19話 翠玉の鎖。執着の果て。

 このまま食べられてしまう。骨も心も残らないくらいに。蹂躙じゅうりんされる。


「こんなの嫌だ…」


 じんわり視界が滲み、カナタの輪郭も薄れて見える。


 全部わからなくなってしまえばいい。

 怖くて、悔しくて、恥ずかしい。


 全部がないまぜになった感情が涙となって溢れ出す。


「今までのあなたは、なんだったの?

 少しでも気を許した私がバカだったんだね」


 下心のない男はいないと言ってたね、そういえば。


 これ迄の生活ならば遅かれ早かれ辿る道だったのかもしれない。

 どこの誰かに暴かれるくらいなら、これでよかったのかもしれない。


 諦めの境地で、泣きながら笑う私は抵抗する気力も失せていくのだった。


「……」


 ハッ、と我に返ったようにカナタは動きを止める。



「なーんて、冗談です。こんなに震えて、すみません。やりすぎました」


 パッと私を拘束していた手を離し、カナタは身体を離した。


「ひどい冗談ね…」


 一気に全身から力が抜け、じっとりした汗が吹き出してきた。


 カナタ以外映せなかった視界は開け、

 緊張が緩み、安堵の息を吐く。


 押さえられた手首は、カナタの指の形通りにうっすら赤い痣を残し、現実を刻む。


「あなたにこれ以上危険なことをさせたく無かったからお連れしただけです。

 多少強引にでも、手元に置きたかった。」


 その指の跡をなぞり、すまなそうに眉を下げる。


「あなたのことになると、つい我を忘れてしまうのは、悪い癖ですね」


「つい、じゃないよ…」

 すごく怖かったし。


 私は身を起こしながら非難の目でカナタに抗議する。


「あなたの心がなければ、意味がないですし。今はこれで我慢しておきます」


「ええっ」


 カナタの両腕が、私を優しく包む。

 先ほどまでの危うい空気が変わり、いつものカナタに戻ったのを感じ、

 胸を撫で下ろす。


「ハナキ…私の、私だけの玻璃はりの花」


 小さく小さく、口にする言葉は私には届かない。


「はやく、思い出して」


 私の心の奥を探るように、抱きしめられた。


(この重みや、匂いは嫌いじゃない…)


 恐怖の嵐が過ぎて、心がバグっていたのかもしれない。

 私も存外ちょろいと言わざるを得ない。


 私の背にまわっていた腕が、首元で留まる。

 鎖のひんやりした感触。


 カチンと小さな音を立てて、鎖をつなぐ豪華な南京錠の鍵をかけた。


 繋がれた一瞬、魔法陣をかたどる緑色の光が浮かび、散る。

 蛍の様な淡く優しい光で。


「綺麗…」


 文字の刻まれた存在感のある鎖に、凝ったデザインの小さな南京錠。


 翠玉エメラルドの魔宝石がはめ込まれている錠前は、無骨なイメージは薄く、美しい工芸品のようだ。


「カナタの瞳の石ね」

「ええ、とてもお似合いです」


 いいですね、と鎖を撫で、

 私を施錠した鍵は緑の光に溶けて、カナタの左胸に吸い込まれていった。


 魔法?なのだろうか。


 綺麗なネックレスに、

 カナタからの贈り物が嬉しかったのだが…


「その鍵は無理やり外したら爆発する術式が組み込まれていますので、気をつけてくださいね。

 一定以上私から離れても、ダメですよ。


「えっコレやばいやつ…」


 危険度満点の装身具だが、悔しいけど可愛い。

 カナタの色を身につけているのが、なんだか気恥ずかしいけれど、嫌ではないのが不思議だ。


「綺麗なのに…中身がエグい。」


 色々台無しだ。


「離れなければ問題ありませんので」


 ものすごく凶悪で、威圧的なのに。蕩けるような微笑みを私に贈る。

 闇が深い。


「…だからもう、勝手に消えないで下さい」


「カナタ…」


(もう、て言った。

 何度も何度も伝えてきてた。

『私を知ってる』って、あなたは悲しそうに笑う)


 この人は、何を知っているんだろう

 そして私は、何を忘れているんだろう…?


 ちゃんと知りたいな、とはじめて思う。

 私の足らないパーツを、カナタを。


 縋るように私をかき抱くカナタに、かける言葉はみつからず、


 ただそのまま

 格子窓の外に浮かぶ月をただ眺めていた。

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