第6話
――その夜 アイナの寝室のバルコニー――
アイナは、寝室のバルコニーに立ち、叩かれた頬を抑えながら、ボーッと外を眺めていた。
屋敷の少し先、暗く沈んだ森からは、時折、獣や鳥達の声が聞こえてくる。空では、無数の星達が、天の川を描き、大きな月が、大地を僅かに照らしていた。
暫くすると、後方で、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「鍵は、かかってないぞ」
「では、お邪魔するわね」
部屋を訪ねて来たのは、メイフェアだった。
「はい、これどうぞ」
彼女は、アイナに氷の入った袋を手渡した。
「すまんな……」
アイナは、それを受け取り頬に当てると、再び黙りこくってしまった。
メイフェアも何も言わず、ただ横に立ち、夜空を眺めていた。
ほのかな月明りと心地良い夜風。暫くの間、静寂が流れた。
「ああ、そう言えば――。今更だけど、自己紹介がまだだったわね。私は、メイフェア。第二王女付きの騎士よ」
「うん? 第三王女付きではなかったのか?」
「いいえ、私は、普段、第二王女様の統治する西側から派遣されて王都で働いているの。王都の憲兵団は、諸事情で各地域から派遣されている騎士達で構成されているわ。という訳で、ここに常駐していた訳ではないのだけれど、私は、第二王女様の命を受け、定期的にこの屋敷の様子を見に来ていたの」
「身内も監視対象とは――。これだから、王族ってやつは……。『アイナ』には同情するよ」
「まぁ、貴方が、不審に思うのは勝手だけど、誤解しないでちょうだい。アイナ様とセレナ様の仲は、良好だったわ」
「セレナ……? ああ、第二王女の名前か」
「そう、第二王女様の――。で、話を続けさせて貰うと、私がそのセレナ様の命でアイナ様の元へ来ていた事は、一応、皆に伝えていたわ。それを承知の上で、受け入れて貰っていたの」
「どうせ、お人好しの第三王女は、何も疑わずに受け入れたのだろう?」
「人聞きが悪いわね。もう一度言うけど、二人の仲は良好だったの。セレナ様も、単純にアイナ様が心配で、私を派遣したに過ぎないわ」
「だが、お前の部下達の様子を見る限り、ただの護衛には見えなかったがな」
「確かに、アイナ様を騙して担ぎ上げるような不穏な輩が出て来ないようにと、監視していた部分もあるわ。でもね、それは、飽くまで、任務の副産物の様なものよ。主な任務は、アイナ様の護衛よ」
「にしては、二度も暗殺を実行されるとは、
「一度目に関しては、その通り。言い訳のしようも無いわ。ただ、二度目に関しては、偽物の貴方を、引き続き護衛すべきか結論が出ていなかっただけで、私達の落ち度では無いわ」
そう言いながらもメイフェアは、表情に悔しさを滲ませていた。少なくともアイナには、自身の無力さを恥じている様に見えた。
「まぁ、数年間も辛抱強く潜伏するような相手だ。騙されたとしても無理もないか」
「遺憾ながら、敵の方が一枚上手だった事は、認めざるを得ないわ」
「まぁ、済んでしまった事は、仕方がない。次は、しっかりと護ってくれよ」
「それは、約束出来ないわ」
「何でだよ」
「それは、さっきも言った通り、貴方が護衛すべき対象か、結論が出ていないからに決まっているでしょ」
「じゃぁ、さっさと戻って、第二王女の判断でも、仰いだらどうだ?」
「問題は、そういう事じゃなくって、私の中にあるの」
「であれば、尚更。さっさとどっちにするか決断して貰いたいものだな」
アイナは、ここまで淡々と会話を進めると、手摺に肘を付き、再び黙り込んでしまった。
メイフェアは、反論する代わりに、憎まれ口ばかり叩くアイナに向って舌を出し答えた。
しかし、アイナは、それに反応する事も無く、心ここにあらずという具合で、ボーッと空を眺めていた。
「私は、どうすれば正解だったんだろうな?」
メイフェアは、少し不意を突かれ、キョトンとした眼差しでアイナを見やった。
「子供達を全員逃がせておけば、確かに彼等を危険な目にあわす事はなかっただろう。だが、そうなれば、敵に勘づかれ、暗殺を中止されていたかもしれない。ここで決着が付けられなければ、暗殺に警戒しながら暮らす事になる。さらに言えば、いつ、どこで、どのように仕掛けられるか分からない以上、子供達へのリスクも無限に広がってしまう……。その可能性すらあったのだ」
「確かに難しい決断だったと思うわ。でも、シンシアの気持ちも分からなくもないわ。子供達の目の前で、あの大爆発でしょ? それは、心配にもなるわ」
「めちゃ子の防衛魔法は、一流だ。それに、子供達にも防衛魔法の訓練は、十二分にさせていた……。子供達の防衛には、万全を期したつもりだったんだがな……」
「フフ。意外と皆を信頼しているのね」
「それは、そうだ。そうでなければ、あのような無茶な作戦は、決行できん」
「まぁ、私の方から、フォローは入れてみるわ」
「上手くいくかね? あれで結構、頑固だからな~」
「そうなの? フフフ」
メイフェアは、アイナをからかうような笑みを浮かべていた。
「でも、頑固者だからこそ、貴方と一緒に行動出来るのかもね」
「何だそれ?」
アイナは、呆れた様な表情でメイフェアに返した。
「頑固者じゃなかったら、とっくの昔に愛想を尽かして、出て行ってるんじゃなくって? そうは思わない?」
「だとしたら、それについては、頑固かどうかは関係ないな。現にアイツもお前も、既に一度、私を見捨てているしな」
「あら、まだ、根に持ってるのね」
「そうだ。私は器の小さい人間らしいからな」
アイナは、少し不貞腐れ気味になって、手摺に
「フフフ。では、今日は、遅いので、このくらいにしておくわ」
「フン。結局お前は、私を笑いに来ただけだったな」
「でも、氷は、役に立ったでしょ?」
「まぁな」
「では、おやすみなさい」
「ああ」
アイナは、部屋を立ち去るメイフェアに対し、振り向く事はせず、片手を挙げて答えた。
「あっ、忘れてた。もう一つ、言っておく事があったわ」
「ん?」
アイナが思わず振り返る。
「『魔化』って聞いた事、あるわよね」
「詳しくは知らんが、知識としては知っている」
*
『魔化』――それは、《人形》が魔物化する現象の事である。原理の詳細は、解明されていないが、魔力を使い過ぎた状況でそれは起こる。それ故、戦闘用の《人形》の間で稀に起こる現象であった。戦場で酷使された《人形》が突如暴走し、敵味方関係無く殺戮を繰り返す。そんな事件が過去に何度も起きている。
しかも、魔化した《人形》は、非常に危険な存在である。膨大な魔力を誇り、通常の魔物より厄介な存在だ。その為、その制圧には多くの兵力を要し、被害も甚大になる事が多かった。
それ故、戦闘での《人形》の扱いには、細心の注意が必要とされている。
*
「あの子の性格からして、頑張り過ぎてしまう事もありそうだから、貴方がしっかりとコントロールしてあげてね」
「お前に指摘されるまで『魔化』については、頭になかった。危うく大きな間違いを犯すところだった。すまなかった」
「貴族でもない人間が、《人形》の扱いを学ぶ機会は少ないわ。気が回らなくっても仕方のない事だわ。これから意識してくれれば十分よ」
「そうか」
「そうよ」
「貴重な情報、ありがとう」
「どういたしまして」
メイフェアは、そう言い残すと、部屋を出て行った。
アイナは、彼女の後ろ姿を見送ると視線を再び外へと戻し、また何かを思い
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