第9話
アイナは、子供達を引き連れ、集会所から出ようとしていた。
しかし、扉の外では、巨大な黒い影が、立ちはだかっていた。
「はぁ~、まだ、終わってなかったか……。普通は、今のところでハッピーエンドだろうに……。この世界の脚本家は、ロクなもんじゃねぇな」
アイナはため息混じりに呟いた。
正面に立ちはだかったのは、この集団の『頭』と呼ばれる存在だった。彼は、人狼であり、身の丈は、三メートル近くある巨体で、他の人狼達と比べても、はるかに大きい。顔は、ゴツく、巨大な牙をむき出しにしている。
「お前、あんな奴に献上されていたら、体がもたなかったな」
「セクハラは、万死に値するんじゃなかったですか?」
シンシアは、アイナに対し、軽蔑の眼差しを送った。
『頭』の後ろには、捕らえられた村人達が、集められている。村人の周囲には、彼の部下であろう人狼が取り囲んでおり、逃げ道を塞いでいた。
「ああ。神様、どうかお助けを――」
捕らえられていた老人が、天を仰ぎながら言った。
「そんな事をしても無駄だ。俺は知っている。お前達の神は、この世界を創った後、眠りこけているのだろう?」
「ほう? 狼の癖に博学だな、この地方の神話をご存じとは――」
「そこの娘。我々を侮辱して、生きて帰れると思うなよ」
アイナは、シンシアの方を振り返る。
シンシアは、呆れた表情でアイナの方を指さす。
「あっ、娘って、私の事か……」
「ふざけていられるのも今のうちだぞ」
『頭』は、両手に大きな斧を構え、戦闘態勢に入った。
アイナも、二本の剣を抜き、それに応じた。
二人は、互いの間合いを見極めているかのように、ジリジリと距離を詰めて行った。二人が対峙している間、周囲にいた者達も動きを止め、勝敗の行方を見守っている。
そんな空気を察してか、敵味方問わず、村にいた者全てが、次々とこの場に集まり始めていた。その光景は、ある意味、異様でもあった。村を襲っていた蛮族も、防衛していた兵達も、自らの役割を放棄し、観客と化していたからである。
この一戦で全てが決まる――誰もがそう感じ、事の成り行きを、固唾を呑んで見守っていた。
そして、辺りを静寂が包む。
先に動いたのは、『頭』の方だった。『頭』は、その大きな斧を振り上げ、アイナに襲い掛かった。
しかし、アイナは、その攻撃に臆する事なく、股座に飛び込んで行った。振り下ろされる大きな斧を僅かな差ですり抜け、『頭』の足元へと滑り込む。巨体の下で地面を滑走するアイナと『頭』の視線が合う。その時アイナは、不敵な笑みを浮かべていた。
アイナの二本の剣が、『頭』の両足の内腿を捉え、その肉を切り裂くと、僅かな時をおいて支えを失った巨体が、前方へと崩れ落ちた。
股座を滑り抜けたアイナは、すぐさま反転し、『頭』の背後から次の一撃を狙う。アイナは、その崩れ落ちた巨体の背中を踏み台にし、飛び上がると、『頭』の首筋目掛けて急降下した。
そして、その首筋にクロスさせた二本の剣を当てると、それを一気に両側に開き、その首を斬り落とした。
斬り落とされた首が、広場に転がると、周囲に居た蛮族達に動揺が走った。
「お、おい、『頭』がやられちまったぞ……」
アイナは、その巨体から飛び降りると、周囲に居た蛮族達を睨み付けた。
すると、数的にはまだまだ優勢な彼らが怯み、一歩退いた。いけると踏んだアイナが、更に一歩前に出ると、取り囲んでいた人の輪が、更に一回り大きくなった。
「勝ち鬨を上げろっ!」
アイナが、周囲に向って叫ぶ。
「ウォーーーッ! 我々の勝利だーーーっ!」
近くにいた村人や兵達が、各々で声を張り上げる。
それを聞いた蛮族の多くが動揺し、一部が逃走を開始した。
「おい、待て! まだ、数的には、我々の方が――」
同胞に向け、その様に声を掛ける者もいたが、大勢を崩す事は出来なかった。彼らは、蜘蛛の子を散らす様に敗走していった。
*
一部残っていた蛮族達は、最大の脅威であるアイナに、神経を集中していた。最早、村人達には、関心も無く、捕らえた彼らを見張る者すらいなくなっていた。それに乗じ、集められていた村人達は、思い思いの方角に逃げ出し始めていた。
しかし、その時、一人の蛮族の男が、逃げ出そうとしていた女を捕らえ、首に剣を当てた。
「キャーーーッ!」
アイナの後方から、耳を劈く様な女性の悲鳴が、聞こえて来る。
「ぶ、武器を捨てろ! こいつがどうなってもいいのか?」
アイナが、面倒くさそうに声の方に振り向くと、追い詰められた男が、震えた手で剣を構えながら、人質を取っていた。その両脇では、二匹の人狼が、牙を剥いて威嚇している。
アイナは、眉をひそめながら言い返す。
「どうせ、全ての人間を助ける事は出来ない。さぁ、やれよ。私をもっと楽しませてくれ」
アイナは、そう言うと、狂気じみた笑みを浮かべながら舌なめずりをした。
「チ、チクショー! イカれてやがる!」
人質を取っても無駄な事を悟った男は、剣を捨て逃げ出した。両脇の二匹の人狼も互いに顔を見合わせた後、それに続いた。
その行動を皮切りに、残っていた蛮族達も逃走を始め、完全に勝敗は決した。
そして、村人達からは、安堵と歓喜の声が上がり、危機が去った事を皆に実感させた。
しかし、全ての者が、喜びに浸っている訳ではなかった。肉親を失った者達は、その歓声の中、亡骸に寄り添い、ひっそりと泣いていた。
アイナは、そんな人達をやり切れない表情で見やりながら、二つの剣を鞘に納めた。
シンシアは、人質となっていた女性に寄り添い、何かを話していた。その女性が、頭を下げて立ち去ると、彼女は、アイナの方へと向かって歩いて来た。
パチーン!
大きな音が周囲に響き渡り、アイナとシンシアの元には、皆の視線が集まった。
アイナの頬は、僅かに赤く染まっており、シンシアに
「あの人が殺されていたら、どうするつもりだったんですかっ!」
「アイツは、完全に怯えていた。少し大げさに脅してやれば、逃げて行く。そういう作戦だ」
「だとしてもです。もう二度と、命で博打を打つような真似はしないで下さいっ!」
そう言い残して去って行くシンシアを、アイナは、頬を押さえながら、言いたい事を押し殺し、ただ黙って見送っていた。
二人は、その日、復旧作業を手伝う為、村に残る事とした。
アイナ達が、逃走した蛮族の残党が、北の領地で討伐された事を知るのは、この何カ月も後の事である。
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