第8話

 シンシアと子供達、その他女性らが逃げ込んだ集会所は、既に猛攻を受けており、その固く閉ざされていた扉が破られるのも時間の問題となっていた。


 ガターンッ!

 その時が遂に訪れる。差し込む光が映し出したシルエットは、ヒーローのそれではなく、絶望のそれであった。


 集会所の中へ数人の灰色狼の毛皮を纏った男達がなだれ込んで来ている。彼らは、生き残っている女子供達を隅へとジリジリと追いやった。

「私はどうなっても構いません! この子達には手を出さないで下さい!」

 シンシアは、男達に臆する事なく言い放ち、彼らの前に両手を広げて立ち塞がった。

 しかし、必死の形相で訴えかける彼女に対し、男達は、ただニヤニヤと笑って返すだけだった。


「バカか、お前? ここにいる奴らは、既に全て俺達のもんなんだよ。生かすも殺すも何するも、ぜぇーんぶ、俺達の自由なんだよ」

「ガッ、ハッ、ハッ、ハッ」

 男達の下品な笑いが、部屋中に響き渡る。

 シンシアの後ろでは、子供と女性達が、怯え切っている。

「しかし、このメイド姿の女。かなりの上玉だな」

「そうだな、こいつは『頭』への献上品に打って付けだな。ヘッヘッへー」

「さぞかし『頭』もお喜びになるぜぇ」

「違いねぇ」

「ガッ、ハッ、ハッ、ハッ」

 再び男達の下品な笑い声が響き渡る。

 シンシアは、凛々しくも険しい表情でその様子を睨みつけている。

「じゃぁ、他の奴らは、俺達でいただいちまうか」

「そうだな」

 武器を構え、舌なめずりをしながら男達がシンシアの方へと歩み寄って行く。

 シンシアは、震えながらも短剣を抜き身構えた。

「おうおう、俺達と戦おうってのか? 健気だねぇー」

「へ、へ、へぇ――、へぇ?」

 一番後ろにいた男の顔から血の気が引いて行った。


 男が、自分の腹に視線を向けると血まみれの剣先が飛び出している……。そして、その剣先が、ゆっくりと引っ込んでいく。剣先が姿を消すと、今度は、大量の血が溢れ出し、男は、そのまま意識を失い崩れ落ちた。


 地面に倒れた男の背後からは、逆光に照らされた少女のシルエットが浮かび上がる。

「セクハラは、万死に値するな……」

 その聞き慣れた少女の声がシンシアの耳に届くと、彼女の表情が一気に明るいものへと変化する。


 アイナは、剣を一振りし、血を振り払うと、シンシアに向って言った。

「おい、そこのメイド! よくも見捨てた人間に、ずうずうしくも助けを求められたものだな」

「今は、そんな事、言ってる場合じゃないじゃないですか! いつまで、小さい事に拘っているんですか。器が小さ過ぎです!」

「ちっ! この女……。こっちは、報を受けてから、急いでここまで来てやったというのに――そっちがその気なら、もう分かった」

 命懸けでここまで来たというのに、大した感謝も示さなかったシンシアに対し、アイナは、少しだけイラついていた。そして、意地悪い提案を思いつく。

「では、選べ。ここで男達の慰み者になるか、私を『アイナ』として受け入れ、以前と変わらぬ忠誠を誓うか――」

「お、おい、お前ら、俺達を無視してんじゃねーーーっ! そこの小娘っ! お前が、最初の慰み者だっーーー!」

 二人の会話に割って入るように蛮族の一人が、アイナに向かって斬り掛かって来た。襲い掛かって来た敵に対し、アイナは、それをいなすように一歩後退しながら剣を軽く振り降ろした。

 次の瞬間、蛮族の男は、真っ二つに切り裂かれ、斬り掛かった勢いのまま、血をまき散らしながら、アイナの後方へと転がっていった。

「これで二人目……。残るは三人か?」

 アイナの鋭い眼光に、男達は一瞬怯み、じりじりと距離を取り始めた。

「次はどいつだ? 私はいつでも良いぞ」

 アイナは、もう一本の剣を抜刀しながら、挑発するように言い放った。

 その挑発に対し、男達は我慢しきれずに、一斉に斬り掛かった。

 アイナの瞳が翠玉色に輝き出し、その体に風を纏い始める。そして、次の瞬間、眼光の残像だけを残し、姿を消した。

 すると、部屋中に空気の振動が伝わり、その場に居た者達の耳にキーンという不快な音を残した。耳を劈くようなその衝撃に、シンシア達は、思わず耳を押さえた。


 誰もが何が起こったかを理解出来ずにいた。アイナは、瞬時に三人の間を通り抜け、シンシアの前へと辿り着いていた。アイナの辿った軌跡は、皆の網膜に光の残像として刻まれていた。

「私は、役目を果たした。次は、お前の番だ。約束通り、私に従ってもらうぞ」

 勝敗は既に決していた。アイナが二本の剣を鞘に納めと、背後に居た三人が、口から血反吐を吹き出しながら、床に崩れ落ちていった。ある者は背中を、またある者は腹を、またある者は首を斬り裂かれていた。

 三人は、暫くうめき声を上げていたが、程なく事切れた。


「おい!」

 呆けているシンシアに対し、アイナが呼び掛ける。

「あっ、はい!」

 我に返ったシンシアが、慌てて答える。

「私の話を聞いているのか?」

 その問い掛けに対し、シンシアは、ほんの暫く考え込んだ後、何かを決意したかのように口を開き始めた。

「で、で、で、でも、私は、何も返事をしてません! 姫様が一方的に言っただけです」

 シンシアは、一歩前に出て反論した。二人は、体が触れる程の距離で対峙している。シンシアの身長は、一七〇センチ以上、それに対し、アイナの身長は一五〇センチ程度と、必然的にシンシアが、アイナを見下ろす形となった。

「私に歯向かうとは――。だが、震えているぞ?」

「忠誠を誓うのは構いません。でも、条件があります」

「何?」

「この子達を見捨てる訳にはいきません。一緒に面倒を見て下さい。でなければ、私は、ここを離れる事は出来ません」

 シンシアは、震えながらも、精一杯の交渉を行なった。

「ふん、気に入らんな。特に見下されながら、指図されるというのは――」

「す、す、す、すみません」

 シンシアは、飛び跳ねるように一歩下がり距離をとった。

「まぁ、良かろう。屋敷の使用人宿舎でも、使うがいい。ただし、働かざる者、喰うべからずだ。子供と言えど、しっかり働いてもらうぞ」

「それじゃぁ、これからも一緒にいられるんだね」

「そうですね」

 子供達の間からは歓喜の声が上がり、シンシア達は、抱き合って喜びを分かち合った。

「契約成立ですね」

 シンシアは、笑顔を浮かべながら小首をかしげるような仕草をとった。彼女の天使のような微笑みを前に、アイナの頬が、微かに熱を帯びた。

 男の状態のまま、この微笑みを浴びていたら、ひとたまりもなかったかもしれない――アイナは、こめかみに汗を浮かべながら、そんな事を考えていた。その微笑みは、それ程に愛らしいものだった。


「ありがとうございます」

「助かりました」

 アイナは、この場に避難していた人々からも感謝の言葉を浴びていた。そんな中、部屋の隅で手招きしているシンシアの姿が視線に入った。

「では、こちらに来て下さい」

「ん?」

 アイナは、シンシアの元へと向かった。すると彼女は、おもむろに後ろを向くと、うなじを見せながらしゃがみ始めた。

「な、何をしているのだ?」

 アイナが首を傾げる。

「契約の準備です。魔法で紋章を刻むのでしょう?」

 シンシアは、振り向きながら答えた。

「はぁ? 忠誠だけ誓ってもらえれば、そんな事はしなくて良い」

 アイナの言葉を聞いたシンシアが、一瞬、キョトンとした表情を浮かべた。

「本当に、契約はしないのですか?」

「ああ」

「強制は――、無しという事ですか……。意外と『紳士』さんなんですね」

「私をおちょくるなら、契約に変えても良いんだぞ」

「わ、分かりました。冗談です。冗談」

 シンシアは、そう言いながらテヘペロっと舌を出した後、自身の忠誠を示す為、アイナの前に跪き、手の甲にキスをした。


「経緯は、どうあれ、私は、アイナとして生きる事を決めた。お前もそれで良いんだな」

「はい。私も、そろそろ現実を受け止めなければならない時期かもしれませんし――」

「それでは、今から、私はアイナだ」

「はい。姫様」

「姫様? アイナ様でなくてか?」

「細かい事は、良いじゃないですか。早く、屋敷に帰りましょう」

「全く……。では、行くとするか」

「はいっ!」

 シンシアは、満面の笑顔で答えた。

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