾いた愛想笑いを浮かべていた。

「だが、お前。先程のコーヒーの件は、本音だぞ」

「ね。言った通りでしたよね」

「ハハハ……」

 カティアは、再び顔を引きつらせていた。


 そんな話をしている最中、兵の一人が、アイナ達に近付いて来た。

「アイナ様、お話し中のところすみません。重症の者が数人おりまして、このまま先に進むのは、難しいかと思われます。日の出を待って、一旦、地上へ撤退してはいかがかと……」

「何故、私に指示を仰いでいるのだ?」

「え、あ、しかし……」

 アイナに指示を仰いだ兵士が、声を詰まらせる。


「それは――。それは、アイナ様が、この中で一番地位が高い方だからです」

「私は、王族なのだから、そうなるのは当たり前として、お前は、このような可憐な乙女に指揮を任せようと言うのか?」

「しかしながら、我々は、指揮官を失っており、一般兵の集まりです。それに、アイナ様は、既に我々を先導し、窮地きゅうちを救っておられます」

 彼の言う通り、アイナが残存兵達をまとめ上げ、ここまで先導していたのは、事実である。今の状況下であれば、アイナを指揮官に抜擢する事に異議を唱える者等、現れぬであろう。


「すまぬ。少々、意地の悪い事を言った。私の経験上、このような様な見た目や位であると反発する者も多くてな。ただでさえ厄介な状況だ。これ以上の面倒事を抱え込むのは、勘弁して貰いたいと思ってしまったのだ」

「今日の活躍を見て、異議を申し立てる者等いないと思います」

 カティアが、兵の発言を後押しするかのように同調する。

「それは、どうかな……」

 アイナの視線の先には、背を向けて寝ているテレサの姿があった。

「まぁいい。だが、私達には、やらねばならない仕事がある。とは言え、この状況だ。お前達は、負傷兵を連れて明日の朝、地上に撤退しろ。何か言われるようであれば、私の名前を出してもらって構わない」

「わ、分かりました……」

「それで、明日は、お前達が『庭』を出るまで付いて行く必要はあるか?」

「いえ、そこまでは――。身を潜めつつ、出口に向かうだけであれば、我々だけで十分です」

「よろしい。では、その言葉、信じよう。だが、仮に途中で見つかって全滅したとて、私は、気にはめんからな。そのつもりでいろよ」

「はっ! 無事に生きて戻ってみせます」

「では、話しは以上だ」

「はっ!」

 最初は不安げだった兵士も、アイナとのやり取りで落ち着きを取り戻し、仲間の元へと戻って行った。

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