第二章 世界樹

世界樹の森

 世界樹のある森の方へと歩いて行った。いつもの調子で普通に来てしまったが、そう言えば俺は左腕が使えないんだった。


 腰にさしてある剣に、常に手を添えた状態で警戒しながら進んでいった。

 ガレスベアは冬眠しているにせよ、フォレストウルフなどに出くわすかもしれない。

 もし出くわしたら、イレアを抱えて木の枝にでも飛び移るか。


 そんな俺の心配を知りもせず、イレアはご機嫌に鼻歌を歌いながら進んでいった。


「イレアの家はどの辺りにあるんだ?」


「あっちです!」

 と相変わらずイレアは世界樹の方角を指している。


 子供だからよくわかっていないのだろう。

 世界樹近辺には結界が施されており、その結界に近づこうものなら、別のところに転移させられてしまう。

 しかも結界外の森の中で、ランダムな場所に転移する。そのため世界樹を目印に進むと、いつのまにか全く別の方向に進んでいるということがあり、よく初心者冒険者が遭難してしまう事例があった。

 そのため現在、ギルドでは世界樹に近づくことは禁止されている。


 そもそも近づけるような場所なら、こんな山の様に大きな木、近くで見たいに決まっている。

 世界樹のある森が、観光地化していないのもこのせいだろう。


「おーい、あまり世界樹の方に近づくなよ」


 俺の少し先を歩いているイレアに忠告したが、鼻歌を歌っており気が付いていないようだ。

 大きく手を振り大股で歩く様子は、まるでピクニックにでも行くかのようだ。


「もうすぐなのです」


 イレアはよく分からない事を言っている。


 この辺に集落は無かったはずだが……

 それともエルフは森で野宿でもしているのか?


 俺は幼いころに読んだ物語をうっすらと思い出した。

 確かエルフは森に住んでいるという物語だったな。

 案外本当に森に野宿しているのかもしれない。

 そんなことを考えながら歩いていると、前を歩いていたイレアが急に立ち止まった。


「着いたのです!」



 ……あれ、着いてしまった。世界樹の根本だ。


 辺りを見渡すと、金属で出来ている奇妙な箱のようなものが点在している。

 巨大な世界樹から太くたくましい根っこが辺りに張り巡らされている。

 本来ならこの巨木の陰になっているはずだが、この場所は優しい光に包まれていた。


「……イレア、一体どういうことだ? なんで俺は世界樹にいる?」


「ここは、イレアの住んでいるところなのです!」


「住んでいる!? 世界樹にか?」


 イレアは「うん!」と頷くと奥の建物のような場所まで小走りで行った。


「ただいまー!」


 イレアは誰かに帰宅を知らせたようだ。親だろうか?


 奥から長身ですらっとした、髪の長い大人の男性エルフが出てきた。


「イレア様! 心配しましたよ。まったく。一人で外に出るのは危ないのですよ!」

 少し怒った様子でイレアに話しかける。


 イレアは申し訳なさそうに下を見ながら

「少し外を探検してみたかったのです。そしたら洞窟にモフモフしたものがあって、気持ちよさそうだったから飛び乗ったのです」


 なるほど、それでガレスベアが怒っていたわけか。

 気持ちよく寝ていたのに、急に飛び乗られたら俺でも怒りそうだ。


「ただ飛び乗っただけなのに、そしたらモフモフがワーって追いかけてきて、そこでアルスが助けてくれたのです」

 そういってイレアは俺の方を指さした。


 視線を俺に向けた男性エルフは、こちらに近づいてきた。


「あなたがアルス様ですか?」


「ああ」と俺が言うと男性エルフは話始めた。


「はじめまして。私はエクトルと申します」


 軽くお辞儀をしたエクトルは微笑んだ。

 エクトルは知的な雰囲気をかもし出している。

 緑みのある青色のローブを羽織っており、そのローブの袖口と襟には金色の刺繍がある。中には白色のシャツのような物を着て全体的にゆったりとした服装だ。長くとがった耳にはピアスを着けており、エクトルが動くとピアスが揺れる。



「申し訳ございません、イレア様がご迷惑をおかけしたようで」


「いえいえ、まあ無事にイレアを助けられたのでよかったですよ」


 望遠鏡を弁償してもらえるかもしれないし、こういうのは苦手だが、一応愛想を良くしておこう。


「アルスはすごかったのです。モフモフをビュンとやって、倒してしまったのです」


 動作を交えて興奮気味に説明をするイレア。


「でもモフモフから、バンってやられて、腕をケガしたのです」


 イレアは、俺がガレスベアに攻撃されたときの光景を思い出したのか、少し痛そうな表情をしながら俺の左腕を指さした。


「そうでしたか、イレア様を助けていただき誠にありがとうございました」


 エクトルは深くお辞儀をした。


「いえいえ。ですが、実は……」


 俺は貴婦人から借りた望遠鏡を、イレアを助ける際に壊してしまい、弁償のため貯金を使い果たしたことと、腕が折れているので、この冬を越えるのが金銭的に厳しくなってしまった旨をエクトルに伝えた。


「なるほど、ですが困りましたねえ……」

 指を顎もとに添えて、考え始めたエクトル。


「実は私共は、外の方たちとほとんど交流を持っていないため、貨幣を持ち合わせていないのです」


 何ということだ。

 娘を助けたのだから、それ相応の礼金などあってもよさそうだったのだが、そもそも金を必要としていない生活をしていたとは。


「うーん、……そうですか」

 当てが外れたショックで、俺の愛想はどこかに消えてしまった。

 さて、この冬をどうやってやり過ごそうか。


「……お金ないのです?」

 イレアは少し残念そうだ。


「その代わりと言っては何ですが、あなた様の腕、治して差し上げられるかと」


 どれどれと、俺の腕を見始めるエクトル。


 腕の骨が折れたんだ。完治するまでこの冬はおとなしく左腕を使わないようにしないといけない。それがそんな簡単に治るのだろうか?


「少し、じっとしていてください」


 するとエクトルは俺の左腕の辺りに手を添えて、呪文を詠唱し始めた。

 エクトルの長い髪が風もないのに少し宙に浮き始める。

 温かい緑色の光が俺の左腕を包み込み、その周囲から何か光の粒のようなものがどんどん集まっていく。折れている患部が、ジンジンとしてきた。


「おまえ、治癒魔法を使えるのか!?」

 驚いた俺は動きそうになったが、エクトルはじっとしておけと言わんばかりにこちらに視線を向けた。


 しばらくすると、腕の骨は完全に治ったようだ。痛みもなく絶好調だ。


「おお、すごい」


 俺は腕が痛みと不快感から解放された喜びと、治癒魔法を間近で見た感動で、少しテンションが上がっていた。ぐるぐると腕を回したり、腕を振ったりして調子を確かめた。

 これでギルドからの依頼を受けられる状態に戻った。


 冒険者をやっていても、なかなか治癒魔法使いには出会わない。

 戦争の時には、治療が大きく戦況を左右することがある。そのため基本的に治癒魔法が使えるものは王都軍の所属となり国から出ないように管理されるのだ。


「治癒魔法を使えるなんてやっぱりエルフはすごいな」


「いえいえ」と言いながら、エクトルは首を横に振った。


「魔力との親和性の高いエルフであれば治癒魔法はそれほど難しくないのです。」


「そこにいるイレア様も、簡単な傷程度なら治せますよ」


 この少女がそんな魔法を使えるのか。

 ニコッと笑ったイレアがこちらを見ている。


「ところで、エクトルはイレアの親なのか?」


 また「いえいえ」と言いながら、エクトルは首を横に振った。


「私はイレア様のお世話をさせていただいております。身の回りのお世話のほかに、魔法や森の外の世界についても教えております」


「そうなのです。エクトルは物知りで、すごいのです」

 目を輝かせながら、エクトルのすごさを身振り手振りで伝えようとしているイレア。


「そう言えばイレア、ずっと気になっていたが。お前のその『のです』って語尾は何なんだ?」


 すると「ああ、すみません」とエクトルは事情を話した。


 どうやら、エクトルが「イレア様、文字はこう書くのですよ」「イレア様、魔法はこうするのですよ」「イレア様、これはしたらいけないのですよ!」と諭すように教えていたところ、『~のですよ』をずっと聞いていたからなのか、いつの間にか『のです』の部分だけイレアも口癖になってしまったらしい。


「ああ、なるほど」

 街にいる子供もよく、その親の口調をまねしていたのを俺は思い出した。


「イレア様、私はアルス様と少しお話ししていますから、台所に用意してあるミーレを食べて待っていてください」


「やったー」とイレアは奥の建物のような場所まで走っていった。


「では行きましょうか」と言うとエクトルは歩き始めた。


 木の板が、世界樹の幹や根を避けながら並んでいる。

 歩きやすいように整えられたその木の廊下は水分を含んでしっとりとしている。


 世界樹の根と根の合間にある地面から、所々に木が生えている。

 この木は何というか、ねじれたような不思議な形をしており、葉は透き通った緑色で、淀みも何もないような、すがすがしさをかもし出していた。

 優しく吹き抜ける風がサラサラと、その葉を揺らしていた。


 巨大な世界樹から出ている根には苔のようなものが所々生えており、小さい葉がついている。

 耳を澄ますとチョロチョロと水の音が聞こえる。

音のする方を見た。湧き水だろうか? 近くを流れている水からは生命の源のような力と純粋さを感じた。


 少し先の方に小さい畑があり、別のエルフが作業をしていた。その隣には見たことのない、うまそうな果実がなっていた。あれがミーレだろうか? イレアはあの果実を食べたりして暮らしていたのだろう。


 しばらく辺りを散歩をしていると、俺の前を歩いていたエクトルは口を開き始めた。


「実はイレア様のご両親はイレア様が生まれて間もなくして、亡くなられました。それからは私がイレア様のお世話をしております」


「そうだったのか……。でも病気やケガだったら、エクトルの治癒魔法で何とかなるんじゃないのか?」


 エクトルは首を横に振った。

「いいえ、イレア様のご両親は寿命で亡くなられました」


 寿命だと? エルフはかなり長生きだと聞いたことがあるが、そんなにご老体でイレアを生んだのか?


「かなりの歳だったのか?」


「いいえ違います」


 そういうとエクトルは立ち止まった。

 落ちてきた世界樹の葉を拾い上げ、その葉を伏し目がちに見つめる。


エクトルは世界樹を見上げ、この世界とエルフについて説明を始めた。


「イレア様のご両親が亡くなられたのは。今、世界に広がっている魔力の量が少なくなってきているのが原因なのです」


 風が吹き、世界樹の落ち葉が軽く巻き上げられた。

 乾いた音のする世界樹の落ち葉は、そっと静かに、また元の地面へと落ちていった。

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