第5話
「囮で二人の命を使い捨て、三人に自爆攻撃を仕掛けさせる――全く、手ゴマを無駄に使い過ぎたな。もう、勝負はついている。獅子を狩ろうという時に、狐が真っ向勝負を仕掛けてどうする? 最大の特技である化かすという事を捨てた老狐が、どう足掻こうと、敗北という結末は変わらないぞ」
「そうおっしゃるわりには、ボロボロではありませんか? 果たして、そんな体でいつまで戦えますかな?」
セバスチャンの指摘通り、アイナは、左腕を負傷しており、だらんと降ろしていた。
「老狐が相手であれば、これ一本で十分だ」
アイナは、ゆっくりと歩みを進めながら、再び、右手で剣を抜いた。
「では、その老狐の戦い方、御見せ致しましょう」
「ぺっ!」
アイナは、口の中の血を吐き出すと、走り出し、セバスチャンとの距離を一気に詰め始めた。
*
「こ、これは、一体どういう状況なの?」
「メイフェア様っ!」
シンシアは、突如現れた思わぬ援軍に喜びの声を上げた。
姿を現したのは、以前にこの屋敷から出て行った女騎士であった。女騎士の名は、メイフェア。彼女は、密偵の情報から不穏な動きを察し、屋敷の近くに戻って来ていたのだった。
「アイツら全員、暗殺者だったんだよ」
男の子の一人が、メイフェアに訴えかける。
「どういう事?」
彼女が、混乱しているのも無理はない。
既に屋敷は崩れ落ちており、その庭では、アイナとセバスチャンが死闘を繰り広げている。
「メイフェア様……、実は……」
シンシアが、俯きながら、今までの経緯を簡単に伝える。その間も、乾いた金属の音が、周囲に響き渡っている。
「あのセバスが……何て事なの……。私は、大きなミスを――」
あまりの出来事にメイフェアは、言葉を失った。
「詳しい話は、後で聞かせてもらうわ。今は、目の前の敵に注視しましょう――」
メイフェアが、何か合図を送ると、近くに潜んでいた二人の密偵が姿を現す。
「他に何か動きは?」
「いえ、ありません。彼が、最後の刺客のようです」
「全く。完全に私の心の迷いを突かれた格好ね、心底情けないわ。こんな事になるなら、偽物と分かっていても傍にいるべきだったわ」
「メイフェア様……」
メイフェアは、少し悔しそうにアイナとセバスチャンの戦闘を眺めていた。
「この子達を頼むわ」
メイフェアの言葉に、何処からともなく姿を現した彼女の密偵が無言で頷く。
「遅過ぎたかもしれないけど、行ってくるわ」
「気を付けて下さい」
シンシアの言葉に、メイフェアは、たどたどしい笑顔で返した。
*
アイナとセバスチャンは、激しく互いの剣を交えていた。
「背中から人を刺す事しか出来ないと思っていたが、なあかなどうして、やるではないか」
アイナが、少し煽りながらニヤリと笑う。
「これだけで終りではありませんよっ!」
セバスチャンは、もう一本の剣も抜き、両手に剣を構え、アイナに襲い掛かってきた。
「何っ!」
次の瞬間、アイナの頬に赤い線が走る。セバスチャンの剣が、鞭のように伸び、アイナの頬をかすめていたのだ。
「蛇腹剣か! ええい、やっかいな」
アイナは、右手一本で二本の蛇腹剣の攻撃を防ぎつつ、一旦、後方へと退いた。
アイナが、剣の間合いから外れた事を確認すると、セバスチャンは、剣を元の状態へと戻した。
「大丈夫なの?」
メイフェアが、アイナの背後から声を掛ける。
「今頃っ」
アイナは、目を細めながら、不信感に満ちた視線をメイフェアに向けた。
「まさか、こんな事になっているとは――」
「どうでもいい。そこで見ていろ。もう直ぐ決着だ」
アイナは、冷たく言い放つと、再び、セバスチャンに向って行った。
間合いに飛び込んで来たアイナに対し、セバスチャンの剣が、蛇の様に波打ちながら襲い掛かる。
アイナは、その攻撃を防ごうと、その剣の横腹を強く
それを見たセバスチャンは、透かさず、鞭上になった剣を後方へ強く引き、アイナを自身の方へと引き寄せた。
強く引かれたアイナは、姿勢を崩しながらヨロヨロとセバスチャンの方へと引き寄せられて行く。
「これで終わりですっ!」
自身の間合いに力無く飛び込んで来たアイナに対し、セバスチャンは、止めを刺すべく剣を振り下ろす。
しかし、この瞬間、アイナは、ニヤリとした不敵な笑みを浮かべていた。
気付けば、セバスチャンの剣が宙を舞っている。
「左腕が、生きている……だとっ!」
アイナは、もう片方の剣を抜き、振り下ろされた剣を弾き飛ばしていた。
「人を騙すのは、狐だけではない」
ドスンッという衝撃と共に、アイナのもう一方の剣が、セバスチャンの右脇腹へと突き立てられる。
「グブッ!」
セバスチャンは、口から血を噴き出した。彼が視線を下に向けると、蛇腹剣が巻き付けられたままのアイナの剣が、脇腹から背中へと貫かれている。
アイナが、その剣を素早く引き抜くと、その傷口からは大量の血が溢れ出した。
「うううっ!」
セバスチャンは、唸り声をあげながら膝を付いた。その痛みたるや、尋常なものではないはずである。
「あの爆発は、あのメイド達の自爆によるものだけではない」
ハッとした表情を浮かべながら、セバスチャンが、アイナの方を見る。
「お前は、慎重過ぎた。あのツインテールのメイドに致命傷を与えさせてから、残りの二人に自爆させるつもりであったのだろう。無論、成功すれば、確実に私を殺す事が出来た。だが、その一方で、私に隙を与えてしまった。あの小娘が飛び込んで来る瞬間に、私は、自分の周囲を吹き飛ばす、大魔法を発動した。それに気付いた両側のメイド達も自爆魔法を発動させたようだが、私の方が一瞬早かった。メイド達は、吹き飛ばされた後に自爆する形となった。それでは、威力は激減だ。結果、私は、多少の火傷を負う程度で難を逃れた。しかも、適度に負傷したおかげで左腕が使えないように見せかける事も出来た。まぁ、普通、あの状況を見たら、自爆攻撃が失敗したとは考えないからな。これは、結果論ではあるが、さっさと二人に自爆させていた方が、勝機があったという訳だ」
「私の完敗ですな……」
セバスチャンは、項垂れながら呟いた。
アイナは、彼の前に立ち、そして、首元に剣を突き付けた。
「セバスチャン、誰の指金でこんな事をしたの!」
アイナの後方からメイフェアが歩み寄り、
その声を聞いたセバスチャンの口元が、僅かに緩む。アイナは、その僅かな変化を見逃さず、氷の様な冷たい視線を送っていた。
「もし、私を――うっ」
アイナは、セバスチャンに話す暇を与えず、喉を掻っ切った。
「ちょっと! 何をするのっ!」
メイフェアは、アイナの肩に乱暴に手を掛けると、自分の方へと振り向かせ、抗議した。
「首謀者の名前を聞き出せたかもしれないのに、貴方は、何をやっているの!」
その問いに対し、アイナは、
「五年も潜伏してお前達を
アイナは、肩を大きく動かし、メイフェアの手を振り払うと、その場を立ち去ろうとした。
だが、今度は、シンシアが、その前に立ちはだかる。
「何だ? お前も何か言いたい事があるのか?」
「…………」
シンシアは、無言でアイナを睨み付けている。アイナは、その圧に負け、視線をシンシアから逸らしながら、再び口を開いた。
「それで、皆は無事だったか?」
「ええ、何とか。それより――」
シンシアは、重々しく沈んだ口調で本題に入る。
「姫様は、知っていたんですか?」
「何の話だ?」
アイナは、シンシアの言葉の意図が読み取れず、思わず彼女の方へと視線を戻してしまった。
「こうなる事を、知っていたんですかと聞いているんですっ!」
シンシアは、一歩前に踏み出し、そして、アイナに詰め寄る。
「ああ、予見はしていた。確証は無かったが、猫が、毒にやられた時に――」
パチーン。
その話の途中、平手打ちの大きな音が周囲に響き渡る。
その場にいたメイフェアや子供達は、あっけに取られていた。
アイナも頬を抑えながらもシンシアに視線を向けている。
一方、頬を叩いた側のシンシアであったが、その目には、微かに涙を浮かべていた。
「子供達を危険に晒すなんて、一体、何を考えているんですかっ!」
「子供達を避難させて、敵に悟られる訳には、いかなかったんだ。しかたないだろう!」
「そんなに敵に殺す事が重要だったんですかっ! 子供達の命よりも?」
「…………」
アイナは、悔しそうに視線を逸らすだけで、反論はしなかった。
「最低です! 行きましょう」
「で、でも……」
シンシアは、戸惑っている子供達を集めると、半ば強引に宿舎へ連れ帰かえろうとしていた。
「敵を逃がしてしまっては、いずれこうなってしまう。更に悪い結果をもたらす事もある。で、あるならば、やれる時にやるしかないだろうに――」
アイナは、誰に言うでもなく、捨て台詞を吐いた。
シンシアが、子供達の手を引いて帰ろうとした時、男の子が、何かの異変に気付いた。
「ちょっと待って、シンシア姉ちゃん! あっちの方から変な声が聞こえるよ」
男の子は、そう言いながら、壊れた屋敷の方を指差している。すると、シンシアを含めた大人達が、一斉に声の方へと視線を向けた。
そんな最中、一早く動いたのは、メイフェアであった。彼女は、状況を確認すべく、声の
「この子、まだ息があるわ」
子供が指さした先でメイフェアが見つけたものは、死にかけたメイドの一人であった。その子は、爆発の後にアイナが引き摺っていた、あのメイドである。
「運の良い奴だ。私を刺し殺そうと正面から
アイナは、剣を抜きながらメイフェアの元へと歩み寄った。
「とは言え、あの場には、自爆攻撃の衝撃波も入り乱れていたからな。もう戦う力も残っていないだろう」
アイナは、そう言いながら、うつ伏せで血を吐いて倒れているメイドの髪を掴み頭を持ち上げた。メイドの口からは、粘り気のある血が、ゆっくりと滴り落ちる。
アイナが、無言のまま、彼女にゆっくりと剣を突き立てようとしたその時、シンシアが、走り込んできて、その手にあった剣を叩き落とした。
「この子は、メイド達の中でも一番年下だった子です! まだ子供ですっ!」
「不殺の心掛けは立派だが、生かしておけば、また誰かが狙われるかもしれない。それでもお前は――」
「私は、姫様と違って、長い間ずっと、彼女達と一緒に暮らしていたんですっ!」
シンシアは、アイナを睨み付け言った。彼女の目からは、涙が溢れている。
「姫様の方が正しいのかもしれません。でも。もう、これ以上は耐えられそうにありません……。これ以上続けられては、私は、姫様の事を――」
シンシアは、大事そうにメイドの子を抱きしめながら、涙ながらに訴えていた。
アイナにとっては、最近会ったばかりの人間達であっても、シンシアにとっては違う。何年もの間、共に過ごしていた仲間達のだ――それが、たとえ裏切り者だったとしても。
恐らく、彼女は、今、相当な混乱の中にいる。彼女の言葉通り、これ以上の心の負荷には耐えられないかもしれない。
それを理解したアイナは、諦めにも似た表情を浮かべ、裏切り者を生かすというリスクを背負う決断した。
「はぁ~、分かった。だが、覚えておけよ。その選択には、他者を危険に巻き込むリスクがあると言う事を――」
シンシアは、その言葉に反応し顔を上げ、赤く腫らした目をアイナの方へと向けた。
「まぁ、私としても、暗殺者とは言えど、子供を殺す事には抵抗がある。確かこの屋敷には地下牢があったな。そこにぶち込んだ上で、お前が面倒を見るんだな。くれぐれも暗殺者である事を忘れるな」
アイナは、剣を鞘に納めると、その場を立ち去って行った。
シンシアは、アイナの背中に向けて、無言で頷いた。そして、意識無く、ぐったりとしているメイドを抱き起こし、顔の汚れを親指で拭ってやった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます