第5話

 暫く経ったある日の事、屋敷に小さな二人の訪問者が現れた。

 二人は、小さな男の子と女の子で、どうやら双子のようである。その布で出来た簡素な服装から、どこか貧しい村からやって来た事は、容易に想像が出来た。

「うわぁ……。噂通りの悪魔の館だ」

「でも、シンシア姉ちゃんを助ける為には、これしかないのっ!」

 賊が何人も吊るされているその異様な光景を前に、二人は、一瞬、たじろいだ。

 その日は、青い空に、白い雲がゆっくりと流れる穏やかな日であった。だが、それがかえって、この光景の異様さを際立たせる結果となった。

 二人の心の中に色々な不安が過ったが、その決心は固く、彼らは、意を決してその門をくぐる事にした。


 正に、そんな時である――。

「助けてくれ~。もう三日も何も喰ってねぇ。雨水を飲んで生き長らえてるんだぁ~」

 吊るされていた男の一人が、かすれた声で訴えてきた。

 二人は、再び怯んだが、彼から目を逸らし、聞かなかった事にして中へと進んで行った。

 屋敷の庭は、手入れが行き届いていないのか、雑草が伸び、鬱蒼としていた。石畳の隙間からも、生命力豊かな草が、顔を覗かせている。

 二人は、その荒れ果てた庭を、互いの手を取り進んで行く。暫く進むと屋敷が見え始めた。


 二人は、館の前へと辿り着くと、勇気を振り絞って大声を上げた。

「アイナ様ーーーっ!」

 しかし、反応がない……。こんな思いをしてまで、ここに来て、手ぶらでは帰れない。そう考えた二人は、再び、息を合わせて叫び始めた。

「アイナ様ーーーっ!」

「アイナ様ーーーっ!」


「黙れ、小童!」

 二人のしつこさに根負けし、屋敷の中から髪を掻きながら、寝間着姿の少女が現われた――『アイナ』である。

「あれ、意外と可愛い……。これが本当に赤い悪魔と言われる人なの?」

 アイナの姿を見た女の子は、隣に立っている男の子に耳打ちした。

「間違えないと思うよ。門の所には、裸の男達が吊るしてあるし……。それにあの髪。噂通りの血の色だ……」

「聞こえているぞっ!」

「イテッ!」

 アイナは、男の子の頭を叩(はた)いた。

「暴力反対!」

「児童虐待反対!」

 二人は抗議の声を上げた。

 すると再び、アイナが、拳を振り下ろす。

「イタッ! 二度もぶった!」

「うるさい! か弱い少女の振るう鉄拳は暴力ではない。殴っても許される。それが乙女の特権だ!」

 アイナは、得意げに言い放った。そして、さらに続ける。

「それにだ。これのどこが血の色だ。どう見ても可愛いピンクブロンドだろうに」

 アイナは、二人に自身の髪を見せながら、自慢げに言った。

「でも、ピンクというには、少し赤過ぎる気がするわ」

「まぁ、そう言われると、返り血を浴びて赤味が増したような気もするが――」

「うわぁ、やっぱり、血染めの噂は、本当なんじゃないか……」

 男の子は、引きつった表情で言った。

「冗談だ。それはそうと、この私に何の用だ?」

「あっ、そうだよ、大変なのよ!」

「シンシア姉ちゃんを助けて欲しいんだ!」

 二人は、自身の使命を急に思い出したかのように捲し立てた。

「ああん? シンシアって……。ああ、あのメイドの事か」

 アイナは、名前を聞いて、すぐに理解はしてはいたが、意地悪くとぼけて見せた。

「そうだよ、ここで働いていた……。忘れちゃったの?」

「だが、あいつとは、一体、どういう関係なのだ? まさか、姉弟きょうだい姉妹しまいでもあるまい?」


 聞くところによれば、この二人、辺境の村の孤児院の子供らしい。

 そして、そこは、シンシアがアイナの屋敷へ来る前に過ごしていた場所であり、彼女は、今、そこで戻って働いているとの事だ。彼女は、子供達からとても慕われており、親しみを込めて『お姉ちゃん』と呼ばれているようである。


「で?」

 アイナは、自分を置いて去って行ったシンシアの事を思い出し、少し不機嫌な表情を浮かべながら言った。

「私達の住んでいた村が襲われそうで大変なのよ。だから、アイナ様に助けに来て欲しいの!」

「北の蛮族が、もうすぐ攻めて来るらしいんだ! 北の方にある村が次々と襲われてて、僕らの村も危ないらしいんだ」


 二人の話によれば、北の蛮族と呼ばれる盗賊団が、辺境の村々を次々と襲っているとの事。王都からも兵を送って防衛の任に当たらせているようではあるが、圧倒的に数が足りず、彼らの村が襲われるのも時間の問題となっているらしい。


「しかし、それは、少し不可解だな。北の蛮族がいきなりこの領地の村を襲う事等、通常は、不可能であろう?」

 アイナが、疑問を持ったのには理由がある。この国の構造を考えると、不自然な点が多かったのだ。

 しかし、アイナの言葉に、子供達は、首をかしげている。

「では、一つ、授業をしてやろう」

 二人の様子を見たアイナは、そう言いながら、枝を一本拾うと、地面に図を描きながら、この国のあらましを説明し始めた。


 彼等の住むこの島は、天庭スカイガルズと呼ばれている。四方を海で囲まれ、他の国のある大陸からは、完全に孤立した位置にある。そして、この島は、星が落ちた時に出来た大地と言われており、円形の盆地とそれを取り囲む円環状の山脈で構成される地形となっていた。つまり、この土地は、自然の堀である海と自然の壁である山脈に守られているという訳だ。

 更にこの島には、かつて、魔王が住んでおり、人々からは、『呪われた大地』と呼ばれていた。

 しかし、七人の英雄により魔王が討伐され、人族を中心とした王国が建国された。この国は、五つの領地で構成されている。この島の中央には、王都を有する『中央庭ミッドガルド』と呼ばれる領地が有り、そこには、王の城や政府機関、上級貴族の住宅等が集まっている。そして、この中央の領地を除いた残りの土地を東西南北の四つの領地に分割、統治している。

 北側の領地は、一年の殆どを雪に覆われる極寒の土地である。作物も育たず、生産性の低い土地である一方、北からの脅威に対峙する重要拠点でもある。

 この島は、四方を海に囲まれてはいるが、冬の期間、北の海が凍り、大陸と地続きとなる事がある。厳しい寒さの中の行軍は、容易ではないものの、それでもなお、幾度かの侵略の危機にさらされている。その為、北側の山脈が、防衛線を兼ねており、その山脈の切れ目で唯一の通り道である渓谷には大きな長城が建設されており、他国からの侵入を拒んでいた。

 アイナが住むこの領地は、王国の東側に位置している。北の蛮族が、この地に攻め込むには、国境の渓谷にある長城を突破し、更に北の領地を進まなくてはならない。

 アイナが疑問に感じたのは、この点である。北の蛮族が現れるとしたら、先ず、北の領地であり、何の予兆も無く、いきなり東の地に現れるのは、不可能に近いのだ。


――しかし、こんな事なら、アイナの暗殺説についても、もう少し調査しておくべきだったかな。

 アイナは、苦々しい表情を浮かべていた。第三王女の暗殺事件と北の蛮族の侵攻。北の領主と蛮族の結託を疑いたくもなる状況である。


「ちょっと、アイナ様! 聞いてるの?」

「ああ。すまない。考え事をしていた」

「もう、いい加減だな。早く、続きを説明してくれよ」

「分かった。分かった」

 アイナは、面倒くさそうに答えた。

「この国の入口は、ここしかない。つまりは、北の蛮族は、ここからこの国に入って、こうやってここに来る訳だ」

 アイナは、地面に書いた図に、棒で侵攻ルートを書きながら、子供達に説明した。

「あれ? 北の領地の村は、今、どうなっているのから?」

「良く気付いたな。普通は、こういう時、食料や物資を略奪しながら移動するものだ。だが、北の被害を知らせるような情報は、一切、入って来なかった。だから、私は、おかしいと言っているのだ」

「確かに」

「まぁ、ただ単に、北側からの情報が遅れているだけの可能性もあるが、用心するに越した事はないという訳だ」

 子供達は、目を輝かせながら、話に聞き入っていた。彼らは、口には出さなかったものの、明らかにアイナに感心していた――もっとも、一般的な教養のある大人であれば、簡単に気付ける程度の知識ではあったのだが……。


「という訳で、状況は理解した。――だがしかしだ! 私が、お前達を助ける理由がどこにある?」

「シンシア姉ちゃんが、アイナ様なら、きっと何とかしてくれるって……」

「あいつは、何で私なら助けられると考えたんだ?」

「それは……。アイナ様が泥棒を倒しまくってるって噂を聞いたからじゃないか?」

「お前たちなぁ……」

 アイナは、無邪気に話す二人を前に心底、呆れてみせた。

「とは言え、私を置き去りにした奴を助ける義理があるのか?」

「シンシア姉ちゃんは、アイナ様の事を信じて待っているのよ。そんな器の小さい事を言ってないで助けてよ」

「女って奴は、こんな幼い時から、平気で精神攻撃を仕掛けて来るんだな」

 アイナは、思わず苦笑いを浮かべた。一方、二人は、更なる説得を続ける。

「困っている人を助けるのに理由なんていらないだろ!」

「そうよ、そうよ! 人として当たり前の事じゃないっ!」

「私は、世間から『人でなし』と呼ばれている者だ。そんな常識は通じない」

 アイナは、平らな胸を突き出し、誇らしげに言った。

「胸張って言う事じゃないでしょうに……」

 二人は、ゴミを見るような視線をアイナに向けていた。

「では、もう一つ授業だ。人を動かす要素は二つ――飴か鞭か。さぁ、お前達は、どちらを提示する?」

「お金なら持って来たよ」

 そう言いながら、男の子は、パンツの中から汚れた布袋を取り出した。

「何だ、汚いなぁ」

「しかたないだろ! 途中で盗まれる訳にはいかない大事なお金なんだから」

 アイナが、中身を確認すると、そこには僅かばかりの銅貨が入っていた。

「これっぽっちで、私に命を懸けろと?」

「今年は不作で、それでも大金なんだよ……」

 二人は、俯いた。

 アイナは、大きな溜息をついた。

「やっぱり、ダメなの?」

 二人は、心配そうにアイナの動向を見つめている。

「とても命に釣り合う額とは思えんな。だが、こんなに綺麗な金は見た事がない」

 二人は、汚れた銅貨を見つめるアイナの言葉の意味が分からないで、キョトンとした表情を見せていた。

「では、仕方ない。二人には、この屋敷の掃除でも頼むとしよう。それでお前達の依頼を引き受けてやろう」

「そんな事でいいの?」

「ああ。私に二言はない」

「じゃあ、アイナ様が帰って来るまでに、ピカピカにしておくよ」

 二人の表情は、見る見る明るいものに変わっていった。


 こうして、アイナは、シンシアの救出へ向かう事となった。


             *


 しかし、二人は、その後、心底後悔する事となる。

「うわぁ~、引くわ~。これ、完全にゴミ屋敷じゃん……」

「こんなん押し付けるなんて、あいつ、ぐう畜だな……」

 屋敷には、一日、二日では、片づけられない程のゴミの山が放置されていた。二人は、その山の前で、ただただ、立ち尽くすのであった。

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