第7話
――ララの村 壁外――
村の木製の門が閉じられ、アイナは一人、黒い大きな獣と対峙する形となった。黒い獣との距離は、まだ少しあり、闇夜に僅かにその輪郭が見える程度であった。
「さてと、行くとするか」
アイナは、『
周囲の空気は、人々の緊張を吸い込んだかのように張りつめていた。黒い獣は、そんな張りつめた空気の中をゆっくりと歩み寄って来る。
獣が近付くに連れ、その姿が少しずつ見えてきた。アイナと対峙するその獣は、黒く大きな獅子のようであった。毛の一本一本がヤマアラシの毛の如く太く鋭く尖っており、目の周囲や鼻先にかけて赤い線の模様が入っていた。そして、その模様は、闇夜の中、僅かに赤く発光していた。
黒い獣は、アイナにある程度近付くと、その歩みを止めた。そして、荒い息遣いでアイナの次の動きを
一方のアイナも、その黒い獣の巨体を目の当たりにしても、鋭い視線を向けたまま、一歩も退く様子はなかった。
そして、アイナが剣を強く握り、魔力を込め始めると、『微風の剣』は、
「推して参る!」
その言葉と同時に、アイナが足で馬に合図を与えると、ファルシオンは、一度立ち上がり、
それに呼応するかのように黒い獣もアイナに向かって突進を始めた。
アイナと獣の距離は、一瞬で縮まった。だが、次の瞬間。黒い獣の両脇から、大きな
「ちいっ!」
アイナは、咄嗟に、馬の進路を変えて、それを避けようとした。だが、急激な方向転換にファルシオンがバランスを崩し、アイナは、馬から放り出されてしまった。
投げ出されたアイナは、瞬時に受け身をとり、二、三回転したところで止まった。
「なんて奴だ。普通の馬であれば、あれをかわせず、今頃、真っ二つになっていたぞ……」
そう言いながら、立ち上がると、アイナは、口笛を吹いてファルシオンを呼んだ。そして、駆け寄るファルシオンの手綱を掴むと、フワリと風を
「ええい、情けない。何という失態だ。使うつもりのなかった保険を、早々、使うはめになるとは――。めちゃ子のヤツ、無理をしなければいいのだが……」
アイナは、はるか先を走る黒い獣の後を追った。
黒い獣は、アイナには見向きをせず、村の方へ一直線で向かって行った。その勢いのまま、木製の門を突き破り、村の中へと侵入した。
黒い獣の侵入を許した村では、パニックが起こっていた。人々の絶叫が響く中、黒い獣は、颯爽と中央の通りを駆け抜けて行った。
その中央の通りの先、広場の前には、通りを塞ぐように石や家具等を積み上げた簡易のバリケードが準備されていた。その背後には、粗末な武器を持った村人達とシンシア、ララが待機していた。
黒い獣は、それらを視認してもなお、走るスピードを落とさなかった。
「ヤバイ! アイツ、このまま突破する気だ!」
村人の叫び声と共に、その場に居た人々が、逃げ出そうとした次の瞬間、轟音と共に黒い獣が、バリケードに突っ込んで来た。
「危ないっ!」
シンシアが、ララを抱えて地面に突っ伏す。その頭上を、黒い獣の脇腹の
バリケードを破った獣は、逃げまどう人々を跳ね飛ばしながら暫く進み、広場の中央付近で止まった。そして、ゆっくりと振り返ると、再び、前掻きを始めた。
「怪我は、ありませんか?」
「大丈夫」
シンシアとララは、埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がった。
「そんなっ!」
シンシアは、周囲の惨状に気付き絶句した。
突破されたバリケードの両側には、獣の
しかし、そんな事に気を取られている時間は、彼女に残されていなかった。
再び、黒い獣が、彼女達の方へと突進しようとしていたのである。
「ここで食い止めないと、もっと多くの被害が――」
シンシアは、厳しい表情で黒い獣を睨みつけていた。
「ララも頑張る」
ララがシンシアの裾を引っ張りながら言った。シンシアは、それに黙って頷くと、両手を黒い獣に向け魔法を発動し始めた。
それに気付いた黒い獣は、二人にターゲットを定め、再び突進を始めた。
アイナが、黒い獣を追って、村の中に戻った時、広場の方で強い光が発せられているのが見えてきた。
「まさか、あいつ。まともにやり合う気じゃないだろうな!」
アイナは、慌てて光の方へと、馬を走らせた。
アイナが、その先で見た光景は、想定とは異なるものだった。
シンシアとララが協力し、巨大な防衛魔法を展開しており、黒い獣の進行を食い止めていたのである。
そして、展開されている魔法陣は二つ。一方は、地面に展開され、鳥もちのように獣の足に絡み付いている。そしてもう一方は、大きな盾の形状に展開され、物理的に獣の進行を抑えていた。
「あれは――。まさか、『勇者の盾』? これほどの上級魔法を使えるとは……これが、《人形》の持つ本来の力という訳か……」
アイナは、自らの目を少し疑っていた。それほどシンシアの展開した魔法が
しかし、そんな事を考えている猶予は無さそうである。黒い獣は、二人を押し返そうと力んでいる。口からは、プシューっという音と共に蒸気のような熱い息が漏れ出ていた。当初は、顔だけに見えていた赤い模様も、背中や脇腹にまで広がっている。そして、その模様は、獣が力を込める度に赤く輝いていた。
「んんんんーーーっ! 姫様が追いつくまでは、何としてもっ!」
シンシア達は、魔法の盾ごとジリジリと後方に押されながらも必死に耐えていた。
「良い盾役だ! そのままそいつを抑え込んでいろ!」
「姫様っ!」
その声を聞いたシンシアとララの表情から、一瞬で曇りが消えた。
アイナは、馬の上に立ち上がると、次の瞬間、一気に飛び上がった。
「肩を借りるぞ!」
「わ、わ、わ、私を踏み台にした?」
馬から勢い良く飛び降りたアイナは、シンシアの肩に右足を掛け、更に前方へとジャンプした。
そして、二本の剣を引き抜くと、獣の顔目掛け、一気に振り下ろした。アイナの剣は、獣の角と両目を奪った。黒い獣は、その痛みで、天を仰ぎながら大きな鳴き声を上げた。
「もらったー!」
アイナは、着地と同時に、隙のできた獣の喉元目掛け斬り込んだ。アイナの二本の刃が獣の喉を捉え、その切り裂かれた喉からは、大量の血が降り注いだ。そして、その降り注ぐ血の雨が、アイナと周囲を紅く染めた。
喉を切り裂かれた獣は、そのまま力無く大地に倒れ込み、断末魔の叫びを上げる事も出来ず、ただ、ゴボゴボと口から泡を吐いていた。
アイナは、血振りを行った後、二本の剣を静かに鞘に納めた。そして、黒い獣の元へと歩み寄る。
黒い獣は、己の死を悟ったのか、ただただ、アイナを見つめていた。
「そんな目で見るな。我々とて、黙って狩られる訳にもいかんのだ……」
黒い獣の鼓動は、徐々に弱気なり、やがて静かになった。
アイナは、獣の顔に手を当てると、静かに目を閉じてやった。
「この獣を駆り立てたものは、人間への復讐心だったのでしょうか……」
アイナの背後から、シンシアが呟くように言った。
「さぁ、どうだろうな」
アイナは、そう答えると、獣の
すると、後方からカチンという石が転がる音が聞こえてきた。アイナが振り向くと、数人の村人達が、獣の亡骸に石を投げつけている。
「ちょっと、それは――」
一歩前に歩み出ようとしたシンシアを、アイナが顔を横に振って制する。
「家族を失った者もいるのだ。当事者に綺麗事は、通じない」
「…………」
アイナとシンシアは、無言でその場を後にした。
石の跳ねる音は、その後も止む事は無かった。
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