サフィロポート

 サフィロポート手前の街からの移動は馬車を利用した。交易の盛んなサフィロポートからは王都に向けての馬車の往復も多い。そのため比較的安価で、ついでに乗せてくれる馬車が多いのだ。


 ほんのりと潮の香りがしたので、視線を変えると、遠方にキラキラと光る海が見えてきた。海鳥の鳴いている声もかすかに聞こえる。

 遠くにある海には、今にも船乗りたちの豪快な声が聞こえてきそうな大きな船がいくつか浮かんでおり、その手前にはキレイな赤色や茶色のレンガ作りの街並みが並んでいた。

 ここがサフィロポートだ。


「やっと着いたなイレア」


「わーすごい、あれって海だよね? 海、初めて見た!」


 馬車から降りた俺たちは、海から少し離れた丘にある階段道かいだんみちの上から、真っすぐ先に見える海を見て感動している。


「もっと近くで見たい!」


 そう言うとイレアはアルスの手を取り歩き始めた。


 階段を降りると、そこには新鮮な魚介類や、遠方からの交易品だろうか? 見たことのない品々が並んでいる。

 変わった形の香辛料や、魔道具などもあるようだ。

 ちょっとしたお土産をウルアラに送ってあげれば喜ぶかもしれない。と思ったが、まだ旅は始まったばかり。最初からあまり金を使う事は控えたほうが良いだろう。

 そう言えば、近くに原初結晶の反応は感じるのだろうか?


「おい、イレア。原初結晶はどの辺に感じるんだ?」


「うーん、もう少しあっちの方に感じる」

 そう言うとイレアは海の方角を指さした。


「そうか、ならやはり船を借りないといけないかもな」


 ひとまずは、王宮から支給された支度金を使って、船に乗せてもらう手配をしないといけない。

 王宮から支給された支度金は金貨1枚と銀貨40枚だ。

 しっかりとした船に乗って向かいの大陸へ行く場合には、二人で銀貨10枚くらいあればいいだろうか? でもイレアもいるし、他の輩もいる中で大部屋で雑魚寝ってわけにもいかないか……小さい船室を借りる場合でも銀貨20枚?……いや、もしかしたら金貨1枚くらいは必要なのだろうか?

 しかし、「もう少しあっち」とのことだから、原初結晶のある場所は大陸に向かう途中なのだろうか? まさか、海の中だったらと、色々仮説を立てた。うーん、対策を考えねば。


 腹が減ったので、せっかくだから途中、屋台で魚の串焼きを買った。

 塩加減がちょうどよく、香ばしく焼けた皮と、ホロホロとほどける魚の身は、脂に甘味がありとても旨い。新鮮だからだろうか?


 魚を食べつつ、しばらく街を見ながら歩いていると、ウェーブのかかった赤く長い髪をした20代半ばに見える女性が急に近寄ってきた。


「ねーねー、お兄さん」


 そう言うと女は俺に腕を組んで絡んできた。

 ほのかに花のような香水の匂いがする。


「うわっ、なんだ! お前」

 急なことに驚いた。


「あれ? お兄さん結構いい身体してるじゃない。どう? 私も結構いい身体してると思うんだけど……」


 そう言うとその女は谷間をじっくりと見せるように、大きな胸を俺の腕に寄せてきた。

 そして、女は俺の耳元で囁いてきた。


「あっちで私とすごくいいことしない?」

 女は、首には襟のようなものだけが装飾としてあり、大胆にデコルテの辺りが見える服装で、しかも腹の辺りの布もなく、へそが露出している。一応上からローブを羽織ってはいるが、娼婦だろうか? 


 近くにいたイレアは突然の謎の女の登場に固まってしまっている。

 今にも魚の串焼きが手から落ちそうだ。


「おい、やめてくれ。何なんだお前!」

 そう言うと俺は女を振りほどいた。


 なんだか、ウルアラにボコボコに殴られるイメージが頭をよぎった。


「なによ、つれない人ねぇ。まっ、もう用事はないからいいけど」

 女はそういうと路地の方へと消えていった。


「イレア行くぞ!」


「待って!アルス」

 固まっていたイレアは正気を取り戻したようで、慌てて俺の後をついてきた。


 せっかくの海のすがすがしさが台無しだ。

 一体あの女は何だったのか。


 少し歩くと、たくさんの船が並んでいる場所に着いた。

 船着き場にいる漁師に船を借りることができる店はないか尋ねたところ、向かいの建物に、その船貸屋があるとのことだった。

 基本的にはレジャー目的で借りる人が多いようだ。


「いらっしゃい!」


「あの、二人乗りで、ある程度遠方の沖まで出られる船を借りたいのですが?」


「うーん、遠方の沖かあ……。大物でも釣りたいのかい?」


「えーと、まあ、そんなところです」


 原初結晶探しなんて言っても伝わらないだろう。

 ひとまず釣りをする、ということにしておこう。


 船はどうやら、帆を使って動くタイプや、魔法を使用して動くタイプなどもあるようだ。


「まあ、一応速く移動するなら、この水魔法と風魔法を両方組み込んだ最新型がおすすめだよ!」


 勧められた船の値段を確認すると一日で銀貨15枚も必要だった。

 安い船だと帆を使用したものになるのだが、往復でその日のうちに港に帰るためにはある程度速度が出る物が良いだろう。

 だが、これは流石に高い……。宿屋に半月は泊まれるぞ。

 どうやら保険代も入っているからこの値段らしい。

 保険というのはあくまで船本体の保険だそうで、貸出するにあたって、もしも船が何かの事故で壊れたとき時、その修理代金や新しい船の購入代金を保険で賄うとのことだった。


「ねーねー」


 店員から隠れるように俺の後ろにいたイレアが、急にしゃべりだした。


「ん? どうしたイレア」


 俺がそういうとイレアは俺の腰のほうを指さした。


「お金の入ってた袋って……マジックポーチに入れ直したの?」


 そう言われた俺は、腰に手をあて、大事な革袋がないことに今気が付いた……。

サーと顔から血の気が引くのが分かる。なぜ気が付かなかった? いや、それよりも一体いつからないんだ?


 この街に来た時まではあったはずなので、ここまでの街の中での行動を思い返してみる。

 ふと、途中で出会った、あの女のセリフがよぎった。

『もう用事はないからいいけど』

 ……用事。

 そこでやっと気が付いた。

『用事』というのは俺の金を盗むことだったのか!?

 どう考えても、犯人と思しき人物はあいつ以外にいなかった。


「すまん、急用ができた!」

 店主にそう言うと俺はイレアを連れて店を飛び出した。


 女と出会った辺りから、路地を探して、自警団にも女の姿を見なかったか確認して回った。

 だが、残念ながら手掛かりは無く、すっかり日が落ちてきた。


「女の人いないねぇ……」


「すまんな、イレア。俺が油断したばっかりに」


 探し回って腹が減った。

 そろそろあきらめて夕食にでもするか……。

 一応、旅をするにあたって、少しずつ自分でも金を溜めていた。

 残りは銀貨30枚くらいあるだろうか。マジックポーチにしまっていたのでそちらは盗まれずに済んだ。


 船を借りるのにも金がいる。しかも、せっかくだから交易品の多いこの街で、マジックバッグをイレア用と自分用のを探そうと思っていた。魔法の力で容量も大きく軽量化もできるマジックバッグは、長旅には必需品と言ってもいいくらいなのだが……。活動資金は足りるだろうか……?

 泊まる場所は最悪、街はずれにある冒険者用の広場で野宿でもいい。さて、どうするか。


 イレアもお腹がすいたというので、近くにあった酒場に立ち寄った。



「うおーー、もっと酒、……ヒック……もってこーい」


 扉を開けると、そこには何と、ウェーブのかかった赤く長い髪のあの女が酒盛りをしていた。

 テーブルの上には数えきれない空き瓶などが置いてある。

 容疑者を見つけた俺はすぐにその近くへと向かった。


「おい! お前! 俺から盗んだ金を返せ!」


「えーっと、……アンタだれだっけ? ナンパならよそを当たってよ」


俺は、酔っぱらってろくにこちらを見ていない女のその顔を、両手で挟んでグッとこちらに向けた。


「俺だ! 昼間絡んできただろう!」


そうするとやっと思い出したようだ。


「あーー! あなたね。どう? 一緒に飲む?……ヒック」


相変わらずふざけたことを言っている女。


「一緒に飲むわけないだろ。さっさと金を返すんだ!」


 ふと、長椅子に座っている女の近くに、支度金の入っていた革袋が置いてあるのを見つけた。やっぱり犯人はこいつだったようだ。

 俺は、その袋を奪い取り中身を確認した。

 中には銀貨が20枚……。


「おい! お前金貨はどうした!? 金貨が1枚入っていただろう!」


 そう言われた女は「はて?」という顔をして

「そんなのお酒に変わっちゃったわよ」と平然と言ってのけた。


「金貨だぞ!? 一体どれだけ酒を飲んだらなくなるんだ?」


「あー、お客さん、その女の人のお知り合い? なら、もう酒がなくなったから連れて帰ってくれないか?」


 あきれた様子の店主らしき男にそう言われた。


「こんな奴と知り合いなわけないだろう!」


「えーそんなー、そんなプリプリ怒らなくてもいいじゃなーい……ヒック」


「いいから、金を早く返してくれ、今大事な旅の途中なんだ!」


「あぁそっか、あなた旅人なのね? ならちょうどいいわ……ヒック。 アルスって人知らないかしら? 確かえーっとエルフの女の子と一緒にいるらしいんだけど……」


 そう言うと女はイレアのほうに視線を向けた。


「ん? ちょっと待って……ヒック」


 じっとイレアを見るクソ女。


「あなたよく見たらエルフじゃない!? え……」


 女は俺の表情をうかがうようにゆっくりと俺の方を見上げた。


「……ということはあなたがもしかしてアルス……さん?……ヒック」


「そうだ」


 俺は座っているクソ女を上から睨みつけた。


 俺の隣にいるイレアも流石にあきれているのか、白けた雰囲気で女の方を向いているようだ。 

 周りの店員も含め、店全体にあきれた雰囲気が漂う。


 その女は驚いたように息をすっと吸い込んだ後、急に長椅子の上に正座し、自分の頭を叩きつけるかのごとく豪快に振り下ろして謝罪しだした。

 振動で近くに置いてあったグラスがコロンと倒れた。


「すみませんでしたーー! ……ヒック」


「えぇ……お前一体何なんだよ」


 急に態度を変えた女にドン引きしている俺とクソ女のやり取りを尻目に、イレアは何かに気が付いたようで指をさした。


「あれ? アルス、これどこかで見たことある紋章だよ」


 その指をさした先にはこの女の帽子だろうか? とんがった帽子に紋章があった。

 紋章をよく見ると……それは王宮の紋章だった。


「お前……まさか宮廷魔法使いなのか?」


「はい!! そうです! ……ヒック」

 女は素早くこちらを見上げると同時に自分の胸に右手をあてて、敬礼のようなしぐさで話し始めた。


「ケリレント・ヴァルウス陛下からのご命令でアルス様の旅に同行するように言われております! ……ヒック」


「そんな奴がなんで人様の財布を盗んだんだよ」


「あー……いやー、それには事情がありまして、旅の途中いつの間にかお金が尽きてしまって、そこにちょうどお金持ってそうな方がいたんで、ちょーっとだけお金を借りようかと……」


「金が尽きたなんて、どうせ今日のこれみたいに、酒を飲みすぎただけだろ?」


「……あー、いえー、何というかそのー、そうとも言いますけどー。アルス様とは長旅になるとのことだったので、気合を入れないと不安でー……あははは。……ヒック」


「そうか、なら安心しろ。お前は連れて行かない! さっさと金を返せ」


 俺がそう言うと、この宮廷魔法使いの女は、号泣しながら俺の足にしがみついてきた。


「そ、そんだそんなごどこと言わないでー、わだじわたし、旅に出ないとクビにされじゃうんれすーちゃうんですー


「やめろ貴様、鼻水が付くだろ!」


 宮廷魔法使いの女は一向に俺の足から離れようとしないので、顔を引きはがそうと手で押しのけようとしたが、全くびくともしない。

 何だこいつは吸盤でもついているのか?


 こんな奴だ、どうせ宮廷魔法使いの中で厄介払いとして、この旅に同行を命じられたのだろう。こちらとしてはいい迷惑だ。


「……うーん、アルス、もう許してあげようよ」

 俺がクソ女を引きはがそうと、しばらく格闘しているとイレアがそう言いだした。


「お、おい、何言ってるんだよイレア」


「旅に同行しないとこの人、仕事無くなっちゃうんでしょ? ちょっと可哀相かなって」


 イレアの優しい言葉に素早く反応した宮廷魔法使いの女は、イレアに抱きついて、ほおずりをしだした。


「あなたイレアちゃんって言うのね。優しい! まるで天使ね! 私はコーディアよ! よろしくねー……ヒック」


「ぅう……このお姉さんお酒臭いよ」


「はー、仕方ない……。イレアがいいって言うならなら、まあ、いいだろ。腐っても一応宮廷魔法使いなんだろ? 何かに使えるだろ、囮とかに」


「ふぇぇ、アルスさん酷い……ヒック」

 わざとらしく泣くコーディア。


「しかしどうするんだ、船を借りる金がほとんどないぞ」


 するとイレアから離れたコーディアが急に嘘泣きをやめて、

「それなら大丈夫よ。どうせ今は、沖に船を出せないんだし」


 ……いや、それのどこが『大丈夫』なのだろうか。

 船が出せないのなら問題しかないじゃないか。

 あきれた俺はまた、ため息をついた。



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