第3話

 あれから数日、女騎士からの連絡は無く、屋敷の者達の間に不安と不満が募り始めていた。

 シンシアは、他の者達が、『アイナ』との距離を置く中、身の回りの世話を続けていた。だが、それは、忠誠心からではなく、病人を見捨てられないと言う義務感に近い感情からであった。

 一方、『アイナ』の方も、大分回復し、一人で身の回りの事をこなせるまでになっていた。

 

 その日の朝も、『男』は、歯を磨く為、洗面所の鏡の前に立っていた。

「どうも、この瞬間だけはまだ、違和感があるな」

 鏡に映る見知らぬ少女の姿を見て、『男』は思わず苦笑いを浮かべていた。

すると、鏡と『アイナ』の間に、白いモノが、通り過ぎる――以前に舞い込んだ、あの蝶だ。彼(――もしかすると、彼女かもしれないが)は、暖かい屋敷の中で今日も生き長らえていた。

 ひらひらと蝶が舞うその先、窓の外を見ると、木の上に、フードを被った人影が見える。

 その様子を見た『男』は、再び苦笑いを浮かべながら、小言を漏らし始めた。

「女騎士の手の者か……。全く。あんな安易な場所で見張っているのは、素人だからなのかぁ? それとも、わざと見せ付けているのか――。まぁ、どちらでも良い。サービスタイムは、終了だ」

 そう言い終わると、洗面の窓の鎧戸を閉めた。


 特にやる事も無く、『男』が居間でダラダラとくつろいでいた時、ついに事件は起こった。館の使用人達が、ぞろぞろと集まって来たのである。

 ソファーに寝ころんでいた『男』は、少し驚いた様子で上半身を起こす。そこへ、奥でお茶の用意をしていたシンシアが合流した。

 一同が揃ったところで、彼らを代表して、執事の男が口を開く。

「大変、申し訳ないのですが、本日限りでここを辞めさせて頂きたいと思います」

「なっ!」

 脳裏の声とは異なる少女の可愛らしい声が部屋に響く。

 シンシアも若干ではあるが、驚いているようだ。

 執事は、考える間を与えないように話を続けた。

「確かに、貴方の言っている事が、真実であるかもしれません。もし、真実であれば、非常に同情いたします。しかしながら、貴方が、アイナ様でないと分かった以上、我々には、従う道理が無くなったのも事実。更に、アイナ様が襲われた以上、ここは安全ではありません。疑わしきは、罰せずという言葉もありますが、正体も分からぬ者の為に、身を危険に晒してまで、残る者はいないという事なのです」

「襲われた? 何の話だ」

「いえ、アイナ様が自殺するはずがないと……」

「そうなのか?」

 『男』は、シンシアの方に視線を向けて言った。シンシアは、少し困った表情をしている。

「あの、その、アイナ様には自殺する理由もなく、誰かに暗殺されたのかもしれないと――」

「陰謀論か?」

「ですが、本当に理由が見当たらないんです!」

 シンシアは、真剣な眼差しで訴えてはいたが、これ以上、余談を広げる訳にもいかず、『男』は、話を元に戻す事にした。

「まぁ、いい。それにしても、決心は堅そうだな」

「はい。誠に残念ではありますが――」

「今日限りか……。片付けだけは、しっかりやっておいてくれよ」

「分かりました」

 執事の男は、一礼して部屋を出て行った。他の使用人達もその後に続く。


 そして、部屋には『男』とシンシアだけが取り残される格好となった。

「お前は行かないのか?」

「う~ん……。考え中です」

 シンシアは、天使のような微笑を浮かべながら返した。


             *


 しかし翌日、『男』は落胆させられる事となる。


 彼が目覚めた時、日は既に高く昇っていた。寝ぼけ眼で立ち上がると、部屋のドアの隙間に手紙が差し込んであるのを見つけた。


 私は不器用で何をするにも『のろまなカメ』で――。その手紙には、ダラダラと屋敷を去る言い訳が綴られていた。


「こういうのが、一番傷付くんだよな~」

 『男』は、ため息混じりに呟いた。こうして、使用人達が全て去り、彼は、一人屋敷に取り残される事になった。

「ならば、こちらも自由にやらせてもらうとするか」

 当てつけなのか、自暴自棄なのか――彼自身にも分からないところではあったが、引け目を感じる相手がいなくなった事で、このからだを受け入れ、ようやく自由に生きる決心をつける事が出来た。

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