第一章 紅い悪魔と空色の天使

第1話

 どこかの屋敷の一室であろうか、『男』が、次に目覚めたのは、白を基調とした何とも上品な部屋であった。たいそうな装飾を施された高級な家具。中央には大きく豪華なベッド。

 そのベッドの上で眠る事、一週間余り。漸く『男』は、意識を取り戻したのである。


 ベッドの横には、彼の手を握り眠っているメイドの姿があった――浴室で彼を助けたメイドである。彼女は看病に疲れたのか、ベッドに突っ伏して眠っており、その空色の柔らかな髪を掛け布団の上に広げていた。

 窓からは、優しい光と柔らかな風が、溢れ出している。季節は、まだ冬であったが、今日は、ポカポカとして暖かい。何とも穏やかな朝である。

 めくれたカーテンの隙間から、一匹の蝶が迷い込む。恐らく、春と間違って羽化してしまったのであろうその蝶は、きっと長くは生きられない――そんな事を考えていると、『男』は、少し憂鬱な気分になった。

 むくりと上半身を起こし、右の手首に目をやると包帯が巻かれていた。

 ここで『男』は、初めて自身の体の異変に気付く。それは、明らかに見覚えのない細腕であった。驚いた『男』は、更にその手を自身の頬へと伸ばす。これまた触り覚えのない、きめ細かい柔肌の感触。ここに来て漸く、『男』は自身が別の何者かに変わっている事を確信した。そして、深い溜息をつく。

「フフ、こういう時は、少し寝ぼけた頭の方が動揺せずに対処出来るものなのだな」

 『男』は、思わず苦笑いをした。

「うむ。私は確かに首を刎ねられた……はず。そして、この娘は、浴室で手首を切って……。まさか、彷徨っていた私の魂が、間違ってこの娘の体に入ってしまったとでも言うのか?」

 『男』は、再び苦笑いを浮かべた。


「あっ! アイナ様、気付かれたのですか?」

 眠っていたメイドが、『アイナ』が意識を戻した事に気付き話しかけてきた。

 彼女は、何日も泣き腫らしていたのだろう……。化粧っけもなく、目は赤く腫れ、多少やつれているようにも見えた。しかし、このようなコンディションにもかかわらず、彼女はかなり美しく見える。

「よほどの美人という事か……」

 『男』は、思わず心の声を口に出してしまった。

「え?」

 メイドは、少し警戒したような表情を浮かべ、一瞬、妙な空気があたりを包んだ。

 『男』は、咄嗟に斜め下に目を反らした。すると、自身の体が視界に入って来る。白いレースの服に小さな体。そして、胸に微かなふくらみがある……。『男』は、自分が『アイナ』と呼ばれている少女になってしまった事を改めて自覚した。


 『男』が、難解な顔をして自分の体を眺めていると、そばにいたメイドが不思議そうな顔をして話かけてきた。

「アイナ様、どうかなさいましたか?」

「すまない。記憶が混乱しているようだ……。事故の前の事を、全く思い出せんのだ」

 『男』は、探りを入れるべく、記憶喪失を装う事にした――とは言え、この娘の記憶が全く無い事には、偽りはないのだが……。

 聞きなれない口調に、メイドは、少し戸惑いながらも、この体の持ち主と自身の事について説明を始めた。


 この体の持ち主である少女の名前はアイナ。この国の第三王女であり、この屋敷の主人でもある。この屋敷に彼女の家族はおらず、多くの使用人と共に暮らしていたようだ。可憐な容姿と優しい性格を持ち合わせ、誰からも好かれていた理想の王女様であったとの事だ。

 それ故、今回の自殺について、思い当たる事も無く、全くの謎という話である。『男』は、彼女の自殺の理由について、多少は気にしてたが、それ以上の大きな疑問を抱えていた為、それどころではないというのが正直な感想であった。

 そして、何より今は、かつての『男』は消え失せ、『アイナ』という少女になってしまったという事実を受け入れる他なかった。


 そして、このメイドの名は、シンシアというらしい。年の頃は二十はたち前後、このアイナという少女よりは年上のようだ。

 柔らかく透き通った印象を与える空色あまいろの髪に雪のように白い肌。人のものとは思えぬ程の美貌。更にアイナという少女に向ける献身的な態度。使用人としては、申し分のない人材である。


 しかし、『男』は、このメイドに違和感を覚えていた。完璧過ぎるモノを見ると疑いたくなる性分なのである。そう考えてよく見ると、その白い肌は、どこか生気に欠けている。

 『男』の脳裏には、ある結論が浮かび、そして、彼は、その結論を彼女にぶつけてみる事にした。

「お前は、人ではなく、《人形》だな」

「えっ?」

「そして、私が、お前のあるじではないと考え始めている。違うか?」

 その直球な問い掛けにシンシアはかなり動揺していた。そして、握っていた手をスッと引っ込めた。


             *


《人形》

それは、一種のゴーレムのような存在ではあると考える者は多いが、その性質は全く異なる。ゴーレムは、岩や泥等を集め、それに魔法をかけて製造されるのに対し、《人形》は、人間の死体を使用し、そこに別の魂を入れ製造される。更にゴーレムが、常に命令を出して動く操り人形のような存在であるのに対し、《人形》は、ある程度、自分の意思で働く、人間に対して忠実な召使のような存在である。

 《人形》の器の条件として、生前、純潔であった事が求められる。それ故、通常使用される死体は、若くして命を落とした少年や少女達である。

 《人形》の構造には謎も多い。死体の中に新たに入れられた魂の正体については、諸説ある。

 ある者は、悪魔や精霊の類いが棲みついていると言い、またある者は、彷徨う死者の魂が定着したのだと言う。だが、実際のところ、何も解明されていない。

しかし、そんな不確定な要素を持ちながらも世界で広く活用されているのは、経験則に基づくところが大きい。実際、『契約の儀』とよばれる儀式を行ってしまえば、非常に従順で優秀な召使が手に入るのである。また、日常生活において、人間が《人形》から危害を加えられる事もまずありえない。注意すべき点は、戦場等で兵力として使用した場合くらいである。これについては、別の機会に語る事とする。


             *


 シンシアは、完全に警戒モードに入っていた。それ故、二人は、暫くの間、お互いを探るかのように顔を見合わせていた。


 暫しの沈黙が続く……。


 その沈黙を破ったのは、部屋の扉が開く音だった。

 二人が視線を向けると、この屋敷で働く執事であろう初老の男と女騎士が部屋に入って来た。そして、この屋敷の者達であろうか、二人の背後の通路には野次馬の如く、使用人達も集まって来ている。


 初老の男は、白髪で髭を蓄えており、更に片眼鏡をかけ、いかにも執事という身形であった。目がやけに鋭い部分に関しては、やや違和感を醸し出してはいたが、その他は、執事のテンプレートのような男である。


 女騎士の方で、先ず目に付いたのは、左の顔を覆っている金色の仮面であった――これは、後に顔の火傷を隠すモノであると説明された。

 彼女を女騎士と認識させたのは、その身形故で、白銀の鎧を身に纏っており、いかにも騎士の様相であったからである。彼女は、シンシアより背丈は低いが、その立ち振る舞いから若干年上のような印象を受ける。もしかしたら、美しい金色の髪と凛々しい顔立ちが、それらのイメージを補完していたのかもしれない。


「アイナ様は、目を覚ましたの?」

「はい……。ですが……」

 アイナに付き添っていたシンシアが、答えた。そして、続けた。

「彼女は、アイナ様ではありません。恐らく、アイナ様はお亡くなりになりました」

「なっ!」

 女騎士は、一瞬、言葉を失っていたが、少し考える仕草をした後、再び口を開いた。

「やはり、契約の解除というのは、そういう意味だったのね……」

「はい……」

 二人の話を聞いた使用人達は動揺し、一斉にざわつき始めた。

「セバス。申し訳ないのだけど、皆と一緒に少し下がっていてもらえないかしら? 無論、後で状況は皆に共有するわ」

 少し不用意だったと感じたのか、女騎士は使用人達を下がらせた。

 彼女の言葉を聞いた執事の男は、一礼すると扉を閉め、他の者も引き連れ、下がって行った。

 『男』は、執事を含めその他の者達もすんなりと下がって行った事に少し感心していた。

「王族の屋敷に勤める者達は、下々の者までしっかりと教育されているのだな」

 アイナの発したその言葉に、女騎士は、一瞬、怪訝な表情を浮かべたが、直ぐに表情を戻した。

「それはどういう意味かしら?」

「こんな状況であれば、ああだこうだと理由を付けて話を聞かせろと騒ぎ立ててもおかしくはない状況だ。にもかかわらず、すんなりと引き下がった。何とも上品な連中だ」

 アイナを見ていた女騎士の表情が、少し緩む。

「呆れたわ。貴方、アイナでない事を隠そうともしないのね」

「無論だ。私には、この娘の情報が少な過ぎて、隠し通せるとも思えんからな」

「では、シンシアの言っていた事は、事実なのね」

「その通りだ。私は『アイナ』という少女ではない。彼女が死んだ同じときに処刑された男だ」

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