出発前夜



 それから数か月が過ぎ、シルバーヘイヴンの街を出発する前日。

 冒険者ギルドの面々が出発の安全を祈願して宴を催してくれた。


 ブラックボアのステーキに串焼き、イレアの好きなクルクの果実やミーレまである。エクトルがわざわざ届けてくれたのだろうか?

 その他にもおいしそうな果実酒にシルバーヘイブン産のエール。

 ギルドで保存していたカパール肉も出してくれた。


 ガハガハと笑ったり、とても大きな肉にかぶりついたりしているキール。

 新人冒険者達に昔の話をしながら酒を啜るギルド長のオッタム。

 オッタムの話がどうやら長くなっているようで、少しげんなりしている新人冒険者達。

 料理を堪能しているイレア。

 その横でイレアの汚れた口を拭いてあげているウルアラ。

 酔っぱらって他の冒険者に絡んでいるカミラ。初めて見たが少し酒癖が悪いようだ。


 そんな様子を俺は、笑いながら眺めていた。

 俺は良い仲間たちと、この街で過ごしていたようだ。



 夕方から始まった宴もお開きになり、ウルアラやイレアと一緒に宿屋へと戻った。

 イレアはたくさんの料理を食べたからか、すっかり眠そうにしている。


「もう寝るのです……」


 イレアがギルドの奴らと話すようになったせいか、いつの間にかあまり聞かなくなった口癖を、俺は久しぶりに聞いた。いつ以来だろうか?

 以前のような幼さの残ったしゃべり方では無くなってきているのは成長のあかしだろう。

 何故か少し寂しさのような感情を感じた。


「おう、おやすみイレア」


 そういうとイレアは借りている自室の方へと向かった。


 イレアは最初、たいした動きや攻撃もできなかった。

 だが、今では銅級冒険者になっている。時が経つのは早いものだ……。


 そんなことをしみじみ感じていたら、ウルアラが「もう少しだけ飲まない?」と勧めてきたので、俺たちは一階にある食事処のカウンターで、少し果実酒を飲むことにした。


「そう言えばオヤジさんは?」


「最近早く眠たくなるみたいで、もう離れの部屋に行ったみたい」


「お父さんもう年なのかな?」と冗談っぽく言うウルアラに「そんなこと言ったら怒られるぞ」と俺たちは少し笑い合った。


 ウルアラと話しているとホッとする。

 心が休まるし、温かい気持ちになる。


「はい、どうぞ」


 ウルアラは、ついでくれた果実酒を差し出した。


「ありがとう」


 俺はウルアラの右隣の席に座り、二人とも、ゆっくりと飲んだ。



 静かな夜だ……

 先ほどまでギルドの宴で騒いでいたのが、まるで嘘のようだった……

 とても良い宴だった。

 美味い料理に親しい仲間たち。

 普段一人で行動するのが好きな俺でも久しぶりに楽しめた。

 そして今は、こうしてウルアラと二人でゆっくり果実酒を飲んでいる。


 実はウルアラと初めて会ったのはこの宿屋ではないのだ。

 他所の街から来て、冒険者としてまだ駆け出しだった俺は、冒険者ギルドの宿舎に泊まっていて、ウルアラと初めて会ったのは東の森の中だった。

 ウルアラがケガをしているところを俺が見つけ、街まで運んで行ったのだ。

 お礼に、ということで最初は無料で泊まらせてもらったのだが、居心地の良さからすっかり居着いてしまった。


 今こうしてウルアラと一緒に酒を飲み、幸せを感じられるような状況になれるなんて、冒険者として生きる、と決めた時には想像も出来なかった。


 俺の人生で一番良い出会いだ。

 まあ、そんなこと、ウルアラには恥ずかしくて言えないのだが。


「いつもありがとな」


「えっ、急にどうしたの?」

 ウルアラはクスッと笑って聞き返した。


「いや、なんだか、言いたくなった」

 俺は少し酒に酔っているのかもしれない。


「そう」というと微笑みながらウルアラは少し視線を落としてグラスを見ている。


「……明日だね」

  ウルアラは飲んでいたグラスの縁を少し触った。


「ああ」と俺は頷いた。


「しばらく会えなくなっちゃうね」


「……そうだな」


 ぼんやりと、カウンターの上にあるランプだけが、辺りを照らしている。

 なんだかグラスに入れた果実酒は、いつもより芳醇な香りがした。


 少しの無言が続いた後

「……嫌だなあ」

 と小さな声でウルアラは言った。


 最初の頃は「旅で面白い出会いがあるかもね!」とか「別の地域の美味しい食べ物食べられるね!」とか、まるで自分が旅行にでも行くかのようにニコニコして話していたのだが、出発の日が近づくにつれ「私だけだと、この固いビンの蓋開けるの大変になちゃうね」とか、買い物に付き合った時なんかは「こうして荷物持ってもらうこともしばらく無くなっちゃうんだね」とか、「新しい料理のレシピ考えても、アルスに食べてもらえないね」とか言うようになった。


 最近は「旅はどれくらいかかるの?」や「旅先でちゃんと手紙送ってね!」としきりに話すようになり、この前なんか手当ての仕方をイレアに教えている時「イレアちゃん、アルスがケガしたら手当はこうしてあげてね」とか、「心配だから私もついていこうかな」とさえ言っていた。


 今までの当たり前が、当たり前でなくなる日が、明日来るのだ。


「一応、王命だからな。行かないと」


「そうだよね。そうなんだけどさ……」


「どうした」


「アルスはさあ、寂しくないの? かな?」


「……」


「……」


「……そりゃ、ウルアラと会えなくなるのは寂しいさ」


 少しだけ俺の中で、意を決して言った素直なその言葉に、ウルアラは驚いたようだ。


「そうなんだ」


 頬が緩んだウルアラは口に手を当て、足をすこし交互に揺らしパタパタさせている。

 俺は少し恥ずかしくなった。


「……なんだよ」


「うーうん、同じ気持ちなんだーって、嬉しくって」


「そ、そうか……」


 ふふっと笑みをこぼすウルアラは、またグラスに視線を落とした。


 俺は果実酒を一口飲んだ。

 辺りは静けさを増し、お互いの呼吸する音だけが聞こえる。


 ふと、隣にいるウルアラを見た。

 ランプの光で照らされた、ウルアラの髪がキラキラと輝いている。

 ぼんやりと反射するその白い素肌はとてもキレイだ。


 そうか、ウルアラはこんなにも美しかったのか。

 もちろん今までもキレイだと感じたことはあった。

 だが、どうしてだろう。いつもと違う魅力を感じていた。


 いや、「違う」のはウルアラではない。

 俺が気が付いていなかっただけなんだ。

 自分自身の気持ちに。


 静けさの中でランプの光に照らされたウルアラの姿を見て、なんだか、胸の中にこみあげてくるものがあった。


 魔物も出るような世の中だ。治安の悪い国もあるだろう。

 旅がいつ終わるかも分からない。

 無事に帰って来れるかも確証は無い。

 もしもの時この言葉は、呪いのようにウルアラの中に残ってしまうかもしれない。

 だが、いつの間にか声に出していた。


「ウルアラ、俺は帰ってくるから」


 そう言うと俺は、グラスの根元に添えてあったウルアラの手を握った。

 表面が僅かに冷たい華奢な手だった。


 一瞬、はっとした様子のウルアラは、すぐにこちらに視線を向け微笑んでいた。


「アルス」


 最初僅かに冷たかったその手からは、徐々に温もりを感じる。

 ウルアラの耳が少し赤いように感じた。


 そっと自分の右手を、ウルアラの頬に添えた。

 ウルアラは少しくすぐったそうにこちらを見つめる。


 ぼんやり灯ったランプの光が、ウルアラの瞳に映し出された。

 目が離せなかった。

 美しい瞳は少しキラキラしているように見えた。


 瞳に映ったランプの光の、その隣には、自分の姿が映っている。


 そしてそっと、お互いの吐息が少し肌に触れ、温もりを感じた。


 心が満たされる夜だった。





「アルスー、起きてるー?」


 ドンドンドンと部屋の扉を叩くイレアの声と騒がしさで俺は目覚めた。


「ちょっと待ってくれ、今起きた」


 急いで服を着る。

 隣で寝ていたウルアラを起こして、急いで服を着させた。


 扉を開けイレアに

「おう、おはよう!」


 ……妙に声が上ずってしまった。

 気配を感じたのかイレアはひょこっと背伸びして顔を出し、俺のベッドの上にいるウルアラを見つけた。


「あれ? ウルアラも居たの?」


「ああっうん、おはようイレアちゃん。ちょうど私もね。アルスを起こしに来てたの」


 しまった、ウルアラよ。ベッドの上に正座している状態だ。起こしに来た奴がなんでそんなところで正座してるんだ。


「あれ? でも鍵閉まってたよ?」


「あ、あーれー? 間違って閉めちゃったのかな? あはは、イレアちゃんとりあえず髪とかしてあげるねー」


「ささっ、あっち行こうねー」とイレアを連れてウルアラはイレアの部屋に向かった。


 誤魔化せただろうか……?



 出発の準備をし宿屋を出ると、王都まで行く馬車の前でみんなが待っていてくれた。

 みんなが各々の言葉で送り出してくれた。


「アルス、イレアちゃん、気を付けて行ってらっしゃい!」

 笑顔のウルアラはそう言ってくれた。


「イレアちゃん、アルス! 無事に帰って来いよ!」

 キールの気迫ある声で、隣にいたカミラが耳をふさいでいる。


「……アルスさん、お気をつけて…………ウェッ」


 カミラは二日酔いのようだ。顔色が悪い。


「王都についたら、まずは王都内の冒険者ギルドに寄ってくれ。支度金を預かっているそうだ」

 オッタムの話によると、王都まで行くこの馬車の手配と、支度金は王宮の方で手配してくれたらしい。ありがたい話だ。


「分かりました。では行ってきます!」


 そう言うとイレアを連れ、馬車に近づいた。

 俺が馬車に乗り込もうとすると、「アルス」と呼ぶ声が聞こえたので振り返るとウルアラが駆け寄ってきていた。


「どうした?」


 そう聞くとウルアラは俺の耳元に近づいた


「私、待ってるから」

 小声でそう言うといつもの笑顔でへへっと笑った。


 待っている。とは、単純に俺の帰りを待っているということ以上の何かを感じた気がするが、意味を明確にしたいタイプの俺でも、流石に聞くのは野暮だろうからやめておいた。


 なんなら、勘違いだったら恥ずかしい。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る