紅色王女と空色メイド ~処刑された『男』が、王女に転生したことから始まる物語~

善江隆仁

プロローグ

 遠い昔、これは私達の住む世界とは別の世界。剣と魔法が支配する世界での物語……。


 石畳の街、中央の広場。手と首を拘束され処刑を待つ男が一人。空は曇り、灰色の重く苦しい雲が、ゆっくりと流れていた。


 その『男』は、家族も持たず、ただ闇雲に目の前の任務だけをこなす空しい毎日を過ごし生きて来た。守るべきものも、愛すべき人もいないそんな人生だった。彼は、騎士団長までも務めあげていたが、特別な達成感も無くただ漠然と生きていた。それ故、処刑人の刃が振り下ろされるその瞬間でさえ、何の感情も湧いてこなかった。

 それは、諦めにも似た感情だったのかもしれない。自身の首への衝撃と共に死を悟った瞬間、『男』は、不思議な感覚に襲われた。


             *


 次に目を開けた時、『男』は赤く染まった浴槽に浸かっていた。

「な、何だ? これは……」

『男』の意識は朦朧としており、体を動かす事もままならなかった。

 更に浴槽に満たされた紅い液体のせいで、自身の体の状況すらまともに確認する事が出来ない。辛うじて上げた右腕を見て、漸く自身の状況を察する事が出来た。

「私は……、手首を切ったのか……?」

 しかし、新たな疑問が芽生える。自らの腕は、蒼白く繊細であり、女の体のようである。明らかに自身のモノではない。

 だが、それを深く考えられる程の余裕がない。その肉体は、死にかけているのだ。このままでは、死んでしまう――そう考えた『男』は、浴槽の縁を掴み、立ち上がろうとした。だが、体に力が入らない……。それどころか、態勢を崩して浴槽に沈みかけてしまう。このままでは埒が明かない。そんな事を考えていると、隣の部屋の方で音がした。


「あ……。あ……」

 必死に助けを呼ぼうとしたが、まともに声も上げられず、間抜けな声を上げてしまう。

「ア、アイナ様。どうかされましたか? 入りますよ!」

 次の瞬間、浴室の扉が開き、誰かが入って来た。

「ア、ア、ア、アイナ様! 大丈夫ですか?」

「誰か、誰か来て下さいっ!」

 『男』は、定まらない視線で、入って来た人物の方を見る。

 メイド服? その身形からして、どうやら、この家の使用人のようである。そのメイドの女は涙をボロボロと流しながら、必死に人を呼び続けている。


「アイナ様? これは、どういう事なの?」

 声を聞きつけ、次に浴室に入って来たのは、白銀の鎧を纏った女騎士だった。

「わ、分かりません!」

 女騎士は、状況を把握すべく、メイドを問い詰めた。

「一体、何が起こったの?」

「わ、私にも分かりません。大きな音がしたので様子を見に来たらこの状態でして……」

 女騎士は、メイドの話を聞きながらも、周囲を観察し、手掛かりを探っていた。

「そ、その傷は……」

「えっ!」

 女騎士は、手首の傷に気付き、言葉を失った。メイドも口に手を当て、動揺している。

 それは、無理もない事である。手首に付いた傷の意味を察しない人間の方が少ないであろう。


「ア、ア、ア、アイナ様を、アイナ様を助けて下さい! このままでは死んでしまいます!」

 メイドは、手首の傷に回復魔法を施しながら、必死に訴えた。

「私は、『アイナ』と言うのか……」

 『男』は、遠のく意識の中でうわ言のように呟いた。


――これは、処刑された『男』が、王女に転生したことから始まる物語――

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